僕と野球の10の物語⑦
ある日いつも通り中学校に行くために朝起きて、朝食を食べようとしたその時、違和感を感じました。
手が動かない。皆さん、寝ていて血が上り手が麻痺している感覚になったことがありますか?僕もその感覚です。ですが、しばらくしても感覚は戻りません。戻らないどころか、痛みさえも覚えました。
急いで病院へ行くと「神経障害」だと診断されました。
なれない投げ方で、追い込んで練習をしすぎました。しかも独学で間違った理論で、間違った努力を必死になってしていたのです。
首から指先につながっている神経を圧迫してしまったらしいです。
この日から、学校でペンを持って勉強をするのも大変になりました。定期的に痛みも襲ってきます。とてもつらかったです。
親は泣いて謝ってきました。当時、まったく結果が出ない僕に対して、練習が足りないだとか様々な理由で怒っていたからです。
でも自分の結果が出ないことに対して、理由が明確にわかってとてもほっとしました。試合でも、結果が出ず、家の雰囲気も良くない、野球が少し嫌いになっていました。
そしてリハビリを1年半行うことになります。
リハビリ作業は、チームのメンバーのお父さんで、昔に「日大一高」を甲子園に導いた監督もサポートをしてくれました。今でも感謝しています。
そして、チームの監督に怪我のことを伝えに行くと、あっけなく、「了解の」一言で済まされてしまいました。その時は、需要のない選手はこんなにも雑に扱われてしまうんだとショックで涙が流れました。
僕ならできると、根拠のない自信で始めたアンダーでこんなにも苦しむなんて思ってもいませんでした。
当時、アンダーは「佐倉シニア」「千葉西シニア」「浦安シニア」の3名でした。
コーチは僕に二松學舍に推薦するまで言ってくれたので、アンダーにしたのです。
でもそのコーチはピッチングコーチですが、投手経験は0。教えは、根性論でした。僕は野球をどこでやるか迷っている子に伝えたいことがあります。
自分のやりたいポジションの専属のコーチがちゃんといるのか。は、しっかりと調べるべきだと。
もちろん環境・成果も大事だが、それ以上にもっと知るべき点がたくさんあるのかとも感じました。
僕はこのリハビリ期間、野球を見直すと同時に、自分の私生活も大きく変わりました。
週3回電車に乗り紹介された病院に通う日々は退屈でした。この期間のおかげでみんなと一緒に野球がしたいとう思いが強まりました。また一生懸命投球技術面についても勉強しました。
1年半のリハビリを終えると、周りとの実力の差はとても大きいものでした。それどころか、考えもしなかったことが起こったのです。
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