さらばグラダナ、わが愛を!
晩秋、観光客があふれるアルハンブラ宮殿をさけ、フェネラリーフェに足をむけた。
アルハンブラ宮殿は城塞であり、イスラムの王が政務をとる場で、その住まい。
フェネラリーフェは、王の離宮で女人禁制であった。宮殿とは谷ひとつ隔てた丘にある。
そこは人もまばらで別天地であった。
ひそやかにひびく水音がする。イスラム庭園の粋「水路のパティオ」。
静かな空間に、いっそうの奥行を与える水の音。
日本庭園の鹿威しの、まわりにひびく澄んだ音だ。
これはオリエントの世界。
さらに奥へすすむと「水の階段」がある。
階段の手すりに彫りこんだ水路を水が勢いよく流れている。しぶきがとび散ることはなく、水音はいちだんと大きい。
鬱蒼とした木々のもとで、イスラムの王は臣下と内密の話をしたという。
水に手を浸したら、かなり冷たい。
夏も雪をいだくシェラ・ネバダの山々からとおく導かれる水だからだろう。むかしから水に苦しむアラブの水処理技術は高い。
水を使った庭園の極致とされるこの離宮は、14世紀ごろに完成した。
ここの水音に、イスラム文化の頽廃的までに研ぎすまされた感覚と繊細さにふれた。
水飲み場でごくりと飲んだ水は清く冷たい。
が、この国がたどった道を思えば、カトリック、イスラム、ユダヤの三つがまじりあったかのような味わいを感じた。
1492年、スペイン最後のイスラムの砦グラナダは、イザベル女王のキリスト教徒軍に無血開城した。
敗軍の王ボアブディルは、遠くモロッコへ落ちのびて行くとき、
地上の楽園アルハンブラを丘の上から振りかえり落涙した。
「さらばグラダナ、わが愛を!」
いまもこの丘は「涙の丘」と名をのこしている。
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