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【中薬を故事で学ぶ】 辛夷の故事 〜名前の意味は「時」と「人」?〜

このnoteでは中薬の故事(由来となった話)を書いています。

ただただ中薬の名前を覚えるのは大変です。
でもストーリーで覚えると記憶に定着しやすくなります。

今回ご紹介する中薬は「辛夷(しんい)」です!

辛夷は、

  • 葛根湯加川芎辛夷(かっこんとうかせんきゅうしんい)

  • 辛夷清肺湯(しんいせいはいとう)

などの漢方薬に含まれています。

そんな辛夷ですが、その名前が「時」と「人」を表しているのをご存知ですか?

「いつ?誰に?」

その謎は、故事を最後まで読むと解決します。

どうぞ、お楽しみください!


辛夷の故事

昔、中国秦国に、科挙の郷試に合格した一人の挙人がいました。
※科挙の郷試と挙人:科挙の試験段階の一つ。 宋代に科挙は解試、省試、殿試の三段階に分かれたが、その解試の元代以後の名称。 各省ごとに三年に一度試験が行なわれ、合格者を挙人という。

ある日、挙人が奇妙な病に罹りました。

鼻からは絶え間なく膿と鼻水が流れ、生臭い臭いも漂っていたため、人々は彼を避け、最愛の家族でさえも彼から距離を置くようになってしまいました。

多くの医者に診てもらい、様々な薬を試しましたが、一向に病は良くならず、挙人は深い絶望に陥りました。

「このまま生きるよりも、死んだ方がましではないか。」と、彼は自ら命を絶とうとすら思い始めました。

そんな彼に、心配した友人が声をかけました。

「天下は広い。地元の医者に治せないなら、他の地を訪れるのも一つの道だ。それに名山大川をを巡る旅は心の休息にもなるだろう。」

この言葉に希望を見出した挙人は、馬を駆り、新たな医者を探しに旅に出ました。


彼は数多くの地を訪れましたが、どこにも彼の病を治せる医者はおらず、医者探しは困難を極めました。

しかし、彼は諦めずに南方へと足を伸ばしました。

そして、夷族が住む地域に辿り着きました。

そこで出会った夷族の医者が、「この病気は治せる」と治療を引き受けてくれました。

挙人は涙を流し喜び、医者に治療をお願いしました。


医者は、山へ行って特定の花のつぼみを摘んできて、挙人に服用させました。

彼はその薬を半月間服用し続けたところ、不思議と鼻からの膿が止まり、病状は見る見るうちに改善しました。

病が治り、喜びに満ち溢れた挙人は医者に感謝の言葉を伝えました。

そして、「この薬があれば、再び病に苦しむこともなく、遠い旅をする必要もなくなるのに」とつぶやきました。

すると医者は、挙人に薬草の種をいくつか渡し、「これを持ち帰って植えてみるのはどうだろう」と提案しました。

彼は医者の提案を受け入れ、その種を持ち帰って自分の庭に植えました。


数年の月日が流れ、彼の庭にはたくさんの薬草が育ち、見事な薬草園となりました。

この薬草は鼻の病に苦しむ人々を治療するのに大変有効で、多くの患者が彼の元を訪れました。

ある患者が尋ねました。

「この薬草は何ていう名前ですか?」


挙人は夷族の医者に薬草の名前を聞いていなかったことに気付きました。

そこで、この薬草を「辛亥年」に「夷族」から譲り受けたことから、こう答えました。

「これは『辛夷』です。」

おしまい


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