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学芸とご都合主義,そしてこれから目指すべき「何か」について.

◯導入

久々のnoteです.こういう衝動的タイプだからあまり続かないんですよね笑

僕は,札幌解体新書というものに関わっているのですが,そのNoMaps特別授業が今度,オンライン上で開かれます.今まで「都市計画・まちづくり」,「金融」と2回を定期イベントとしてやってきました.(10/8(金)に3回目「経済・産業」があるので,ぜひ見てね💕)

で,その特別授業「都市計画・まちづくり」編の事前収録が10/1(金)にありまして,北大名誉教授の小林英嗣先生,一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス代表理事の木下斉さんなど,錚々たる顔ぶれのなか,僕が司会進行させて頂いたわけですけども、それは一先ず置いておいて,この収録の中で特に勉強になった極めて重要な話があったので,今回はそれを中心に自分の考えも交えながら少しお話しできればなと.では.

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◯教育と学芸

そのお話とは,ズバリ「教育と学芸」の違いについてです.このことは,小林先生が仰っておりました.以下,先生のお言葉にそれを根拠づける事実や僕の考えを加えたことを前提に,読み進めてください.また,収録が終わった翌日には木下さんが以下のnoteをお書きになっています,はや過ぎる...

明治期,日本は西欧列強に追いつけ追い越せの考えで,特に「人の育成」に力を入れたことは自明です.それまでは,寺子屋,私塾(鳴滝塾,適塾,松下村塾など)といった制度化されていない私学校みたいなものが大多数でした.そこに,学校というものを作り,良くも悪くもそれからの日本を作っていく「人」が育成されていったわけです.その内容は無視して,今回はその概念や思想について触れていこうと思います.

この時代,それまでなかった言葉がたくさん輸入されました.その中の1つにeducationという言葉がありました.ここからが肝です.今までなかった言葉が輸入されてきたので当然,翻訳しなければなりません.さぁ,どう翻訳したのでしょうか.ズバリ,「教育」「学芸」という違った言葉・意味で翻訳するグループに分かれたそうです.

時代の流れで,教育という言葉の方が主として残ったとみて妥当だと思います(東京学芸大学はおそらくその残党的なもの).今回は,「学芸」に絞ってお話ししていきます.

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◯学芸とは

学芸,あまり聞き馴染みのない言葉ですよね.どういう意味かと言いますと,「形式知と実践知の両方を重視すること」,こう認識して相違ないかと思います.つまり,学校で勉強するような体系化・抽象化された客観的事実に基づいた知識(形式知)に加えて,実生活や日常でのより具体的な事実から各々が主観的・個別的に学ぶこと(実践知)も同じように重視することを指します.

小林先生はこのようなことを踏まえて,木下さんの指すeducationは学芸的なものだと思う,と仰っていました.木下さんが学芸的educationを重んじるのはご経歴からだと思います.高校生の時に早稲田商店街の運営に関わったことやその後のご活動からも推測できます.木下さんは,「学生の時からもっと働くべきだ(社会に出ていくべきだ)」とも仰っていました.

恐らく,大正時代に入ってからの教育を見直す運動は,この江戸時代から続いていた(言葉としてはなかったかも)学芸的なものに戻ろうという動きだったのかもしれません.

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◯形式知と実践知

日本において,教育が変わったのは2度だと思います.1度目は,既に述べた明治期.もう1つは,戦後です.この2度の転換期に日本におけるeducationは形式知を重んじる「教育」的要素が強くなったのだと思います.

ですが,形式知を比較的重んじる「教育」が悪いかと言ったらそうではないような気もします.戦後,我々(といっても祖父母・親世代)が経済的豊かさを享受できたのも教育の賜物ですし,それがなければ人は育ちません.ただ,これからの時代には学芸的educationがより重要になってくるという話なんだと思います.

なぜこう思うかと言いますと,教育的educationは,学生と社会の接点を少なくしてしまっているからなのではないかと考えるからです.対して,学芸的educationはどうでしょう.「学芸的educationは実践知を形式知と同等に重んじる」と述べましたが,この実践知はどこで得ることができるのでしょうか.学校?家庭?否,「社会」です.

この,「社会」という言葉,とても難しいです.一言では説明できないです.僕も,ずっと社会ってなんなんだろうと考えていました.

これです

「社会ってなんなんだろう」という問いは,きっと社会と触れ合う機会が少ないからこそ出てきてしまうのだと思います.僕は21歳,大学3年生ですが恥ずかしながら社会と触れ合う機会が少なかったのだと,この収録のあとに色々考えている時に確信しました.だから、こんな問について時間を溶かしてしまう.

形式知,は別に社会と触れ合わなくても家にいて本を読むだけで得られるものです.で,これは大変居心地がいい.だって,理不尽なことがないですから.自分に都合の悪いものは取り除けますしね.自分の思想とは相入れない他者やその考え,ものなどは無視できます.多分,「頭でっかち」という言葉は,このような自分に都合の良いものだけで構成された脳みそなのではないかなと思ったりしています.

対して,実践知は理不尽なものばかりです.そもそも社会なんて理不尽な構成物とみなすことができる訳ですから.だから,2つの知は全く性格の異なるものなのだと思います.社会は自分にとって都合の良いものと悪いもので溢れているわけで,その混沌とした世界で如何に折り合いをつけて生きていくか,こんなところなんだろうと漠然と考えている訳であります.

だから,高校生の時から社会に触れてきた木下さんは,自然と学芸的educationを重んじるのだと思います.つまり,「形式知と実践知の調和」.これが,学芸的educationという思想の根幹なのではないでしょうか.

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◯学芸とご都合主義

さぁ,そろそろ終いです.

ここまで,教育的educationと学芸的educationの違い,それと社会の関係性について見てきました.この違いを認識した上で,これまでの自分を振り返るとかなり教育的education寄りの人間だったんだなと深く反省しました.だって居心地がいいですから.

コロナになって大学に通わなくてもよくなり,家には本が溢れました.僕は本が大好きです.自分の世界に入り込めて,そこが1番楽しかったからです.今までの文を読んで下さった方は薄々勘づいていると思いますが,2020年からの1年半,僕は「都合の良いものだけを自分の周りに置く人間」に成り果てかかってしまった訳です.

これは,大変危ない状態です.表面上は「多様な意見を聞くよ!耳に痛いことも積極的に受け入れていくよ!」とか言ってても,自然と選択しているのは自分に都合の良いものばかり.この姿勢や態度は将来的に,破滅を招きかねない.

このように,言葉の意味として認識できた訳ですが,実際にそれが行動に出てしまっていたことが人に言われてわかりました.本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです.同時に,気づかせてくれて感謝しかありません.

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◯今後に向けて

気づかないうちに都合の悪いものは遠ざけて,好きなものだけを周りにおいてしまうという,傲慢な裸の王様状態になりかけていたと認識させてもらった自分はラッキーです.本当にありがとうございます.

したがって,個人的にも,全体的にもやはり社会との接点は多く持つべきだと思うのです.木下さんが,「学生の時からもっと働くべきだ(社会に出ていくべきだ)」と仰ったことからも,やはり今の学生は社会との接点が薄いのではないのかと思います.

このように,この日の事前収録では,「人と社会のつながり」が1つのテーマだったと思います.その中で社会との接点を持つことができる機会に,祭りもあげられていました.ここで,「社会」とはなんだ,という問いにまた戻ってしまうのですが,要は「人間の集まり」と考えることが妥当なように思います.

社会とは、異なる性別や年齢で,さまざまな考えをもつ人間たちが有機的なつながりをもって集まるもの,こう解釈できると思います.今のようにデジタル空間がなかった時代は,社会というものは自分のすぐ傍にあったはずです.しかし,デジタル化が進行していくにしたがって,居心地の良いものを自分の周りに集めることが容易になった.だから,社会との距離が広がってしまった,こう考えることもできると思います.

だから,能動的に社会と触れ合える機会を掴みにいくことも大切だし,そういった機会や場を誰かに提供していくことも同じように重要なのです.

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◯結び

僕は,運よく沢山の方と出逢わせてもらったために,社会と触れ合える様々な機会や場を提供させて頂いてきました.そこで得ることのできる「実践知」を最大化するために「形式知」も同じように,勉強してきました.

でも,いつからか無意識的に「実践知」を遠ざけてたのかもしれません.「形式知」を学んでいる方がストレスがかからないからなんだと思います.

これから僕がやるべきことは,社会と触れ合う機会を遠ざけないこと.そして,これまで学んだ様々なことを生かして社会と触れ合う機会や場を誰かに提供していくことなんだと,今回認識しました.

この事前収録で,僕は最後こんな風なことを言いました.

「北海道は多くの資源があるってことは今まで沢山言われてきました.人材育成,学術的educationという観点において,子どもたちはその沢山の資源に触れることが大事なんだと思います.その時に,大人に求められることは,子どもたちに資源と触れ合える機会や場を作っていくことなのではないか,と今日のお話を聞いていて思いました.僕も今21歳で,もう少ししたら働いて本格的に社会に出ていくので,僕もやっていかなければならないと感じました.」

ここまで読んでいただきありがとうございました.もしよろしければ,スキやシェアしていただければ幸いです!

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◯宣伝

札幌解体新書は,10/8(金),19:00から3時限目「経済・産業」をFacebook Liveにてオンライン・オフラインにて行います.詳しくはコチラ

また,10/16(土)には,NoMapsというイベントでは,これまでの中間テスト・特別授業を18:00-24:00という,目を疑うような時間でお届けします.こっちはオンラインです.ぜひご覧ください!

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