見出し画像

自己紹介|32年間の振り返り|コーチングに出会っての変化

初めまして、Takaと申します。現在32歳で一児の父親です。2023年8月から認知科学に基づくコーチングスクール Mindset Coaching Schoolでコーチングを学んでいます。最近少しずつ注目を浴び始めている「コーチング」ですが、僕も最初はコーチングのことをよく分かっていませんでした。
自分も実際に2023年の2月から半年間コーチングを受けてみて、こんな風に思いました。

・もっと深くコーチングを学びたい
・モヤモヤしながら生きる自分を卒業したい
・他人軸ではなく自分軸で生きたい
・人生でやりたいことを見つけたい
(そもそもこの考え方には誤りがありました)
・ワクワクする人生を生きたい
・自分らしく、ワクワク生きられる人を増やしたい
・人の目を気にしすぎる自分を変えたい

自分の人生を振り返り、自己紹介を兼ねて記事を書いてみました。


幼少期(〜6歳)

神奈川県で生まれ生後8ヶ月頃に親がマレーシアで起業したため移住しました。その後、妹・弟が生まれ3人兄弟の長男となります。4歳の頃に色々あり、父と母が離婚し、4歳から9歳までは父親と3人兄弟で生活していました。母との記憶は断片的にいくつかエピソードがあるだけでほとんど覚えていませんでした。

自分が子を持つ親になって感じますが、離婚のショックを抱えながら、3人の幼い子供を抱えて自分の会社も経営していた父は、今の自分に想像できないような苦労や心配があったのではないかと思います。自分に子供ができるまでは、本当の意味で父の苦労をわかっていませんでした。今でも分かっているのは一部だけです。

4歳で現地のインター校の幼稚園に通うようになり、父から聞いた話では時々、「何故うちにはお母さんがいないの?」と聞いていたそうです。学校のイベントに父だけが参加する、もしくは父も忙しくて学校のイベントに参加することができないことがあったことに子供ながら寂しさを感じていました。それでも日々は過ぎていき、父なりに楽しい家庭を作ろうと最大限を尽くしていたんだと今更ながら思います。

小学校・中学校

4歳から通っていた現地の幼稚園である程度英語が話せるようになっていたそうです(自分では言語の区別を意図的にしていた、使い分けができていた自覚はありません・・・)。「英語」という言語の特性上、「思ったことはストレートに言う」、「親であっても不公平なものは不公平と言い返す」ことをしていたそうで当時の自分の思考法、発言が「日本人らしくない」ことを危惧した父は8歳でインター校から日本人学校に転校させられました。

当時の僕は英語の読み書きはできていましたが、3年生にも関わらず、ひらがな・カタカナ・小学校一3年生までの漢字がほとんど読めず、書けずにいました。「学校の時間割が読めない」「持ち物リストが読めない」。子供ながらにとても苦労して転校しました。インター校の環境・流行り・友達の付き合い方がガラッと変わり、新しい生活をしていくことにとても戸惑いと不安を感じていました。

そんな自分が周りに仲間外れにならないために、自分を偽って生きていました。
・時間割が読めないことを言わず、周りにも助けを求めない
・クラスの流行りのことを知らなくても知っているフリをする
・周りの持ち物と自分の持ち物を同じにしようとする
・周りをよく観察しながら、周りと同じ言動を取ろうとする
・周りの好きなものを好きになる

今思い返せば、小3の時から「他人軸で生きる」が始まっていたと思います。
32歳の自分は当時9歳の自分に声をかけるとしたら、こんなことを伝えたいです。
・「知らないから、教えて?」って言えばいいんだよ
・「分からないから、助けて?って言えばいいんだよ
・「周りの好きなものじゃなくて、自分の好きなことを好き」って言えばいいだよ
・「周りのやりたいことじゃなくて、自分のやりたいこと」をやればいいんだよ
・子供らしく、素直に生きていればいいんだよ

この頃から人に合わせる生き方をしてきたことが、今の大人の自分にも表れています。今これを書きながら、9歳の自分だけでなく、今の自分にも伝えたい。

9歳で父が再婚し、年の離れた弟が誕生日。12歳になると更に1人弟が増え、5人兄弟の長男として、下の兄弟の面倒を見る時間も多くなりました。
お兄ちゃんだから譲りなさい」「妹や弟のことを考えなさい
親から言われていた、こういう言葉が頭の中で鳴り響いていました。
自分を優先してはいけない」これくらいの時から、作り上げられたビリーフだと今では思います。
自分の欲求に蓋をし続けて、自分の欲求が見えなくなるパターンですね。

中学生になった自分は、日本人の中で「自分がどう生きるべきか」が自分なりにも
分かってきていました。

次第に、日本語の能力が英語を超え、学校生活は問題なく送ることができるようになっていました。

この頃の自分は周りによく「優しいよね」と言われていました。周りのことを観察し、周りが欲しているものを先回りして差し出し、自分が我慢すれば周りがハッピーになれるなら、と自分の欲求を抑えて生きる生き方にシフトして行ったと思います。

高校

高校進学のタイミングで、日学へ帰国する予定でした。
しかし、急遽受験直前で「現地高校に通わせることにした」と父に言われ、
人生一変。
現地高校に入学するにあたり、マレー語、日本語で学習してきた理数を英語で学び直しの必要がありましたが、全く身が入らなかった記憶があります。
コーチングを学んでいる今、当時の学習が have toになっていたからだと思います。

案の定、自慢することではないですが、高校へ入学後の成績は、30人のクラスで下からワースト3争いを繰り広げていました。

しかし、しばらくすると、どの科目においてもトップ5に入る成績になっていました。初めて学んでいた、マレー語、マレー語で世界史、道徳、心臓、血管の英語名、物理の法則、有機化学の分子の英語名、英語で三角関数、数列、微分積分。

親からは成績を上げて欲しいというプレッシャーもあったことは間違いないですが、何が当時の自分を突き動かしていたか振り返ると中学の時にやっていたことを高校でもやっていました。

持ち前の「学習欲」が刺激されて、
・「学ぶ・解明する・原理原則の理解
・「困っている人へ自分が学んだことのお裾分け
をしたくて、勝手に学習が進んでいたと思います。

外的な「成績を上げろ!」という要因よりも自分のエネルギーの根源は圧倒的にこちらだったと今では思います。

大学

高校卒業後は、海外の大学へ進学希望でした。
このタイミングでも父の反対に合い、希望とは反対に日本の大学を受験・進学することになりました。

3年間で全ての科目を英語で学習し直したのに、また受験のために日本語で学び直す必要があること、国のカリキュラムによって全くカバー範囲が違っていて、内容によっては独学で学習する必要があったこと等に抵抗を感じていました。
このタイミングでは、日本語を読み書きするよりも、再び英語で読み書きすることに慣れていたため、日本の参考書を読むのが苦痛でした。

嫌々言いながらも勉強して、結果的に理工学部へ進学。

学費は、出してもらえましたが、生活費は自分で調達する必要がありました。
色々ある中のアルバイト先を選ぶ時に真っ先に思い浮かんだのは「教育業」でした。
コマ給は高い方ですが、時給換算すると悲しい時給であることは働き始めて知りました(最低時給からはブラックすぎる時給でしたw)

それでも「身銭を切ってでもやりたいことで提供価値する」ことをしていました。コーチングで言う「仕事」の心象風景であったことは、振り返って感じます。
人の成長に関わる」「原理・原則を学ぶ・解明する」「知識をお裾分けする」のwant toが全て含まれてます。want toではなかったら、周りの先輩や仲間に恵まれたのもあり、大学の4年間続けることができました。

社会人

大手英会話スクールに入社をしました。
最初は現場で直接生徒と向き合って目標達成に向けて伴走する日々で毎日が充実していました。1年目で個人の営業成績目標などもなく、ほぼ英語を教えることだけに注力していました。

しかし、自分が英語を身につけたのは環境要因が大きく、積み上げ式で英語を学習する生徒様の気持ち・体験を本当の意味で理解することはできていませんでした。

同期の中には、日本にいながら高い英語力を身につけて、同じポジションに着いた人も多くいました。「帰国子女だから英語できるよねー、教えるのも楽だよねー」と周りに言われることも多かったですが、ここに自分は苦しい思い、もどかしさ、劣等感を感じていました。

「第二外国語習得を体系的に理解しないと生徒が望むところまで導くことができない」と感じた自分は、語学習得の学習、初級者向けの参考書の購入、500点〜800点まで数別のTOEICの問題集を実費で買って問題を解き、傾向分析をして何とか学習者の様々な段階の心象風景を掴みにいこうと必死でした。

自分では当たり前にやっていて、仕事の時間外でこういうことをやるのは全く苦ではありませんでしたが、周りからは「仕事じゃないんだから、そこまでやらなくてもいいんじゃない?」「真面目だなー」「そんなことにお金かけるの?」「そう言うこと会社が教えてくれるんじゃないの?」というコメントがありました。

これらの動作・行動に共通するのは、「学ぶこと」「原理・原則の解明」「インプットのお裾分け」。

全てwant toに生きていたから、苦に感じず、身銭を切ってやり続けられていました。

学ぶことを自己中心的にwant toに生きて、突き詰めていった結果、これらが生徒の役に立つという、循環が作れていました。結果的に賞与で返ってきたり、ポジションの変化があったり、金銭的にもプラスで返ってくる部分もありましたが、学んでいた瞬間はそこは想定外でした。

want toではなく、have to(抑圧)に生きて心を壊して鬱病になったことが社会人3年目でありました。

数値責任のあるポジションについていて、目の前の生徒のためではなく、営業成績だけのため(会社からの指示)に行動していった結果、何で自分がこの仕事を選んだかも分からず、本来の自分が取る行動ではないような行動も時には取っていたことで心を壊してしまいました。

営業成績未達が怖い
・失敗する自分はダメな自分
・完璧ではない自分に価値がない
・失敗してはいけない
・会社には絶対に従う

今思えば、バグだらけの考え方です。

自分が修正するべき、思考の癖もあったと思いますが、have toに生き続けてプラスの結果にはならないことを身をもって体験しました。

Steve Jobsの言葉で「connecting the dots」とありますが、今となっては、心を壊した経験を含め、色んな経験に意味があったと思います。

現在

結婚し、子どもが生まれ、「良い夫でいるべき」と言う考えがどこかにありました。もちろん、悪い夫であろうとは思いませんが、「結婚したから・父親になったから」と言って自分個人の人生を生きられなくなっていました。
自分の本音に蓋をし、社会の抑圧に生きて、本音が見えずにいました。自分のやりたいことに許可が出せなくなっており、他人のやりたいことを自分のやりたいことを勘違いをしている悲しい状況。
(自分が何を食べたいかすら分からないレベルですw)

今年は自分個人に120万円ほどの投資をしました。家族を持ったからには、父親たるものは自分の欲求を我慢するというビリーフを持っていた過去の自分からは想像できませんでした。

まだホップ・ステップ・ジャンプのホップ・ステップぐらいではありますが、自分の want toに従って生きられるようになってきました。
同時にwant toに生きることは簡単なことではなく、have toの方が楽であることも学びました。やりたいことに蓋をして、周りに合わせて生きる方が衝突等は明らかに少ないです。でも、

「1回の人生、have toの人生でいいですか?」

僕は嫌です。世間的に「人生一回きり」という言葉はよく聞きますが、「自分の人生を生きる覚悟」はそんなに甘いものではない、と学んでいる最中です。
しかし、コーチングと出会った2023年を振り返ると明らかに変化は感じています。

コーチング受講・コーチングスクールに入学してやったこと・変化の一部


・コーチングを受講→Mindset コーチングスクールに入学(80万円の自己投資)
・ずーっとやりたいと思ってやっていなかった三線をスタート
・新しい部署で一番新人でありながらも、課長クラスの社員の先輩方と共同でプロジェクトに関わり、自分がリードする
・会社で勉強会・ツールを自主作成
・お金はかかっても、学びたいと思ったものを学びにいく精神がついた
・個人でクライアントを初めて持ってみた
・初めてオンラインコミュニティーに入会
・オンラインコミュニティーで話したことない内容について講義
(want toだから「自分ならやれる!」とエフィカシーがあった)
・(家族のゴール設定により)妻・子供との関係性が良好化
・夜型から朝型に転向(朝9時起き→5時台・6時台起き)
・やりたいことを全取りするには?思考が少しずつついていきた
・自分のために生きることが他人のためになることを認識できた
・妻の考え方に変化(母として生きなければならない→個人の人生も生きていい)
・note記事作成(文章を書けない・良い文を書かねば!という思い込みが外れた)

内気で自分に自信がなく、鬱を経験した過去が自分でも、思い切ってコーチングを学ぶことに飛び込んで良かったと思います。普段の生活に加え、コーチングスクールの学習量は多く(3年間でやることを半年のカリキュラムにされている)、コーチングの学習以外に趣味、noteの執筆等(この記事も何時間かかったか・・・w)以前の自分からは想像できません。

最後に

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

自分はまだコーチングを学んでいる最中の身ですが、少しでも誰かに
「自分らしく生きよう!」と思えたきっかけになっていたら嬉しいです。
・社会の抑圧に生きていて、本音が見えなくなっている方
・敷かれたレールに沿って生きてきた方

僕は自分らしさを取り戻し、自分がコーチングを学ぶことによって世の中にも「自分らしく生きる人」を増やしたいです。そんな人たちで溢れている世の中はとてもワクワクします!

少しでもコーチングにご興味を持っていただけた方、モニターセッション・体験セッションでお会いできることを楽しみにしています。

もしこのnoteを見て、興味があるよ!という方は、お気軽にお問い合わせください!!(X(旧Twitter)がこちらです)貼っておきますので、そちらからご連絡ください!

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?