パッションはどこから来るのか

最近、「パッションはどこから来るのか」という話を何箇所か異なるコミュニティでしています。
自分から切り出すわけでもなく、議題として人が集まるわけでもなく、なんとなく場の流れがそうなってしまいます。
こういうものは不思議と重なります。

自分の場合、実際のところ、なんと答えていいのかよく分かりません。
人生を振り返ると、物心ついて以来、周りがどう見るかはさておき、自分自身の内側にパッションを感じなかったのは3日間のみです。

しかも、その3日間は決して苦悩や挫折を伴う不幸な時間ではなく、自分の夢をかなえきったあとの「空白の3日間」でした。13年間の挑戦し続けた夢がかなった後3日間寝込んだのです。
その時の状況は、心は無重力の中を漂うようで、それでいて体は自覚していなかった長年の蓄積疲労が噴出して、起き上がれませんでした。これは後にも先にも味わったことのない感覚です。

3日間寝込んだ頃に、インスピレーションにより、新たなミッションが自分の内側にあることに気づき、再びパッションの炎が灯りました。それは今日まで続いています。

もちろんやる気が起きないこともありますし、サボることもあります。逃げることも、貢献できないこともあります。それは自分のフィジカルやメンタルのコンディションや、外的環境の影響によるもので、パッション自体がどうこうなったのではありません。

また、パッションがどこから来るのかは人それぞれなのかもしれませんが、自分にとってはパッションを支えるものは希望と励ましだということは言えると思います。
パッションがあっても、希望と励ましを失うと本当に苦しいです。僕は希望と励ましがある、ないの両方の気持ちを知っています。

人生でパッションがあることが当然すぎて、かえってあまり考えてこなかったかもしれません。
とてもいい機会なので、もう少し考えてみようと思います。それこそ、clubhouseやzoomなどでお話ししたいですね。

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