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リハビリ開始許可、おりず。


夕方、月に一度の保健師との面談だった。面談はオンラインで実施しお互いカメラをオフにしているため顔を見たことはないが、ひと回りくらい年上の女性な気がする。ここ最近の1日の過ごし方や食事内容、睡眠のサイクルや気分の変化、飲んでいる薬の種類や量なんかを話す。診断書が出ている間はあくまで近況報告の時間なので取り止めのない雑談に広がることも多く、前回の面談では失恋の立ち直り方を話したことしか覚えていない。

現在もらっている診断書は今月末までのもので、そろそろ復職しようかなと思っていた。いきなり業務に本格復帰するのではなく数週間のリハビリ期間を挟むので、その期間を加味すればもうそろそろ良いかな、と感じていた。休職初期に比べれば随分と平穏な日々を過ごしており、社会の息吹に辟易する気分を楽しめるようになってきた。目眩や絶望で一日中肉の塊として横たわる日もかなり減ったので、金銭的な不安もあってここいらで戻っておくかと思い始めていたが、そう簡単にゴーサインは出ないらしい。まだリハビリ開始は推奨できないと言われた。この会社は基本的に自分のことは自分で判断しなさいカルチャーで、「戻ります」と言えば「はいどうぞ」となると思っていたので驚いた。

どうやら睡眠サイクルの乱れがネックらしい。最近は寝るのは大抵夜中の2,3時で起きるのは早くて9時ごろだ。元々は7時前に勝手に目が覚める朝型の体で今はかなり活動時間が後ろ倒しになっており、その状態で無理に業務時間に合わせた生活を送ると体には負担がかかるらしい。それはそうだなと思うが、言わば矯正だ。夜中の自由で孤独に浸る心地よい時間を犠牲にし、真っ当な会社員として生きるのに適した体にしていく。それが正しいことのように感じていたが、何か大切で大きなものをすり減らしている気がする。復職を考えていたが、根底にあるのは「復職した方が良いんじゃないか」という焦りだ。誰に急かされたわけでもなく、今の日々を悲観しているわけでもないが、本来背負うべき重荷を一時的に免除されているような後ろめたさと共に暮らしている。復職することで重荷をまた背負い、許されたと思いたかったのかもしれない。後ろめたさから解放されたかったのかもしれない。

明日東京に帰る。社会復帰に向けて整えていくかーと軽く考えていたが、まだしばらくは昼と夜をたゆたう生活が続きそうだ。

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