僕と野球の10の物語②
野球を始めて気づいたことがある。いや人数少なすぎん??
当時、僕の地元ではサッカーチームに所属する人数が圧倒的に多く、野球に取り組む人が少なかった。
僕は当時家族で観ていた「メジャー」の影響もあって、野球というスポーツ広めようと思ったのだ。そこで転入生や、仲の良い友達などに、たくさん声をかけて、同学年の人数を4→11人まで増やした。それに加えて、ほかの小学校から2人入って来てくれたのだ。
こうして試合の人数も足り、練習がさらに楽しくなった。
運よく、運動神経の良い子が多く、足が速い、肩が強い子がそろったのだ。
少年野球に限ったことではありませんが、経験したことのある方はわかるかもしれませんが、子供の喧嘩は親に、親の喧嘩は子供たちに降り注ぎます。
野球を通して、僕は人間関係を大きく壊しました。
当時、僕は背番号10・4番バッター・キャッチャーでした。
妬みが起こりました。子供の僕でも察しました。
中でも1番つらかったことを今からお伝えします。
僕のお父さんは、チームでコーチをしています。かなり熱が入っていました。でも中には野球は楽しめればよい。受験が優先。コーチ厳しすぎ、などの声もありました。僕が当時、小学5年生で95キロというスピードで球を投げることができ、お父さんと毎日、練習をしていたのでコントロールにも自信がありました。
お父さんは僕に投手をさせたいのです。僕もやりたかったです。でもやれない。ほかの子の親が言います。「危険なポジションうちの子には無理だ」「あなたの子供の球は速いから、うちの子には捕れない」と。その理由から結果として僕は引退するまでにほとんど投手をやれませんでした。捕手というポジションはあまり良いイメージはなかったようです。
お父さんは罵声を浴び。友達関係も壊れ始め。学校でも気まずくなりました。親の前で毎日、平気なふりをするのが大変だった。
そしてなかなか試合にも勝てず、ほとんどの大会で1回戦負け。
監督も親たちの顔色をうかがいながら指揮をとっていました。
本当につらかった。4番で打てないと、他のお父さんコーチに嫌味のように怒られるし。
チームの中で目標がばらばらだと、こんなにつらい思いをするのかと感じました。
それでも試合で僕が活躍すると親は自分のことのようにうれしそう。帰り道にコンビニでアイスを買ったり、活躍したシーンを振り返って嬉しそうに笑う、そんな家族の時間が幸せだった。
僕はお父さんの勧めで「千葉ロッテマリーンズジュニア」の選考会にエントリーしました。
会場に着くと。「え、あの弱小チームの子も来てる」なんて声も聞こえました。
いざ選考会が始まると、周りのレベルの高さに驚かされました。この経験でたくさんの刺激を受けました。
1次審査は、遠投、走力などの運動能力の審査です。
周囲を見渡すと、みんな親が熱血に見えました。こんな人たちと野球がしたいとも感じました。
自分のチームに戻ると、自分のお父さんが、ほかのお父さんコーチに言われました。
「一人でそんな選考会いくんじゃなくて、もっと自分のチームのこと考えてくださいよ」
別にほかの親に認めて欲しくなんかないけど、単純にチームでの自分自身の立場が嫌だった。
後日 ネットで選考会の合否が発表され、1次審査通過が確定した。
僕も、お父さんも、お母さんもとても喜んだのを今でも覚えている。
2次審査は僕のチームの監督も見学に来てくれることになった。
そこでの出会いが僕の今後を左右することになります。
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