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神々のおわす熊野 つぼ湯

足を入れると、熱い!こわごわ体を沈めるが、
とてつもなく熱い。
うめ湯をいれ、どっぷり浸かった。

これぞ、熊野古道の名湯ひとり占め。

つぼ湯につかり蘇った小栗判官 歌舞伎 

1800年まえに発見された日本最古の湯の峰温泉は、
交通不便のせいか、ひなびたたたずまいを残している。
 
2004年、湯の峰の「つぼ湯」が、混浴の共同浴場として
世界でただひとつ、世界遺産に登録された。

この湯を浴びるのが、旅の目的のひとつ。
ただ、このところ、順番待ちが長く入れぬこともあるとか。

「今、開いている」、番台へ電話してくれた宿のご主人のひと声で、
夕暮れのなか、すっ飛んでいった。
 番台で番号札をもらい、やや離れた河原にある
掘っ立て小屋みたいな木戸に突入した。

つるつるの石段をそろりと下りると、
ふたりも入れば満杯で自然石をくりぬいた湯つぼがあるだけ。
かけ湯で身をきよめ、世界遺産の湯にひたった。
まるい川石を敷いた底から90度をこえる源泉がわき出ている
 
お湯の色は白っぽい青、一日に7回も色が変わるという。
裸電球ひとつがぶら下がるうす暗いなか、体がじんじんと温まる。
うーん、これって、しあわせ。

藤原定家は「熊野におわす神の社」の神域を遠望し「感涙禁じ難し」と伏し拝んだ

平安のころから熊野詣の湯ごり場で知られ、
湯の峰で身をきよめ巡礼は、熊野本宮大社へむかった。

ちなみに、「くま」とは「神々のおわす奥まった地」
意味する秘境の地であった。
 
後鳥羽上皇の熊野御幸にお供した歌人の藤原定家。
殿上人だが二流貴族・左近衛権少将の定家は
板敷もない土間の仮屋をはね起きて、
夜が明けぬうちに先発し上皇一行の食事、儀式の段どり、
宿の手配などに駆けずりまわった。

定家が分け入った中辺路

『明月記』に「いまだ一事も書けず」とぐちっている。
定家は、つぼ湯でその日一日の疲れをいやしたか


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