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僕と野球の10の物語①

僕はお父さんが野球が好きだったことから、幼稚園児のころからグローブとボールを持ちキャッチボールをよくしていた。*変換ミスで「グローブとビール」って1回打ちましたw

小学生になって、周りの友達がみんなサッカーを習い事として始めだした。親に「サッカーやらないの?」と聞かれ、体験会に行ったものの、入部はしなかった。当時のことを母に聞くと、僕は、「サッカーはどこでもできるけど、野球は広く管理された場所じゃないとできないから、やるなら野球だな」といったそうです。今思うと、サッカーも管理された場所じゃないと、がっつりできませんけどねw

僕は結局、新しいことには挑戦せず、幼稚園年少から始めている空手を続けていた。怖かったけど、勝つことがうれしかったことを覚えている。

そんな僕は小学3年生になった。仲の良い子は近場の少年野球チームとサッカーチームの2つに分かれていた。

みんなグループで放課後も遊んでいる。僕はうまく学校の友達となじめなかった。つらかったこと、今でも覚えている。

みんなと群れて帰らないで1人で帰ったりなんかもしていた。

そんな時、当時仲良くしていた1人が声をかけてきた。「僕と一緒に野球やろうよ」と。僕はそのことを親に言い、すぐに体験会に参加をした。その時、おじいちゃん監督にたくさん教えてもらい。野球の、打つこと、投げることの楽しさを知った。僕は決めた。「野球をやる」と。これが僕の人生の1つ目の分岐点だ。

それからその子とたくさん遊び、チームの友達もたくさんできた。そして野球のことをたくさん考えていた。プロ野球にも興味を持ち始めた。

野球を始めるにはお金がかかります。当時の僕はそんなこと考えもしない。

週末の練習に向けて、お父さんが、オレンジ色のミズノのグローブを買ってくれた。ゼビオでたくさん悩んで、投げている自分を想像したりしていた。

道具がそろうと、ますます野球への思いが強くなる。今でもふと、思う時があるんです。この瞬間に戻りたいな。って。戻りたいって何度望んだことか。。。でも1度も戻れないんですね。

僕は身長が大きいことからファーストを守り、力があったため、4番を任されていた。4番バッターの役割なんて理解していない。ただ打ちたいと思う一心でいました。

走るのが好きで得意だったから、盗塁もたくさんしました。初めてスライディングを覚えて盗塁成功したときうれしかったな。

小学低学年の野球は、楽しさを覚えることだと思う。

その中に勝ち負けがある。僕は今でもその考えだ。

試合に出れないで楽しさがわかるわけがない。

でも中にはほとんど試合に出れていない子も多く存在するはずです。




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