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クリエイティブの仕事の基礎は柔道の師匠に教わった−追悼 鈴木義和先生

恩師

つくづく、師匠に恵まれた人生だと思う。

会社員としては初任配属の部署で、クソ生意気な僕に、社会人として、広告屋としての基本を教えてくれた石寺さん。

赤坂で、青山で、金沢で、カンヌで、遊び方と働き方と考え方を背中で教えてくれた嶋さん。

プロにとっての「面白い」ってどういうことなのかを徹底的に叩き込んでくれたおさむさん。

あるいは、大学受験の勉強を通じて「この世界には“議論の余地がない”なんてことはない。むしろ議論の余地しかないのだ」という、社会との向き合い方を教えてくれたスバル進学塾の河野先生。

小学校では、聖歌隊の顧問だった蓮沼先生に、アートやクリエイティブと本気で向き合うには、自分を限界まで追い込まないといけないことを習った。

誰一人が欠けても、僕は今の僕にはなれなかっただろう。いや、もっというならば、先輩や後輩、クライアントや仲間、あるいはその時々のパートナーから、時には苦手なあの人からもいろんなことを学んでいるから、今の僕はある。ここには書ききれないくらいの無数の出会いが、僕を僕にしてくれた。

そんな無数の出会いと、何人かの忘れ得ない師匠の中でも、今の僕がクリエイティブディレクターという仕事をする上で、根幹になっている考え方を教えてくれた人がいる。

暁星中学・高校の柔道部の監督だった鈴木義和先生だ。意外かもしれないが、10代の頃に、鈴木先生に柔道を教えていただいたこと、柔道部の主将を任せていただいたことが、今でも僕の仕事に対する考え方のベースになっているのだ。

そんな鈴木先生が、先日、亡くなった。2021年1月29日。2年3ヶ月の闘病の間も、「大丈夫」という言葉を口癖のようにおっしゃっていたという。先生のご冥福を祈るとともに、少しだけ、先生から学んだことを文章にまとめておきたい。

正しさよりも、面白さ

ぼくは暁星学園という、幼稚園から小中高まで一貫の男子校で育った。まさかの14年間の男子校生活だ。そこで中学・高校の6年間を、柔道部で過ごした。鈴木先生にはその間ずっと、柔道だけではなく、いろんな部分で面倒を見ていただいていた。

どこにでもいるちょっと生意気な十代の一人だったぼくは例の如く、なんとなく教員の方々を舐めていて、意味もなく学校の授業を軽視していた。なんでか知らないけど、自分の方が賢いし、学校の先生から学ぶことなんてないと確信していた。新学期の初日、最初の授業で配られた代数の教科書を窓際の席から思いっきりグラウンドに投げ捨てたとき、ヒラヒラと白い鳩のようにベランダに落ちていったシーンなど、いくつかの情景が脈絡なく記憶に残っている。毎日の風雨や日光にさらされて、教科書は日に日に風化していった。授業なんて聞いている暇があれば、本と漫画を読んだり、映画を見たり、モスバーガーで玄米わらび餅シェイクを食べたり、ステーキ食いしん坊のライスおかわり無料を食べ尽くしたり、マクドナルドで近隣の女子校の生徒と話している方がよっぽど人生にとって意味のある時間だと思っていた。一周回ってその直感は必ず正しかったわけだけど。

それでも、柔道部は楽しかった。柔道部というと体育会系の厳しい縦社会をイメージするかもしれないが、監督を務めていた鈴木先生の方針で暁星柔道部は縦のヒエラルキーは緩く、中学一年生から高校三年生までの6学年が和気藹々と練習に興じていた。イメージ的には、「稲中卓球部」と「帯をギュッとね」の世界観を足して二で割らないような世界観だった。

メンタルを鍛えるために、九段下の駅前でストリートライブをした。ギターの弾けない柔道着の中学生がどうやって1日に5000円稼いだのだろうか。今となっては覚えていない。

運動会の部活対抗リレーでは、陸上部やサッカー部が必死に走る中、そもそも苦手な分野に取り組まされることに不満を感じたぼくたちは、バトンを受け渡すタイミングで走者の腕をとり、派手な技で投げ飛ばすパフォーマンスを仕掛けた。部員獲得のためのショーケースだと割り切ったのだ。

生徒会長でもあった僕は柔道部の部費をちょっと多めに請求して、総合格闘技イベントPRIDEのチケットを購入したり、KAMIPROという伝説の格闘技・プロレス批評雑誌を購読していた。明らかにやりすぎだが、十代はやりすぎくらいがちょうどいい。そういえば、柔道部主将だった僕が生徒会長になった時、映像制作を趣味としていた上ノ郷くんが『軍部が政権を取った、この学校ももう終わりだ』とテロリストみたいな目をして言っていた。

こんな一見すると柔道の練習とは関係ない、ふざけたパフォーマンスのたびに生活指導の体育教師に呼び出されて、ぼくたちは顔面を張られた。当時の暁星高校ではまだ「体罰」という概念は架空の存在だった。そして、多くの生徒が過剰に怖がるちょっとした体罰は、柔道部員である僕たちの肉体にとっては正直なんの痛みも与えられなかった。パフォーマンスの懲罰がパフォーマンスというのはずいぶん皮肉な話だな、くらいに思っていた。柔道部員が学校から叱られるたびに、鈴木先生も学校側から注意されてしまう。それでも鈴木先生は毎回、「お前ら、おもしれぇよぁ」と笑っていた。

正しいことはもちろん大事だけど、面白いこともめちゃくちゃ大事だ。これは青春時代のノスタルジーなんかでは、断じてない。広告の仕事でも、正しいことはもちろん大事だけど、正しいだけでは世の中は動いてくれない。だから、そこには面白さ、素敵さ、楽しさが必要なのだ。鈴木先生のおかげで、そんなことを高校時代に知ることができた。

強くなるには、好きになること

鈴木先生の柔道の指導の方針は、「厳しさより楽しさ」、「指導者の押し付けより生徒の自主性」、「覚えることより考えること」を大事にしていた。例えば、柔道の指導では一般的には、最初は基礎体力をつけることや基本的な技術の反復から始める。しかし、鈴木先生は、新入部員にいきなり技の型を教えて、ボンボン先輩部員を投げさせた。柔道の楽しさを覚えるのが最優先で、それさえ覚えたらあとは勝手に練習するようになる、という考え方だ。実際に柔道部の練習は楽しかったし、サボる生徒もほとんどいなかった。意味もなく柔道場に集まって、自主練と称してプロレスごっこみたいな時間を無限に過ごしていたのは今でもいい思い出だ。

また、練習時間の中でも、「技研」という時間を大きく割いていた。これは「技の研究」という意味で、生徒たちが自由に基本の技の改良方法を考え、実際に技を掛け合って検証していくことだ。オリンピック選手の技を映像で見て真似したり、プロレスや総合格闘技・ブラジル柔術・レスリング・サンボの技を研究し、柔道に取り入れた。

鈴木先生は奔放すぎる生徒たちの、研究という名のじゃれ合いをニコニコ見守っていて、たまに意見を求めると、それがどんな無邪気な相談でも、真剣に、本物の柔道の技術を応用して答えてくれた。オモプラッタやデラヒーバといった当時はマニアックだったブラジル柔術の技術は実際に柔道の試合でも大活躍した。当時、絶頂期のプロレスラー武藤敬司に憧れていたぼくは、シャイニングウィザードの入り方を応用した三角絞めを得意技にした。誰かに教えてもらった技よりも、自分で考え抜いた技の方が身につくものだ。思考を重ねること、視野を広く持つことが結果的に勝利に結びつくことを体感的に学んだ。

生徒たちのじゃれ合いを無駄な時間と断ずることは簡単だ。技だって教科書通りに教えた方が早い。もっと早く強くなる方法はきっといくらでもあっただろう。それでも、鈴木先生は僕たちが自分の頭で考え、柔道を楽しむことを応援してくれた。いつだったか「どうやったら柔道が強くなりますか?」なんてストレートな質問を投げかけたことがある。先生はニコニコしながら即答してくれた。

「柔道を強くなるにはな、柔道を好きになることだよ」

鈴木先生は、生徒が柔道を好きになることを最優先に指導していたのだ。
実際に、鈴木先生が監督をしている時代に、暁星柔道部は東京都で三位、全国大会に3回出場という結果を残している。暁星学園という偏差値重視の進学校で、これだけの成果を残したことが、鈴木先生の指導方針の正しさを証明している。

愛すること、楽しむこと、思考し続けること。

今、ぼくがクリエイティブディレクターとして仕事をする上でも、この三つはもっとも大事にしていることだ。クライアントのブランドを愛し、ちょっとくらいしんどくても広告やサービスを作ることを楽しみ、少しでも品質をよくする方法を思考し続ける。どんな仕事にも通じる、もっともシンプルで本質的な極意。そして、この三つは決して簡単なことじゃない。愛するには覚悟が必要だ。柔道は痛い、練習はしんどい、仕事はどんな仕事でも大変だ。美しい部分だけではなく、醜い部分、汚い部分、面倒な部分も熟知して、それでも愛するのだ。また、楽しむには技術が必要だ。柔道も、仕事も、うまくいかないことばっかりだ。それでも、少しずつできないことができるようになっていく過程を楽しむ。最後に、思考し続けることは忍耐の連続だ。答えが出ないことを答えが出ないと知りながら、答えを出そうとあがき続けること。簡単なはずがない。こんなに大切なことを、ぼくは中高6年間、鈴木先生に柔道を通じて習っていたのだ。

タイミングと、角度だよ

鈴木先生が具体的に技を教える時に、よくおっしゃっていたのがこの二つだ。スピードよりも、タイミング。パワーよりも、角度。

進学校だった暁星学園では、部活の練習時間は決して大事にはされない。
中間試験・期末試験の直前は部活は制限されるし、そもそも練習時間は週に5回と、強豪校に比べたら決して多くはない。さらに、柔道部にスカウトや特待生はいるはずもなく、部員はみな中学から柔道を始めた人間ばかりだし、身体も決して大きくはない。そんなぼくたちが、柔道という格闘技で競い合う時に、身体能力でも練習量でも及ばない、強豪校のスポーツエリートと対等に向き合うにはどうすればいいか。

一番最初に大事なことは、スピードとパワーで勝負してはいけないということだ。それをやる限り、身体能力で勝負がついてしまう。練習量や元々の素質で劣る進学校の生徒であるぼくたちが勝つためには、相手の意識が外に向いた瞬間をいかに狙うか、もっというとどうやってその瞬間を意図的に作るかを考えるしかないのだ。あらゆる手練手管を使う。フェイント、だまし討ち、油断させるためのブラフ、試合時間をフルに使って戦略を立てる。なんなら試合前から情報戦を始める。試合直前は相手の控え室の近くで嘘の得意技の練習を見せるとか、他の部員の柔道着を着てウォーミングアップすることで体格を誤認させるとか、考えられることはなんでもやった。そして、練りに練って、相手の意識が逸れた千載一遇の瞬間に、もっとも力を発揮できる角度を意識して一撃を入れる。

最高のタイミングを狙い、適切な角度で技を打つことができれば、スピードとパワーがはるかに上の相手でも投げ飛ばすことができる。簡単ではないが、進学校の軟弱でひ弱で頭でっかちなぼくたちが強豪校に勝つためのたった一つの冴えたやり方だった。

今でもぼくが仕事をする上で、もっとも大事にしているポイントは、この時に身につけたタイミングと角度という考え方だ。タイミングとは、社会の流れを読み、企業にとって最適な情報発信すべき時を発見すること。もちろん人間関係においてもタイミングが重要なのは同じだ。クライアントやチームのメンバーが一番調子いいときに相談することでパフォーマンスは何十倍も変わる。あるいは逆に激しく落ち込んでいるときに側に寄り添う。計算高くて嫌な言い方かもしれないが、こういう時にできた絆が一番深くなる。

また、角度とは、競合ブランドや、時にはユーザーも想像していない角度から新しい意味を見出し、社会に提案することだ。キングダムはビジネス本だし、JINSのウルトラライトエアフレームはニューノーマルの暮らしのためのメガネだ。もちろん人間関係においても角度は大事だ。褒めるときはその人が気づいて欲しい、しかし、周りの誰も気づいてない角度から褒めるといいよ。

タイミングと角度がピタッとハマれば、市場間の競争において、資本や組織力、あるいは知名度で圧倒的に劣っていても、誰もが勝てないと思うような格差があっても、どんな危機的な状況でも、ひっくり返すことは可能だ。高校時代からずっと、僕はそう信じている。GOは行動指針の一つに『最短距離で急所を刺せ』という言葉を掲げている。これも鈴木先生の言葉だ。

奇跡はタイミングと角度でできている。一発逆転はどんな状況でも可能だ。鈴木先生に、柔道を通じて体に叩き込んでいただいたことが、今のぼくの仕事の根幹にある。柔道も、クリエイティブの仕事も、その醍醐味は、きっとこういうことだと思うのだ。

先生、ありがとうございました

こうして文章にして振り返ると、中高の6年間、鈴木先生に柔道を教えていただいたことが、ぼくの人生にとってものすごく重要なことだったと改めて思う。

高校を卒業した後、ぼくは最後の卒業式でちょっとだけやんちゃな企画をやりすぎて、母校である暁星高校に出禁という前代未聞の面白い処分を食らうわけだが、それはまたいつか別の時に。そんな中でも柔道場は聖域だった。早稲田大学でイベントサークルの代表になっても、社会人として博報堂のマーケッターになっても、ぼくは鈴木先生に会いに柔道部の練習に顔を出した。

「会社でこんな活躍してますよ」

「今度チームを任されました」

「海外でも評価される賞をとりました」

鈴木先生は、いつお会いしても、「たかひろ、相変わらず面白ぇな」と言って、ニコニコ迎えてくれた。正直、いくつか見栄を張った報告もしてしまった。特に社会人になりたての頃だ。なかなか芽が出ない。思うような自分になれなかった時は、広告の仕事を知っているわけではない先生に、調子よくうまくいっているようなことを言ったような気もする。もしかしたらバレてたかもしれないし、正直、先生にとってぼくが広告代理店の社員として会社でどう評価されてるかなんてきっと興味もなかっただろう。仕事を愛しているか、楽しんでいるか、考え続けているか、それだけをお伝えすればよかった。どんな時でも、それだけは続けていたと断言できるからな。

しかし、時の流れはとめどない。今は、暁星学園に柔道部はない。そして、鈴木先生も遠くの場所へ、旅立ってしまわれた。僕が博報堂という大きな会社から独立し、自分の会社、GOを立ち上げてからの直近のこの5年間は年に一度くらいしかお目にかかる機会はなかった。

嘘だ。

詰め込みすぎたスケジュールを言い訳に、ぼくは先生にお会いすることをサボった。情けない。悲しい。申し訳ない。恥ずかしい。悔しい。馬鹿らしい。信じられない。虚しい。悲しい。悔しい。情けない。しょうもない。先生にもっと仕事を見て欲しかった。もっとくだらない話をたくさんしたかった。

ぼくが喧嘩で同級生を怪我させてしまい、学校を停学になった時はさすがに鈴木先生に叱られた。でも最後に一言、「たかひろ、喧嘩で素人を怪我させることを強さとは言わないよ、喧嘩で使えない柔道も意味ないんだけどな」
って言われた時、どれほど救われたか。

「体落としから押し込んで巴投げ」という技のコンビネーションを教えていただいた時、わかったような顔していたけど、正直今でも理屈がわからないです。先生、あの連携はどう考えてもおかしくないですか?

ぼくがクリエイティブディレクターとして、経営者として、仕事をしていく上で、一番奥底にある思考の構えは、確実に鈴木先生に教えていただいたものだ。こうして文章にすることで、改めて、はっきりと意識できた。これからも、ぼくはこの構えを一番の武器として、仕事を続けていく。

正しいことは大事だけど、面白さを忘れてはいけない。

仕事を愛し、楽しみ、考え続ける。

スピードよりもタイミング、パワーよりも角度を意識して、一発逆転を狙い続ける。

最後に

鈴木先生、長い間、本当にありがとうございました。不出来な弟子でしたが、先生に教えていただいたことのおかげで、今もなんとか仕事をしています。

告別式の最後のご挨拶の時、取り乱してしまい、すみません。

しんどい時こそ笑えって、稽古の時、よくおっしゃってましたよね。

あれ無理っすよ。

難しいことを簡単そうにいうよなぁって、当時からずっと思ってました。

でも、僕なりに一生懸命やっていきます。しんどいこと、たくさんありますけど、なるべく笑っていきます。

ありがとうございました。

ありがとうございました。

鈴木先生。


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