見出し画像

チャプター1. いわゆる青年よ大使をいだけ

今となっては、僕が怪我をした事、その後の入院生活などの暗い部分をネタにしているくらいで、辛かったと語るのは本当に好きじゃないんだ。けど、ここでは当時のリアルな気持ちに実直に書く必要があるよね。

当時、16歳で怪我をする前から付き合ってた彼女がいて、怪我をして1年経った頃に僕はフラれたんだ。全部、怪我のせいにしたい気持ちが溢れると共に、怪我のせいにしなくても「モテる」何か大きな力が欲しいという気持ちが爆発的に膨張していった。フラれる前から、どう気持ちが溢れても格好つかない自分のもどかしさに、彼女の前でも相当泣いた。

怪我をした直後から3ヶ月くらいは「絶対治ってまたスキーをする!」と99%くらい自分を騙し込めた。一番最初に救急車で運び込まれた先のICUの担当医の診断は「この後の人生、99%車椅子生活になるでしょう。」と診断してくれたドクターに今でも本当に感謝している。この1%があったから、暫く自分を騙し込めたからだ。これは僕にとっては本当に吉だった。なんて哲学の深い医者だろうと思う。

「オレ、治らなかったら」

こういう言葉が4ヶ月目くらいから出てくるようになった。人の忍耐は飽きがあるんだ。僕は特に飽きやすい。僕は、何かに打ち込むときには必要以上にエネルギーを持って向かう癖がある。それは長続きしないという意味でもある。とても強いエネルギーで「変わらない現状」にぶつかっていたからすごく疲れたんだと思う。

「それ、死語だから。」

当時の彼女も強がることに精一杯だった。どちらが正解だったかわからない:2人で強がった方向に向かったことで、数ヶ月の強烈な不幸に対して立ち向かえた、という事と、医者が残してくれた1%に向かってしまった為に彼女もエネルギーを使い果たしてしまった事。

強がりが崩れて情けない男になった僕と、力を使い果たした彼女は別れた。僕がフラれたんだけど。

相当辛かった。動けない、追いかけられない辛さを一番感じた時期だった。本当に春は出会いと別れをもたらすんだと知ったし、これほど人と別れるのに辛い季節があるとは、と思い知らされた。

いつでもそう。「黙って寝ている人ではない。」

誰かにそう言われるから動いているのではなくて、根っからの負けず嫌いなんだ。相当。いつも気がつけば動き出していて、後からみんなそれを言う。

5歳くらいの時、薄暗くなった近所の道路をジョギングしている場面がいつも鮮明に回想できる。右手には連なる畑の真ん中に僕らの部落の公民館があった。左手からは大きくなった木々が道路に覆いかぶさるようにトンネルをつくっていた。30メートルくらい続くそのトンネルを、くぐり抜けるように毎日小学校へ通学した。僕と母は並走しているのだが「1、2!1、2!」リズムよく呼吸をしながら走るように、と支持する母は、林と反対側から僕に覆いかぶさってくるように、僕を覗き込みながら走っている。今までただの一度も母が怒鳴るのを聞いたこともないし、いわゆるスパルタが声に出るタイプでもない。でも、お前は根性あるよね?という圧力はいつも感じていて、僕はそれに応えるのも嬉しくて、こたえられる自信もあった。母曰く、僕は生まれつき落ち着きがないし、意地っ張りだったから、根性があると思って接していた、と言うが、この関係が僕の負けず嫌いを誇張していったんだと思う。感謝もしてるし、力が抜けない自分もちょっとだけ嫌だなと思うこともある。

負けず嫌いが膨張し始めた。「オレの強みは何だ!?どうしたらモテる!?彼女を取り返せる!?」と問い続け、頭の中をぐるぐる巡らせた。ひとつ、ムキムキにはなれないから、知的になること。インテリアコーディネーターの通信教育教材で勉強を始めた。目が悪くないのに、ボヤけると嘘をついて実質伊達眼鏡もかけた。ネットサーフィンをして雑学も貯めまくった。どうしたらいいかわからなかったけど、できることを全てやってみたんだ。見舞いに同級生が来てくれて、これから免許センターに行くとか、進学の準備とか、そういう人が進んで行く事の全てに悔しさを爆発させた。

やってみて、何かまだまだ物足りない。これじゃあ気持ちは晴れない。この繰り返し。もっと大きな事じゃないと気持ちは晴れない。色々やった。みんながやってるくらい。かっこいい大人、かっこいい社会人、かっこいい仕事、「かっこいい」の自己顕示を満たして生きて行くために、ミーハーな感じで取り組んだ。ティーシャツのデザインとか、洋服のデザインとか、もともとものづくりが好きなこともあって、物作りとミーハーの掛け合わせをした。シャツが売れたお金で次の材料を仕入れ、洋服を作ってみる。東京に出向いてさらなるミーハーアイテムを探してインプットする、この繰り返し。振り返ってみると、自分が進むためにお金をつぎ込んでいたことは偉いと自分で思う。そのこと以外好きじゃなかったというか、死に物狂いで上がりたかったんだよね。少しでも早く、大きくなりたいって毎秒思ってた。

「なぜ、そんなに頑張れるの?」

この質問を今までに何回されたか覚えていない。すぐにわかったことではないけど、今言えることは

「僕は自分のコンプレックスと戦い続けている。」

コンプレックスの感じ方も、意地も異常なだけである。そして、これがいいことだとおも思っていないんだ。ティーシャツは売れたのではない。みんな買ってくれていた。ありがたかった。でも、悔しくて仕方がなかった。理由は僕が思う「かっこいい」には到底届いていないからだった。やり方を知らないから?もっと、ビジネスマンっぽく?何も知らないままただただあがいて、よくわからない経営セミナーに行ったり、本を読み続けたり、とにかくもがいた。

どうしても大きくなれない。届かない。このままじゃ面白くないと毎日思った。異常だと思うね。

「アメリカへ行こう。」

漠然とそう思った。大きな場所が、大きな経験をくれるはずだ。ただ漠然と。幼少期からハリウッド映画が好きで、西海岸の雰囲気がかっこいいと思えて。完全に西海岸プロバガンダに引っかかって育った典型的な日本人だった。でも、行くと決めたんだ。理由とか、考えてもそもそも僕には何もなかった。捨てる職もなければ、職を選ぶ余地も技術もない。全身が動かない僕は、毎日車で出勤したり、わざと難しいことを言いながら事務所でパソコンをいじったり、僕が理想とする働き方はできなかった。現状を帰るしかないと思った。しかも非常に大きく。人と張り合えて、抜いていける成果が欲しかったんだ。

よっしゃ、決めた。絶対アメリカへ行く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?