僕と野球の10の物語⑤
今日から小学校、最高学年としての最後の大会の練習が始まります。
ですが正直なところ僕には大きな思い出がないんのです。気が付いたら終わっていた、そんな感じでした。
それでもうれしかったことがあります。
仲の良かった友達が僕のキャッチャーをやりたいと言ってくれたのです。
ですがそう物事はうまく進みませんでした。当時の僕はキャプテン・4番・ キャッチャーでした。そんな僕が投手として活躍しては、面白くない親たちがいるのです。現在投手の親たちなどです。僕のチームの監督は親の顔色を見ながら采配をとる方です。当然僕は大会で投げることはありませんでした。
僕のチームには1つ特殊なことがありました。それは大学生コーチがいてその大学生との距離感がみんなとても近く、放課後遊ぶことも時々ありました。
今でも大学生に遊んでもらったことはとても良い思い出です。
僕も大学生としてコーチとして野球にかかわりたいな。たくさんいろいろなことを経験したし伝えられること、自分にしかできないことがあると思うんです。
そして時は流れ、あっという間の卒部式。
みんなで野球ができたことはとてもうれしかったし、今振り返っても、良い思い出です。親は親、僕は僕。子供として、野球が楽しめたからです。
部員みんなが、何かしらの賞をもらいます。これはとても良いことだと思います。頑張ったらうれしいことがある。自分の努力を認められたらうれしい。小学野球は野球を通して、最後まで頑張ること、努力の先に何かがあること、仲間と同じ目標を目指すすばらしさ、たくさんのことが学べます。この学びを経験することが大切だと思います。僕自身も最優秀選手賞をいただきとてもうれしかったです。
そしてこれから大切なのが中学野球をどこでやるのか?です。
選手チームの時のメンバーから電話が来て、一緒に色々なチームの体験会に参加しました。仲間たちはホームランを打ったりして、シニアリーグから声がかかっていましたが、僕は体験会で全力を尽くしても声すらかかりません出でした。少しショックでしたが、仲間やその親からは、何度も一緒に中学野球をやろう。と声をかけていただいたので、とてもうれしかったです。
必要とされることを感じた瞬間だったからです。
僕の小学校のチームのメンバーは「開成中学」に合格するなどみんな、勉強を頑張っていました。僕は野球を頑張ばると決めていました。
あるチームの体験会で僕は自然とここにする。と親に言っていました。
そしてシニアに進学したため親への負担は大きくなります。
そしてこの選択が僕の人生を大きく動かします。
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