見出し画像

そこに競争はなかった

7月10日(水)
大体3週間ぶりの投稿になります。
気管支肺炎で入院していました。

ーーーーーーーーーーーーー

みなさん、ご無沙汰しております。
神門です。

前回の投稿はこちらでした。

結局、何かしたいなら体力がないと始まらないよねと言う内容だったのですが、なんとこれを書いた直後に熱が出始めるというフラグ回収!

だんだん熱も下がり、体調が戻ってきたかな、という時に急激に悪化し、38℃近くの熱と頭痛と止まらない咳により、完全にダウン。近所のクリニックに直行するも「原因がわかりません」と言われ、月曜日まで苦しみ急性期病院に行くと、「気管支肺炎ですね」と診断され、速攻入院。

なんとか1週間の入院で数値が良くなり退院できましたが、体力がだいぶ削られていたようで休んでいたら、あっという間に3週間が過ぎ去っていました。

夏が本気を出してきたので、皆さんも体調にはお気をつけください!


◯ 競争中毒

さて、今日のお話は入院して感じたことを軽く書こうかなと思っています。

今回、僕は人生初の入院で知らないことがたくさんあり、いろいろなことを経験できました。その1週間でぼんやり感じていたことを残したいなーと思っていたところ、以下の記事をたまたま読んでいたら、かなり似たような感覚を覚えたので、これと織り交ぜながら書いていきます。

こちらの2記事をご覧ください。要約載せてます。


第一弾記事 「半身の生き方」

この記事は、三宅香帆と箕輪厚介の対談を中心にしています。

三宅の著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を契機に、箕輪は自らの働き方を見直したことを語ります。2010年代の「全身全霊ブーム」を経て、現在は「半身」の生き方が注目されていると指摘。過労や健康の重要性について議論し、バランスの取れた働き方の必要性を強調しています。

三宅は、働きながらの読書の難しさを語り、箕輪は働き方を見直し、自己投資や学びの重要性を強調しています。また、箕輪は「自分の軸を持つこと」の重要性を強調し、自己表現や創造的な活動の意義を語ります。両者は、現代社会における働き方の変化や、個々の生き方に対する考え方の変化についても触れています。

箕輪は、自らの経験を通じて、健康管理やストレス対策の重要性を強調し、自己啓発やライフバランスの重要性を訴えています。三宅も、働きながらの生活における自己投資や趣味の大切さを語り、バランスの取れた生き方の重要性を強調します。二人は、現代社会における働き方や生き方の多様性を認識し、個々の価値観やライフスタイルに応じた働き方の重要性を強調しています。

箕輪は、自己表現や創造的な活動の意義についても語り、自らの経験を通じて得た教訓を共有します。また、三宅も、働きながらの生活における学びや趣味の大切さを強調し、バランスの取れた生き方の必要性を訴えています。

まず、第一弾では「半身」の姿勢が重要視されています。

資本主義社会におけるビジネスという戦場で生き抜くには、全身全霊、昭和の言葉で言うとモーレツでしょうか。そういった「全身」の姿勢で働くことをメディアを通して推奨していた箕輪さんが、自身が真っ白な灰になった経験を通して、それは本当に正解なのだろうか?という問題提起をしています。

2010年代というのは、スマホを手にしたことで一億総評論時代に突入し、「自分は何者か」「本当の自分探し」「好きなことを仕事にしよう」などの言説がウイルスのように蔓延し、それを鵜呑みにした20-30代が跋扈する、という社会になりました。

ただ、その時代も10年以上が経過しようとしており、逆回転の動きが顕著になってきているなという印象です。おそらく、コロナ以前は後ろを振り返ることなく遮二無二やっていたところ、社会全体が一旦立ち止まり改めて考える時間ができたことにより、この逆回転が始まったのではないかという見立てです。

そんな中で、俳優のリリー・フランキーのような半身の生き方に、活路を見い出したらしいのですが、かなり同意できます。要は、バランスよく生きていきましょう、ということです。三宅さんも言っていますが、人にはいろんな生き方があって然るべきで、全身全霊の生き方だったり、半身の生き方だったり、様々な生き方が許容されていく時代にこれからなっていくのではと思っています。

で、この「半身の生き方」は結構日本人にとっては馴染み深いものとも思っています。例としてリリー・フランキーが挙げられてますが、一番わかりやすいのは所ジョージやタモリかなと。所さんのことを一度ざっと調べたことがあるのですが、スタンスはデビュー時から変わっていないんです。本業はミュージシャンなのに、TVタレントとしてなぜか売れてしまった。バイクとか機械いじりとか趣味をずっと続けていて、TVで醸し出すあの脱力感というか、半身の姿勢が世にずっとウケて、今も出続けている。

つまり、半身の生き方の象徴が所さんかなと思っています。


第二弾記事 「競争中毒からの脱却」

この記事では、三宅香帆と箕輪厚介の対談が行われ、「競争中毒」からの脱却について議論されています。

箕輪は、自身が競争社会の中で常に上を目指し続ける中で感じたプレッシャーやストレスについて語ります。彼は、競争から逃れること(脱競争)が逆に難しいと感じており、自己表現や丁寧な生活が必ずしも救いにはならないと述べます。

箕輪は「サウナランド」という雑誌を通じて、競争以外の幸せを模索しています。サウナを題材にしたこの雑誌は、競争とは無縁のリラックスやコミュニケーションをテーマにしており、箕輪にとっての新しい挑戦でもあります。しかし、彼はそれも完全な解決策ではないと感じています。競争社会からの完全な解放は難しく、箕輪自身もそのジレンマに苦しんでいることを明かします。

対談では、競争からの解放に向けた具体的な方法も議論されます。箕輪は次世代を育てることや批評を通じた自己表現が鍵であると述べます。彼は、競争に勝つことだけが成功ではなく、他者との協力や共存も重要であると強調します。また、三宅は、働き方や生き方に多様性を持たせることが、競争中毒からの脱却につながると指摘します。

両者は、競争社会の中で生きる現代人にとっての新しい価値観や生き方について深く考察しています。箕輪は、自分自身の経験を通じて、競争から解放されるためには自己の内面を見つめ直し、他者とのつながりを大切にすることが必要であると述べています。三宅もまた、働きながらの生活におけるバランスの重要性を強調し、自己投資や趣味の大切さを語ります。

対談を通じて、競争中毒からの脱却には多様なアプローチが必要であることが明らかになります。個々の価値観やライフスタイルに応じた働き方や生き方を見つけることが、現代社会における新しい幸せの形を追求する鍵であると結論づけています。

第二弾では、「競争中毒からの脱却」と、もう一歩踏み込んだ話をしています。

競争中毒、これは言い得て妙です。ただ、資本主義システムに組み込まれている以上、これから完全な解放はかなり難しいのも事実です。そして、一度その競争で成り上がった人にとっては、本能的に競争を渇望するのでしょう。だから箕輪さんのようにジレンマを抱えるのは必然だと言えます。

競争をする虚しさに反発して、生活に重きを置いて時間をかけることにも、別の類の虚しさを感じてしまう。だから、競争するにも生活に比重をかけるにも、かなりの強さが求められるのだろうと考えています。

この、競争中毒社会に、生活の有用性を問いかける映画が、「PERFECT DAYS 」なのではないでしょうか。

対談では、その脱競争を自発的に促す方策として、批評を通した言語化活動(批評)だったり、次世代を育成していく教育だったりが挙げられています。


◯ 競争のない空間で

さて、入院に話を戻します。

人生で初めて1週間以上入院したので、それまで病院がどのように動いているかを全く知らなかったのですが、いざそこで生活してみると、驚くほど時間がゆったりなんです。もう、1日ってこんなに長かったけ?と感じるくらい。小学生に感じた一日の長さくらいの感覚です。

なんでこんな感覚に陥るのだろうと考えたら、「あ、競争がないからか」と気付きました。

基本的に、病院でやることと言ったら、寝るか、ご飯食べるか、ナースとおしゃべりするか、お風呂入るか、本読むか、そんな感じです。入院先にWiFiがなかったので、いい機会だと思いSNSも極力触りませんでした。

そうすると、時間の主人公が自分になった感覚を覚えたんです。

競争というのは他者を想定するので、時間の流れが自分主導ではなく、姿の見えない誰かに操られているような感じがしませんか?僕は、入院して初めてその感覚に気づきました。

つまり、競争に身を置きすぎると、知らない間にどこかしらの感覚が鈍っていっているのだろうと思ったのです。


で、これと脱競争の議論をつなげると、やはり人間てバランスなんだなと。

競争環境に身を置きすぎてもダメ。
非競争環境に身を置いていたら、現代社会では生きていけない。

だから、常日頃競争環境に身を置いている我々にできることといったら、一定期間、ほぼ完全位非競争環境に身を置く、ということなのではないかと思うのです。

これは、対談でも触れられてましたが個人差があると思ってます。
月単位か週単位か、もしくは年単位、数年単位なのか。

このバランスの取り方は各々が決めるべきで、そのために自己対話が必要なのではないかと思います。


頑張りすぎずに、毎日やっていきましょー!

ラジオもぼちぼち再開していきますので。



サポートお待ちしております!(笑) いただきましたサポートは、次の記事を書くための本や資料などに遣わせていただきます。