【神門レポート小売編】北海道百貨店総覧〜小売から見る地方経済〜
北海道の百貨店業界において、2023年は極めてメモリアルな年だ。
2023年1月31日、帯広市の藤丸百貨店が122年の歴史に幕を閉じた。これで、道内地方都市から地場百貨店は姿を消した。かろうじて函館丸井今井のみが残っているが、本店は札幌にあるため地場百貨店とはいえない。
2023年5月、丸井今井は創業150年を迎える。札幌市民のみならず、道民は「丸井さん」と愛着を込めて呼ぶ人が多い。2011年から丸井今井は三越伊勢丹ホールディングスの連結子会社となったことで、長い間ライバル関係として切磋琢磨してきた札幌三越とは経営統合された。そんな従兄弟のような関係の札幌三越は開店90年を迎える。
丸井今井が三越伊勢丹グループの傘下に入ることになった要因は、大きく2つある。1つは主要行だった北海道拓殖銀行の経営破綻による資金繰りの悪化が尾を引いたこと、2つ目は2003年における大丸札幌店の開業だ。
それまで札幌市の商業の中心地は、丸井今井・札幌三越・PARCO・4プラ・PIVOTが集結する西4丁目エリアだった。しかし、黒船の出現により一気に勢力バランスが崩れたのである。それくらいの驚天動地の出来事であった。そんな大丸札幌店も2023年3月に開店20周年を迎えた。
そして、札幌への新幹線延伸・オリンピックを念頭においた再開発が進む創生イーストエリアでは、サッポロファクトリーが開業30周年を迎える。
また、西4丁目エリアで4プラと双璧をなしていた商業ビルであるPIVOTも2023年5月16日を以て閉店することが決まり、札幌駅に位置する札幌エスタも8月31日を以て45年の歴史に幕を閉じることになる。
反対に、札幌大通・すすきのエリアでは大規模商業施設の開店が続く。
まずは、2023年7月、狸小路商店街に「moyuk SAPPORO(モユクサッポロ)」がした。ここには「AOAO SAPPORO」という都市型水族館ができる。OPEN日は今日、7月20日だ。また、秋頃には旧すすきのラフィラ跡地に「COCONO SUSUKINO(ココノ ススキノ)」がOPEN予定だ。東急不動産が指揮をとって、TOHOシネマズのシネコンやスーパーのダイイチ、東急ホテルなどが入る総合エンタメ型商業施設ができる。
このように、2023年は札幌・北海道における百貨店・デパート史の節目と言っても過言ではない。戦後、札幌・北海道の商業を引っ張ったのは、百貨店・デパートであった。これは紛れもない事実である。しかし、ダイエーやイトーヨーカ堂の台頭に始まり、イオンなどの郊外型大規模商業施設でのショッピングが主流になり、EC全盛の現代において百貨店は斜陽産業であると言われて久しい。
実際、下のグラフのように全国百貨店売上高は1991年の9兆円7130億円をピークに下降の一途をたどっている。また、小売業全体でも百貨店の規模は縮小しており、1997年は小売業全体(143.5兆円)の6.4%を占めていたが、2019年には全体(145兆円)の4.4%まで比率を落とした。
さて、このように百貨店業界全体は30年以上にわたり市場が縮小し続けているのだが、実は小売業全体の規模は変わっていない。だから百貨店は斜陽と言われるのだが、なぜこうなったのだろうか?そして、このような時代の流れにおいて、北海道の百貨店はどのような変遷を辿ってきたのだろうか?
2023年というメモリアルな年に、この記事を通して百貨店という存在、そして国内の小売業を改めて認識していただきたいと思っている。気づいたらおよそ2万字という特大ボリュームになったが、北海道の百貨店・デパート、そして日本の小売業に関する多くのことを、複数の書籍・資料を参考にしながら「歴史・現状・これから」を網羅した。
それでは、どうぞご覧ください!
◯ 「百貨店」とはそもそも何を指すか?
北海道の百貨店の歴史を見る前に、そもそも「百貨店」とはどのような業態のことを指すのだろうか?デパートとは何が違うのだろうか?この点をまずは解明していきたい。
結論から述べると、百貨店とデパートは同じものである。
百貨店の始祖は、1852年にフランス パリに誕生した「ボン・マルシェ」と言われている。日本における最初の百貨店は、1904年に三井呉服店によって設立された(株)三越呉服店とされている。元々は呉服店から始まったのだが、アメリカに倣ったデパートメントストアへの変革を謳う「デパートメントストア宣言」が発表されたことが、日本での百貨店の始まりとされている。
ただ、百貨店とショッピングセンターは大きく異なる。
百貨店法が廃止されたため法的な定義はないが、経済産業省が実施する商業統計調査の基準によると以下のように定められている。
また、日本百貨店協会に加盟していることも百貨店(またはデパート)の条件といえるだろう。加盟店は百貨店会員数73社・175店舗(2022年現在)で、この加盟店では「全国百貨店共通商品券」を使用することができる。
対してショピングセンターは、日本ショッピングセンター協会によって下記のように定められている。
さらに細かい条件を見ていくと
となっている。
両者の大きな違いをまとめると、多種類の商品を扱うひとつの商業施設が百貨店で、専門の小売店(テナント)の集合体がショッピングモール、と分類することができるだろう。
では、北海道の百貨店について象徴的な出来事などをピックアップしながら見ていこう。
◯ 黎明期:北海道百貨店のはじまり(1906-1964)
まずは、北海道における百貨店の歴史は、赤レンガが特徴の五番館から始まった。
五番館(1906-2009年)
北海道の百貨店は、JR札幌駅のすぐ近くの北4条西3丁目から始まった。
北海道で最も有名な百貨店はおそらく先述した丸井今井だろう。しかし、1906年創業の「五番館」が北海道初の百貨店である。日本最古の百貨店は江戸時代に「三井越後屋呉服店」を営んでいた「三越」であり、1904年に百貨店業態を創出した。このことからも、五番館は当時の最先端を走っていたことがわかる。
五番館(当初は五番館興農園)は、農産種子・農具などを販売する「札幌興農園」という会社の創業者小川二郎によって設立された。百貨店の開業には多額の資金が必要になるが、1904年に開戦された日露戦争において、軍馬用の牧草を供給したことで得た巨万の富が開業資金となった。店名は当時の電話番号が5番から始まったことが由来である。
しかし、百貨店という存在は当時の札幌ではもちろん、日本の中でも極めて珍しい存在であった上に、インフレなどの戦後不景気のタイミングも重なり、経営状態は悪化の一途をたどった。その結果、五番館の経営権は他の人の手に移ることになってしまう。それが、五番館を札幌百貨店BIG3(ほかは、丸井今井・札幌三越)に押し上げる基盤を築いた、三井物産の支店長である小田良治である。
小田は、すぐに五番館を近代的なデパートにするべく数々の手を打つ。まずは、売り場面積を4倍にすることでより百貨店らしくした。また、店名も「デパートメント・五番館」に改称し、外国の雑貨や食料品を揃えるなど、アメリカ留学経験を大いに活かした改革を行っていった。
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