いまさらながら、和菓子の魅力に気づいた。

先日、母親が川上屋の栗きんとんを買ってきてくれた。
岐阜県のお店であるが、地元の百貨店に期間限定で出店しているのだ。

季節限定商品として、秋から冬にかけて販売している栗きんとん。
催事場で買っても1600円ほど、通販で買うと1814円だという(いずれも6個入り)。

国産の栗で鮮度にこだわり、栗を蒸してから中身を取り出し、少し粒を残しながら砂糖を加えて丹念に炊き上げ、そのまま茶巾で絞ったもので自然な淡黄色
香り豊かな味わいはひなびた郷愁を感じさせることでしょう。

公式ホームページの説明より。

何年ぶりに、川上屋の栗きんとんを食べるのだろうか。

説明文の「ひなびた郷愁」とはよくいったもので、控えめながら上品な味わいと、栗本来のもつ香りを存分に感じることができた。

しかしこの栗きんとん、いかんせんサイズが小さい。
一口でも食べられてしまうくらいなのにもかかわらず、1個当たり250円以上する計算だ。
なんという贅沢。

単純に、量と金額の比率だけを考えれば、モンブランやスターバックスの「マロン ほうじ茶フラペチーノ」を買った方が良いのかもしれない。


しかし、この「足るを知る」を具現化したかのようなサイズ感や控えめな味わい、さらには目で見ても楽しめる形状といったものは、和菓子ならではの特徴だろう。

「足るを知る」とは、私たちが一般的にイメージする「日本文化」に流れる、通奏低音のようにも思える(もちろん、「日本文化」が本質的で、大昔から変化しないものである、という認識は誤りであるが、ここでは踏み込まない)。


また、一個当たりのサイズがちいさいことで、最後までおいしくいただくことができるだろう。

私事で恐縮なのだが、最近、甘いものを大量に食べることができなくなってきている。
モンブランのようなサイズ感だと、途中で「しんどいな」と思うことが増えてきたのだ。

生搾りモンブランなど、見ているだけでお腹がいっぱいになってしまう 笑
見た目はものすごく綺麗で繊細なのだが、これを最後までおいしくいただける自信がない…

数年前までは、和菓子を目にすると「この金額でこれだけ?」と、和菓子に対して割高感を感じていた。
しかし最近は、味覚が変わったのか自分の体力が衰えて消化器官等が変化したのか定かではないが、和菓子のちいささが、とても魅力的に思えてきたのだ。

「もうすこし食べたいな」で止めておく。
そうすることで、食べ過ぎてお腹を壊したり、無理に食べたりすることがなくなる。

もちろん、栗きんとんよりも数倍おおきな和菓子もあるが、洋菓子に比べ、「軽め」に感じるものがおおい。
私の現在のスタイルには、和菓子がよくあう。


ところで和菓子は、お茶うけとしてのみならず、「酒の肴」としても存在感を発揮するようだ。
私はウイスキーが好きなのだが、和菓子——とくにあんこ——とウイスキーは、かなり相性がよいらしい。

この週末、さまざまな和菓子を買ってきて、ウイスキーとともに楽しんでみようか。


和菓子は、その歴史や製造工程、食べ方(一緒にどのような飲み物を合わせるのか)など、ひじょうに奥の深い食べ物である。

あの小さな姿に、たくさんの情報が詰まっているように思えて、とても愛おしくなる 笑

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