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Ctrl +Zできない時間で、ただ土に指を当て続けた。


よく遊ぶ友人二人と何かクリエイティブなことをしたいとなり、陶芸教室に行ってみた。「教室」と言っても事前予約や決まったカリキュラムは存在せず、好きな時に行き好きな物を作り必要があれば講師や先輩がサポートしてくれるゆるい工房だ。陶芸には前々から興味があったが、ネットで探して出てくる教室は何とも渋いテイストで、ここに通って作品を作りたいと感じる場に出会えず一歩踏み出せずにいた。陶芸行こうよと誘って一緒に行けるフットワークの軽い友人がいるかも気がかりだった。

趣味で陶芸作品を作り、幡ヶ谷の「u; generalstore」という店で販売もしている友人のリョウさんに紹介してもらい体験教室に行くことにした。新宿2丁目のど真ん中にある教室で、夜になると周りは色めいた男たちで溢れるようなエリアにひっそりと渋い看板が立っていた。用がなければ入ることのなさそうなビルに入り、用がなければ開けなさそうな扉を開けると、10畳くらいの部屋に色とりどりの器やオブジェ、ろくろや作業台が並び数人が土をひたすらこねていた。何とも柔らかく静かな空気が流れていた。

何を作るか、そもそも自分たちの技術で何が作れるかも分かっていなかったがせっかくだからと電動ろくろを使うことにしたが、ろくろを使うまでの道のみが長い。土を柔らかくし空気を抜くために土の塊をこねていく工程を「菊練り」と言い、正しくこねていくと土の塊が徐々に菊の花のような形になっていく。先生は意図も容易く綺麗な形にまとめていくのだが、自分でやると歪な塊がさらに歪になっていくだけだった。結局先生にやってもらった。

菊ねりした土の塊をろくろに乗せ、まず行うのは土殺しという作業だ。ろくろを回しながら土を上下させ均一にしていく作業らしい。水で濡らした土は冷たく滑らかで手の中でスベスベと形が変わっていくのを手のひらで感じるのは心地よかった。土殺しを終えるといよいよ器の形を作っていく陶芸然とした作業が始まるが、当然ながらこれが難しい。ぐるぐると回る土に自分が自然に感じる姿勢で手を当てても左右で力加減が異なるようで、直感とは異なる形になっていく。視覚と触覚が微妙に合わず人間の感覚て意外と適当だなと思いながら土に手を這わせていく。左右同じ力加減を保ちながら土をゆっくりと変形させていくのは見た目以上に筋肉を使い、体の歪みや運動不足を実感する。陶芸は文化的アクティビティに見えるがじわじわと体力を使う力仕事だと知った。

薄く器状にするために指に一定の力を加え、1mm、2mmとゆっくり土の壁を薄く高くしていくが気が緩むとすぐにグニャッと変形してしまい、その度に先生に修繕してもらった。失敗したからとてデジタルのようにCtrl+Zで元の状態に直せるわけもなく、ただ目の前の土に意識を集中させる。こんなにやり直しの効かない作業で自分の日常にあるだろうか。ミスをすればワンタップで元に戻し、早く結果を知りたければスキップすることに慣れてしまった体には、ミリ単位でじっくりと形作る過程は途方もなく地道な作業に感じたが、こうやって一つずつ工程を経て物はできているんだと身をもって知る。

テレビでNetflixを流しながらパソコンでAmazonを物色し、同時にスマホでSNSをチラ見するような不毛なマルチタスクを日々繰り返しているせいか、脳に単発の鈍い疲労が蓄積しているような感覚があり、目の前のことにただ集中するのは長距離走を走るような忍耐と精神的持久力の訓練に感じた。そして、それは悪い気はしなかった。電動ろくろのモーターの音が静かにボォーッとなる中で脳に溜まった不純物をザルで濾していくように余計な感情や思考を排除して、ただ目の前の土の塊に指を当て続けた。

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