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クリエイティブとは何か。あるいは広告の広告。

考えることをやめてはいけない

 2020年はおそらく後の世界史の教科書において、それなりに大きく扱われることになるだろう。幸か不幸か、ぼくたちはそういう時代を生きている。新型コロナウイルスCOVID-19が世界中で猛威を振るい、日本でも外出自粛を求める緊急事態宣言が発令され、経済活動は停滞を余儀なくされた。多くの人と企業が立ち止まって自分たちの働き方を見つめ直す機会となった。立ち止まることさえ許されず社会を支え続けてくださった、医療・物流ほかエッセンシャルワーカーの方々の姿がまたぼくたちの思考を後押ししてくれたようにも思う。本当に、ありがとうございました。「エッセンシャル」ではないワーカーの責務として、どんな状況でも考えることをやめてはいけない。
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コロナによるさまざまな影響は、未知の危機をもたらしたというよりは、社会の中ですでに進行していた諸問題を浮き彫りにし、起きつつあった変化を〝超〟加速させた。未来がいきなりやってきた、という感じだ。働き方改革は、リモート勤務を手に入れた。衛生意識は強化され、もはや衛生産業と呼ぶべき市場が生まれつつある。

『差別化』の時代の終焉

 コロナによる影響を受ける前から、すでに起こりつつあった変化にも目を向けてみよう。多くの分野で商品・技術・サービスはコモディティ化し、価格や機能で有意な差別化を図ることが難しくなっていた。規模の拡張、機能の向上、合理化の努力がそのまま企業に連続的な成長をもたらした時代は終わりを告げた。AIと金融資本主義によってあらゆるものの効率化が進む成熟社会において、マーケット分析から導かれる最適解は画一化せざるを得ない。
 家電量販店の電子レンジ売り場で、最高の商品を探すよりつまらないことはない。ずらりと並べた碁石の中で一番美しい石を探す方がまだ建設的だ。機能で勝負する限り、どこもかしこも似たりよったりで、市場は至る所でもはや飽和状態になっている。

『変化に対応』していては間に合わない

 社会の変化は加速し続けている。「テクノロジーの進化」は今までできなかったことをあっという間に可能にする。「モラルのアップデート」により、これまで問題とされてこなかった声の小さき人々の訴えや偏見に対して、ようやく社会が少しずつ向き合おうとしている。「人口動態の変化」はあらゆるビジネスのマーケットデザインを変えてしまう。MAASもキャッシュレスもおそらくちょっと目を離したすきに新しい常識になっているだろう。
 社会のこうした変化は矢継ぎ早で、一介のプレイヤーにその影響を予測することは不可能だ。かつてのようにマーケットを分析し、論理的に対応し、追いかける戦法は通用しなくなってしまった。
 今、市場で闘う多くの企業や個人に求められているのは、小器用に変化に対応する技術ではない。自らが変化の主体となって、先の読めない荒波を切り拓く姿勢だ。もし、そこにその荒波を楽しむ姿勢があれば言うことは無い。
 コロナショックによって変化の速度はさらに加速し、先行きはますます見えなくなった。このカオスな状況から生き残るための鍵になるのがクリエイティブだ。

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『理屈じゃねぇけど、これがいい』を生み出す力

 機能が飽和した市場では、個の思想や美学に貫かれたものだけが、市場で突如、異彩を放つことがある。誰も必要としていないが楽しそうなサービスに。ちょっとくらいの欠点があっても個人の圧倒的な熱量がこめられたプロダクトに。極私的な偏愛から生まれた特異な商品に。市場ではなく社会を見据えて作られたブランドに。人々はどうしようもなく惹かれることがある。その思想や美学に深く共感してしまう。市場で大きな支持を得ることだってある。
 この論理や効率論を超えた特異点を作る力こそが『クリエイティブ』だ。『理屈じゃねぇけど、これがいい』を生み出す力だ。個の思想・美学に根ざした圧倒的な努力から生まれた想定外の価値こそが強い輝きを放ち、市場に非連続な成長をもたらす。
 近年、多くの広告クリエイターが、商品やブランドの広告をつくることにとどまらず、商品開発やブランドそのものをつくる仕事に領域を広げているのは、まさにこの潮流の象徴とも言える。

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『変化のきっかけ』を生み出す力

 また、これまでの社会が、サッカーでいうと「誰よりも足の早い人」「ゴールにまっすぐ点を入れられる人材」を求めていたとしたら、これからは「手を使ってみても良くない?」と前提条件からひっくり返して、みんなが夢中になって遊べるような「新しいルールをつくれる人」が求められている。
 あるいは、AIというツールで業務の効率化をはかろうとみんなが考える中で、「AIで美空ひばり再現したら面白くない?そしたらみんなAIについて考えてくれるんじゃない」と、そのツールを使った「新しい遊びを考え出せる人」の周りに金も人も集まってくる。新聞に漫画を掲載したっていいし、ゲームの中で政治デモをおこしたっていい。そんな、誰もが参加したくなる変化のきっかけをつくり出すのが、クリエイティブな思考だ。

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『ジャイアントキリング』を起こす力

 誰もが予想だにしなかった変化をつくり出すクリエイティブな思考は、いうなれば、小さき者、弱き者、持たざる者が一発逆転することができる、唯一無二の技術と言える。
 例えば、資本もない、マンパワーも足りない、ブランド力もない企業が、すでに独占的な大手企業がいる市場で新製品を出して、挑戦しようという計画があるとする。普通なら、コンサルタントなら、「無理だからやめておきましょう」「無駄な投資です」で議論は終わってしまう。おそらく、それは正しいのだ。しかし、正しいことは市場ではあまり意味を持たない。そこで、1%の勝ち筋を見極めて挑む時―もしも一発逆転して勝てる可能性があるとしたら、それはクリエイティブしかない。その会社のCMが死ぬほど面白かった、商品のコンセプトがあまりにも斬新で特定のユーザーが熱狂した、デザインがイケてて若者の間でブームになった・・・そんな、論理的には到底導くことのできないところで活路を見出せるのがクリエイティブの面白いところだ。ぼくを含め、広告クリエイターたちはそのわずか1%にプライドを持ち、その1%に膨大な時間をかけ、その1%を信じ抜く。

なぜ、クリエイティブにこだわるのか

 少しだけ個人的な話をさせてほしい。ぼくがクリエイティブであることにこだわるのは、この一発逆転できる可能性を信じているからだ。ジャイアントキリングにどうしようもないほどワクワクしてしまうのだ。思えば昔から、ぼくが熱狂するのは常に、一発逆転の可能性を秘めたものばかりだった。
 例えば格闘技。普通に考えれば体が大きくて運動神経のいい選手が強いに決まっている。しかし、デカくて動きが速い選手が勝つだけなら格闘技なんていらない。武道の「武」と言う漢字は矛を止めると書く。柔道には「柔よく剛を制す」という教えがある。理不尽な暴力や、常識で考えれば絶対に勝てない不利な状況をひっくり返す技術として、格闘技はあるのだ。ぼくの親友である異能の格闘家・青木真也さんは見た目はほっそりしているが、独自のスタイルで自分より強そうな相手を次々とリングに沈めてきた。彼はぼくが同世代で最も尊敬するクリエイターだ。
 あるいはヒップホップ。これもまた、持たざる者たちのクリエイティビティから生まれた文化だ。70年代ニューヨークのブロンクス区でアフリカ系とヒスパニック系の若者たちが、歌を習えない、楽器も買えない状況で、壊れたレコードプレーヤーをガチャガチャ動かしながら口喧嘩している様子が徐々にラップになり、DJ、ブレイクダンス、落書き(グラフィティ)と融合して全く新しいストリートカルチャーをつくり上げた。それが今では世界で最も金を生む音楽になっている。何ひとつ持っていない少年少女たちが成り上がるための音楽として、ヒップホップは生まれた。日本を代表するラップグループ、ライムスターはいつだって『モッてるやつにモッてないやつがたまには勝つ、唯一の秘訣』について歌っていた。そうだ、それこそがクリエイティブなのだ。
 つまり、常識や世界の仕組みという、世の中で一番巨大なものに喧嘩を売る技術があるとしたら、それはクリエイティブしかない。物語では、旧約聖書で少年ダビデが石投げ紐という一点突破で巨人ゴリアテを倒した。NARUTOも、ONE PIECEも、個性豊かなメンバーが卓越したチームワークで巨大な力に立ち向かう物語だ。現実の世界でそんな風に、小さき者・弱き者たちが強大な存在に一発逆転するための力があるとしたら。――クリエイティブとは業界や社会を支配する既得権力や、世の中で常識とされて誰も疑わない不均衡や不条理に挑み、ジャイアントキリングを実現する技術・思考法だ。

日本にはクリエイティブしかない

 翻って、クリエイティブの力は、これからの日本にとって最も重要な力だ。昭和の時代、日本は組織力で国際社会での市場競争に勝ってきた。平成の時代は技術力と資本力で勝ってきた。しかし、これからの日本はそうはいかない。人は増えない、モノは売れない、テクノロジーの最先端もこの国にはもはやない。そんな日本が国際社会で存在感を持つには、すでにある事物に全く新しい価値を見出し、与えるクリエイティブの力にすがるしかない。『高度経済成長期』というコンセプトの耐用期限が切れた今、この国の未来に向かう新しいコンセプトを導くのもまた、クリエイティブの大きな仕事と言えるだろう。
 幸い、日本には、かつて千利休という偉大なクリエイティブディレクターがいた。彼はそれまでは単なる日用品だった茶碗を芸術にした。100円のモノに、新たな意味を与えることで1億円にしたのだ。日常の習慣だった茶の湯を文化として高めた。今でも「茶道」は日本人の空間・コミュニケーション感覚を象徴する文化的習慣として不動の地位を保っている。彼の事物に意味を与えて価値を何百倍・何千倍にも高める「見立ての力」はクリエイティブという仕事の本質と言える。この偉大な先達から学ぶことはまだまだありそうだ。
 日本がクリエイティブの力を信じ、磨きぬき、国際社会で今一度、大きな存在感を発揮する事ができれば、世界もまたそこに習うだろう。少子高齢化、資源不足、ウィルス問題、現在日本が抱えている課題は、いずれ他の先進国も向き合わなくてはいけない。その時、クリエイティブの力で解決した先例を持っていれば、日本は課題先進国から、世界のクリエイティブリーダーに変わることができる。

クリエイティブの民主化。

 ここまで書いてきたらもうわかってもらえると思うが、クリエイティブとはいまや、アーティストやデザイナー、ユーチューバーといった、いわゆるクリエイティブ職だけに必要な特殊技術では無い。ましてや実態の伴わないものをさもかっこよく、センスよく見せる小手先のテクニックなどでは決してない。広告業界の専売特許でもない。非連続な成長を生み出す力。変化のきっかけをつくる力。新しい意味を生み出す力。社会で価値を発揮していこうとするすべての人が備えておくべき根源的な力だ。そう、そろそろクリエイティブは民主化されなくてはいけない。

 GOでは、THE CREATIVE ACADEMY という『クリエイティブディレクターを育てるための学校』を立ち上げた。この学校では、一発逆転・・・市場におけるジャイアントキリングを実現する武器としてのクリエイティブの力を身につけることを狙いとしている。具体的には、クリエイティブの仕事の核心にある「発想し、実装する技術」を学べる学校だ。

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 講師は、広告業界を中心に、現代の日本を代表するトップのクリエイターたちだ。16人、いずれもぼくが嫉妬し、尊敬してやまない本当のプロフェッショナルであり、主に広告の仕事を進化させてきたメンバーだ。彼ら彼女らが現場で実戦しながら身につけた血の滴るような野生の理論をリアルタイムで教えてもらえる。こんなに贅沢でリアルな学びの場はないだろう。それぞれの観点から〈コアアイデアの発想×実装〉に必要なメソッド、クリエイティビティを発揮するために欠かせない現代的なチームビルディング、これからの時代におけるクリエイティブの役割について学ぶことができる。
 そして、このクリエイティブという技術・思想は時代とともに進化し続けている。だからこそ、講師には圧倒的なキャリアを積んでいるレジェンドと、今まさに時代を切り開いているイノベーターの各位を、それぞれのジャンルごとにお呼びした。それぞれの語ることの差分から、自分なりのクリエイティブを、この世界の真実を、自分自身の武器を、発見してほしい。非連続な成長への第一歩となる学びがここから始まる。

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変わり続けよう。

 自分のキャリアを変えるのも、社会との関わり方を変えるのも、年収の0の数を変えるのも、この国の未来を変えるのも、全部自分次第ではある。だがそのヒントは必ずここにある。何度だって繰り返そう。クリエイティブとは、論理を超えた魅力をつくる力だ。変化のきっかけを生み出す力だ。一発逆転を実現する力だ。
 時代なんて、パッと変わる。この世に無いモノは無限にある。変われるってドキドキするぜ。自分はきっと、想像以上だ。世界は、諦めなかった夢でできている。いこう、その先の日本へ。
 ぼくがいちばんワクワクしている。クリエイティブの力を信じている。いっしょに、ジャイアントキリング、起こそうぜ。

https://goinc.co.jp/creativeacademy/


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