競争と脱競争、要はバランスだ。/悪は存在しない
7月19日(金)
佐渡・新潟に滞在してました。やっぱり素晴らしかった。
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鑑賞してから1ヶ月が経とうとしているのですが、今日は映画レビュー。
この前書いた記事にまつわるお話しです。
◯ 悪は存在しない
ドライブ・マイ・カーで一躍有名になった濱口監督の最新作『悪は存在しない』は、第80回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞に加えて銀獅子賞(審査員大賞)を受賞したことにより、世界の黒澤明以来、アメリカのアカデミー賞と世界三大映画祭すべてで受賞を果たした監督となりました。
まごう事なき、日本が世界に誇る映画監督です。
でも一般的な知名度はあまり高くないかも。
僕はその中でも『偶然と想像』が抜群に好きなのですが、それはまた別のタイミングで。
で、この作品のストーリーは以下の通りです。
長野県水挽町という架空のまちが舞台で、主人公はそのまちで「便利屋」とされる男性。なんて事ない美しい日々が続いていたわけですが、ある日東京の芸能事務所が外部からやってきてグランピング場を作ることに。これを境に様々な変化が起こる、というお話です。
この映画の中でかなり重要なシーンが、芸能事務所が主催する町民説明会です。この説明会を見ていくと、「悪は存在しない」というタイトルの意味が少し分かってきます。
◯「要はバランスだ」
外部侵入者によるグランピングvs町民、というわかりやすい対立構造の中でまざまざと描かれるのは、双方の考えです。
グランピングを作る芸能事務所は3名の小規模会社で、別の事業の柱を作るために、補助金を利用したグランピング施設の運営を行いたい、という思惑があります。
この目的ややっていることは、全く悪ではありません。資本主義社会である以上、会社は売上・利益を上げなければなりません。なので、芸能事務所が行なっていることは正しいのです。
対して町民は、それを断固拒否。
外部からグランピング施設を作りにくるだけでも警戒心MAXである上に、町民の命である「水」を軽視するような施設設計であることが露呈し、反発が大きくなっていく様が描かれます。
そこで、普段は無口な主人公(巧)の言ったことが、「要はバランスだ」というセリフなのです。お互いの譲れない・守りたい部分を話し合った上で、バランスを鑑みて決定すべきだ、という主張です。
双方の主張に悪は全くありません。バランスを保つことが重要です。
「中庸」と言い換えてもいいでしょう。
21世紀は、このバランスが崩れに崩れまくった時代なのだと思います。
◯「田舎はストレスの捌け口なの」
この説明会で、町民のおばさんが芸能事務所側に言い放ったセリフも紹介します。
これは、グランピング施設が与えるまちへの影響を危惧した町民が放った言葉です。
スクリーンで聞いた時、ぐさっと心が痛くなった音が聞こえました。まさにそうだろうなと強く感じました。
戦後、急速な都市集約が進められていく中で、人間は自然を周りからなるだけ排除して、大都市機能を拡充させていきました。その成れの果てが、現在であり、今では逆に自然回帰の流れになりつつあります。
人間というのはどこまでも自分勝手ですね。
水挽町という架空の脱競争社会の象徴と、グランピングという競争社会の象徴の対峙が描かれた今作ですが、「要はバランスだ」という主人公の言葉に全てが詰まっているような気がします。