【僕の日本語文章が下手な理由と改善方法(思いつけば)】

noteを書くようになってから気づいたんですけど僕は”文章を書くのが下手です”。薄々とは自分でも感じていたのですが、このnoteを書いている40分くらい前にバイト先の先輩から送られてきたラインの返信を見て確信しました。今日はこのnoteを書こうと思った出来事について僕の文章を書くときの思考プロセスについて頑張って文章化していこうと思います。


今から書きたいこと

  • この文章を書こうと思ったきっかけとなった二つの出来事

  • 自分の文章が下手な原因

  • きれいな文章を書くための記述改善方法の模索

  • まとめ

この文章を書こうと思ったきっかけとなった二つの出来事

その1  文章の上手な人のnote

今日の夜いつものようにnoteをパラパラと見ていたら僕の尊敬する先輩の最新のnoteが上がっていた。以下ではこの先輩をSさんと呼ぶ。Sさんは本当にすごい人で尊敬できるとことをあげたらキリがないのだが、そんなSさんのすごいと思うところの一つに文章のきれいさがある。Sさんの文章は非常に理路整然としていて、

  1. そのnoteでSさんが主張したい主題

  2. その主題を言うための自分の体験など

  3. そしてその体験から主張したい内容を紐付けるスムーズな文章移行

主にこの三つがある。今日のnoteも自分の受験期とケーキ屋さんに関する思い出話で、今日のnoteは何かを主張すると言うよりも自分の経験について語ってた記事だったけどそれでも文章には一本ピンとした筋が通っているなと感じた。

その2  バイト先の先輩から送られてきたライン

Sさんとは違う先輩だが、現在僕が働いているホテルの先輩で、Sさんとは違う面で尊敬している人がいる。以下この先輩をKさんと呼ぶ。Kさんから7月15日のシフトに関しての相談がきっかけで今日半日ラインをしていたのだが、Sさんのnoteを読んできれいな文章だな〜と関心に浸っている時に以下のようなラインが返信されていた。


このラインだけを見たらなんのことかわからないと思うので補足しておくと、現在僕は7月14日(金曜日)の16時から22時までの時間ここのバイト先のカプセルホテルのシフトを出しており、15日(土曜日)はシフトに人が足りなかったら7時から13時までなら入ります、といったシフトを提出していたのだ。そして15日は実は京都は祇園祭なので案の定?シフトが足りなそうで、「15日シフト入ってくれん?入れるとして何時にシフト出してたっけ?」と言うラインが来てたのだ。僕が働いているカプセルホテルではカプセルベッドに空きがあったら夕勤のバイトがある日や、朝勤の前日は空いているベッドで寝ていいと言う福利厚生があるので、僕は先輩に「14日のベッド状況ってどんな感じですか?」という質問をこのスクリーンショットの上でしていて、先輩の返信が「7/14、(総ベッド数74のうち)今んとこ35人やしいけそうやわ!」 と言うのがこのラインの文脈としてある。
そして問題の僕の返信である。
「その調子?で14日泊まって15日朝から出勤できること願っときます!」

これの返信の真意は「その調子(現在のまま14日のベッドに十分な空きがある状態)(ただしかしそれはうちのバイト先の経営にとっては芳しくない状態なので調子というのはちょっと失礼か?→”?”を付けることでなんかにごそう!)で14日泊まって15日朝から出勤できること願っときます!(前日夕勤、次の日朝勤だから家に帰ることなくそのままバイト先に泊まりたいです!)

と言った感じなのだが、文面を省略しすぎたのかKさんから日本語下手くそと言われてしまったのだ。もちろんここでのKさんの返信の「日本語下手くそなところいい感じ」は文脈から本当に「お前文章書くの下手くそやな」と注意されているわけではなく、単に自分の返信の日本が不自然なことを茶化してくれただけなのだが、この返信を見る10分前に他人の綺麗な文章に感動していたので、自分の心の中で落差は結構大きく、そして同時に自分は文章が書くのが下手くそなんだな〜とはっきりと自覚した。

自分の文章が下手な原因

ここまで本記事を書いてやはり思ったが、自分は文章を書くのが下手くそである。しかしこの文章を書くにあたっての主張は、「自分は文章を書くのが下手だ」であるので、その主張を意識しながら本記事を書くことで何が原因で自分の文章が下手くそなのかを少し理解できた気がする。

  • 書きたいことの関係をうまく言語化できない

本記事を書くに至った思考プロセスとしては、
1. Sさんのnoteを読んでSさんは文章が上手だな〜と感心する →2. Kさんから「日本語下手くそでいい感じ」というラインが送られてくる →3. 自分の文章は下手くそだと自覚する →4. 何が原因で自分の書く文章は下手くそなのかを考察し、noteに書く
って言った感じなのだが、自分の認識ではこの1. から2. 、2.から3.となった思考プロセスを流暢に一つの文章でつなげることができないのだ。具体的にこの一連の出来事を文章にしようとすると1. の出来事と2. の出来事を独立した出来事として書いてしまい、話と話の上手な接続ができない。今回の記事は謂わば何かしらの主張をしたい文章で、日記のように一つの筋に沿って文章を書いていく必要はなく、予め文章の最初に「この文章を書こうと思ったきっかけとなった二つの出来事」という小題を用意していたので二つの出来事を独立して書いても違和感はないかもしれない。しかし日常の中で日記を書きたいと思うのは今回の二つの出来事と同じように、
1. Aという出来事があった →2.BというAとは独立した出来事があった →3. このAとBから自分の中にCという感情が湧き上がった、という経験をしたときである。ただし日記を書くときはA、B、Cという三つの要素をシームレスにつなげる必要があると僕は思っている(そうでなければ単なるCという感情の主張文になってしまう)。自分はこのシームレスに事象をつなげて書くという行為が苦手で、本記事で取った手法のように明確に文章内に主張、あるいは感じた感情を設けて、その主張ないしは感情を補強する別の事象を独立して書かなければ整然とした文章は書けないのだと思う。そして今気づいたが、これはつまり言い換えるとストーリー調に文章を書くのが苦手なだけなのかもしれない。

  • 補足説明がくどい

正直自分がこのnoteで書きたかった主張は上の一つで、自分は文章同士の関係性を描いた文章を書くのが苦手です、というのが言いたかったことだったのだが本記事を書くうちにまた別の原因を見つけてしまったかもしれない。それは補足説明がくどい、だ。

Kさんから送られてきたラインの出来事の件で、写真の会話の文脈を説明する必要があると感じたので上の方で僕はこのラインの会話の経緯、つまり前の文脈を説明した。そして書いていて思ったが結構くどい。確かに自分は普段生活していて、会話の中でも補足を説明したがりなところがあるが、まさか書き言葉でも説明したがりで、さらにこんなにくどいとは思っていなかった。補足説明とは本筋の文章の中でこれは書いておいた方がいいなと途中で考えていれるため、自分の中で補足するのに必要な情報を取捨選択できていないまま補足を書き足してしまうため、補足文章が冗長になりがちなのだと思う。そして冗長になった補足の文章は本筋で主張したいことからどんどんかなれていってしまい、文章が散らばってしまう原因となり得る。逆説的に最初から本筋からちょっとそれて説明しようと思っている内容は”補足”ではなく、本筋なのだ(暴論)。
そしてこの説明を改めて読んだらくどい。

  • 一旦筆を置いてしまうと熱が醒めて書くモチベーションが薄まる

現状これ。読んでる人からしたらわからないかもしれないがこの部分より上を書いた時から1週間ほど日が空いてしまった。元々熱に浮かされて書き始めた文章なので当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、前まで何を書いていて何を伝えたかったのかが結構忘れてしまっている。

きれいな文章を書くための改善方法の模索

ここまで長々と以下に自分は文章を書くのが下手だと述べてきたが、では具体的にどうすればきれいな文章を書けるようになるのだろうか。
色々あるとは思うが、とりあえず一旦今思いついたものを列挙してみようと思う。

  1. 文章を書くのが上手な人の文章をより読む。

  2. (説明文形式ならば)あらかじめ先にこの文章で伝えたいことを冒頭で示しておき、目次や見出しなどの機能を使って文章のセクションごとに分けて書く。

  3. 補足説明など助長になりがちなところは一旦書いた後にその箇所だけを見てみてぼったりとした文章になってないか振り返ってみる。

  4. つべこべ言ってないでとりあえず書く。

ざっとこんなもんだろうか。1は有名な作家や文豪の作品は言わずもがな、note上の自分が文章を書くのが上手だと感じるクリエイターの記事なども読むことで吸収できるものがあると思う。2は上で挙げた文章を上手に書けない原因その1に対する対策なのだが、今回みたいな説明文形式ならこの骨格を意識するだけで割と有効的なのではないかと思う。3もそのまま上で挙げた個別の原因に対する対策である。そして4はこれまでの内容を全て否定しとにかく書き続けることで自然と上手くなるというある意味希望的観測である。


まとめ

途中日も空いたりしてしまったが、気づいたら4000字近くも真面目な文章を書いてしまっていた。これでは3記事に1記事くらいのペースで真面目なことを書くという自分のnoteのモットーが崩壊してしまうので今後しばらくはまたしょうもない駄文を書き散らし、せっかくの今回の知見も無駄にしていくのだろう。だが書いている途中で気づいたが、大学を卒業するときに理系の学生ならほぼ必ず通るであろう卒業研究なんかは、大学生活までの人生における説明文の中では一つの極致なので今回の知見は頑張って卒論に役立てる。そしてnoteのずっしりと毎回面白い文章を書くクリエイターさんたち、尊敬しています。

これは本文と全く関係のない、昨日食べたうどん屋さんのロゴマーク

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?