イケスのウツボ④人造マグロ
ウツボは、イケスの網の隙間から見上げるように中を見た。
「なんなの。こいつらは?」
「マグロだよ」
メス蛸が言った。
「マグロ?」
「そうよ、相撲取りみたいな体してるでしょ。」
「こんなデカい魚始めて見たよ。」
メス蛸は微笑む。
「マグロっていうのはさ、私たちが行くことができない遙か遠くの大海原を回遊していて、止まらないでずっと泳いでるんだ。」
「止まらないで泳ぐって、マグロって眠るときはどうするの?」
「マグロは泳ぎながら寝て、寝ながら泳ぐのさ。」
ウツボは、驚愕した。
「じゃあ、温泉が湧き出るお風呂に入ったりできないの?」
メス蛸は、含み笑ったままで、
「そんな事しないさ。噂で聞いたことがあるんだけどね。マグロたちは、止まると死んじゃうらしいのよ。私たちと違って、泳ぎ続けることが、彼らにとって生きることそのもの。泳ぐことをやめれば、それは死を表すって訳ね。」
ウツボは、マグロたちがイケスをぐるぐる泳いでいる姿を見て、なぜこんな狭い所にいなくちゃいけないんだろう。大海原で思いっきり泳げばいいのにと思った。
ウツボの気持ち察したかのように、蛸入道が口を開いた。
「おい、ウツボ。あれ見てみろ。」
と、蛸入道が6本の内で一番長い足で海面を指した。まばゆくキラキラする海面を見上げると、ポチャンポチャンと黒い塊のようなものが次々と落ちてくる。その落ちてきたモノを、回遊しているマグロたちが勢いよく食べていた。
「あれは、さっきお前が口にした餌だ。」
その餌のカケラが、イケスの隙間から流れてくる。アジやオコゼ、ヒラメに鯛などイケスの周辺で群がっている魚たちは、殺気だち、そのカケラを我先にと頬張っていく。
ウツボの目の前にも、ゆらゆらと小さなカケラが流れてきた。
良い香りがする。
その香りにつられて、ウツボも口に入れた。やっぱり旨い!
それを見た蛸入道が、錆声で言った。
「旨いか?」
「うん!」
「それを誰が作ったと思う?」
「えっ?誰って・・・。」
そう言えば、これは何だろう。あまりのおいしさに誰が作ったかまで気にしていなかった。
「人だ」
「ひと?」
「ああ、人間だ」
ウツボは、蛸入道の言い方に、背筋に凍るような冷たいものを感じた。
「人間ていうのは、この海の中で住んでるわけじゃないが、暴走族みたいな爆音ならして、船で海面を走ったり、こんな訳の分かんねえでっかい網や釣り糸を垂らして魚をさらって食べるんだ。あいつらは、まるで悪魔だ。」
「悪魔?」
「ああ、こいつらマグロは、人間の手で孵化させられて、あの餌を喰わされて、大きくなったら人間に喰われる運命にあるんだ。こんなことできるのは悪魔しかいねえ。」
「じゃあ、あのマグロは人間が作ったって事?」
「そうよ。まあ、マグロの連中が、いつか人間に食べられる運命にあるのを知っているのどうかはオレには分からない。ただ、あいつらにとってこのイケスが牢獄なのか、それとも一生食いっぱぐれることがない楽園なのか・・・。」
メス蛸が口を挟んだ。
「楽園に違いないさ。思いっきり食べられるなんて、こんな幸せなことはないわね。人間も私たちを飼ってくれりゃあいいのに。」
蛸入道は、メス蛸の言葉を鼻で笑った。
その時、再び人間の餌がひとかけら、ウツボの目の前に流れてきた。
・・・続く。
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