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雨の日、晴れの日、ピアノの音

氷の家に住むエルサの斜向かいには、
乾いた砂漠の家がある。
そこにはフィリッピ皇子が住んでいる。
フィリップもエルサと同じ5歳で、通う幼稚園も同じだ。
エルサとフィリップは幼稚園で過ごす3年間、
同じ先生から教わったことはないけれど、
幼稚園の廊下ですれ違ったり、
いつもお互いの家の窓から遊ぶ声が聞こえてきたり、
近所の公園ではたまに一緒に遊んだりしているから
なんとなくお互いの事は気にかけていた。
エルサのパパやママもフィリップが遊んでいると
ヤッホーと声をかけ、
フィリップのパパやママもエルサを見かけると
「今日も綺麗なドレスを着てるね」
と褒めたりするような一軒家が集まる住宅地では、
ありふれたご近所付き合いをしていた。

乾いた砂漠にピアノの音

砂漠の家に住むフィリップには、
3つ離れた2歳のマルガリタという妹がいる。
まだ、足元もおぼつかないよちよち歩きで、
エルサの妹のアナがマルガリタ1つ年上で、
氷の家ではいつも赤ちゃん扱いされるアナが
マルガリタと出会うと、ここぞとばかりに
姉御肌を発揮して、マルガリタを抱きかかえ、
マルガリタちゃんよしよしと赤ちゃんのように
愛おしむ。
あまり背丈も変わらない小さな妖精の姿を
ママ達は慈しむように眺めていた。
フィリッピの父は、テレビCMで観ない日はないだろうと
いうくらいの名の知れた一流企業に勤めていて、
この近所の界隈ではみんな勤め先への出勤に、
バスや電車で行くけれど、
フィリップの父は、毎朝、いい車で出勤していた。
夜は夜で、だいたい子供達が寝静まるくらいまで
家の車庫は空っぽだった。
フィリップの父が休みの日には、
朝早くからお昼くらいまで、フィリップと一緒に遊ぶ。
まさに子煩悩という文字に相応しい父だった。
エルサも、家の窓から外を見ると
フィリップとフィリップの父が遊んでいるので
それが週末の当たり前の光景だと思っていた。
この地域では珍しく、
雪が降った朝には、
キャキャキャとパパと遊ぶフィリップの声が、
エルサの家の閉め切った窓から
隙間風ように流れ込んできた。
エルサのママはそのフィリップの声が、
家の中を暖かくしてくれるようなそんな心地がしていた。
でも、桜が咲いて、花が散り、青い息吹の新芽が出始める頃、
窓の外にはフィリップとフィリップのパパが遊ぶ
ほのぼのとした光景をあまり見かけなくなった。
その代わりに、
砂漠の家からはピアノの音が聞こえてくるようになった。
その音は最初、ド・レ・ミと単音だけだったのが、
次第にリズムに変わって、すぐに音楽になった。
最初は、ねこふんじゃったを練習する音がよく聞こえてきたが、
しばらすると、ジブリ映画、
千と千尋の神隠しの主題歌「いつも何度でも」の旋律が
聞こえてくるようになった。
その音の振動が、
エルサのママやパパの心の琴線に触れた。
エルサのパパは、
キレイな音が斜向かいのフィリップ皇子の家から
聞こえてくるけど、
まさか5歳のフィリップがこんなに上手に
弾けるはずがないと勝手に思い込み、
フィリップのママが家事の合間で気分転換にでも
弾いているのだろうと思っていた。
エルサのママは、
自身がピアノを習った経験もあったので、
フィリップ皇子が弾いているに違いないと
確信めいたものを持っていた。
氷の家の夕食時には、
ママとパパは、
あれは誰が弾いているのだろうと
議論の争点にもなった。
ある日、砂漠の家から
獣の咆吼のような野太い怒鳴り声が聞こえてきた。
その声にエルサのママは背筋からゾクゾクッと震える恐怖を感じた。
その声の主は、男性程の野太さはなく
どうやらフィリップのママのようだった。
怒鳴り声は聞こえてくるが、
その内容までは聞き取ることはできい。
いったい誰に怒鳴ってるんだろう。
フィリップのママは、気兼ねしないで
はっきりモノを言う人なので、
主張の少ない子煩悩な旦那さんと
夫婦喧嘩にでもなったのかと思った。
とういうのも、以前、
幼稚園の前でこんな話になったことがあるからである。
「フィリップのパパは週末になると
皇子とよく遊んでやさいそうですね」
とエルサのママがフィリップのママと立ち話になった。
「全然やで、あの人、外面めちゃいいかならな。
家の中では、家のことも子供の面倒も、なンもせンで。騙されたわ」
人はだいたい外で見る顔と、
内で見る顔は違っていたりするモノで、
外の人間が思っている以上に
夫婦間ではそのギャップが激しく感じることもあるし、その逆もある。
そんな立ち話もあって、いよいよ家庭内不和に発展していったのだろう。
しかしフィリップのママの怒声は、
それから毎日のように聞こえ聞こえた。
お化粧をしている静かな朝に。
子供達がプールで遊んで疲れて寝てしまった午後3時半に。
鉢植えに水やりしいる夕暮れ時にも。
フィリップのママの怒声が聞こえるようになってから、
エルサのママはふと気が付いたことがあった。
フィリップのパパの良い車が停めてある車庫が、空っぽだった。
そして怒声がとどろいている今まさに、空っぽなのだ。
ということは、
フィリップのママは誰に怒鳴っているのだろう。
鉢植えの水やりしていた蛇口をひねり、耳を澄ませた。
「・・・こぼすなよ!!こぼしたらもう作らんからな!!・・・(マルガリタの泣き声)・・・。うりさい!黙れ!」
夕暮れ時にこぼすなよというのは、5歳のフィリップに。
うるさい!黙れは、泣いている年端もいかない2歳のマルガリタに・・・・。
いつも明るく気さくに話しかけてくれるフィリップのママが、
道路工事で交通整理をしてる警備員のような
野太い声で怒鳴っていること自体信じられなかった。
エルサのママたちが
この地域に引っ越してきてから最初に
仲良くしてくれたのが、
フィリップのママだった。
敬語いらんから普通にいこうと
すぐ打ち解けてくれて、
地域のママさんの誰にでも気さくに
話しかけるフィリップのママが
怒鳴る矛先は子供達に向けられていたのだ。
そういえば、最近、ずっとフィリップのパパは
帰宅していないようで、
ママのワンオペでストレスが究極に溜まっているのだろうか。
もともと鬼嫁の素養があって、
旦那さんも愛想を尽かせて帰ってこないのだろうか。
それとも旦那さんが不倫でもしているのだろうか。
ご近所さんとは言え、夫婦事情まで、
正直、分からない。
でも、ワンオペのストレスのはけ口として
子供達を罵り、恐怖に陥れているのなら問題だ。
子供達を罵る母親の問題なのか、
家に帰らない父親にももちろん責任はあるだろう。
大きな声で叱らなければならないほどの過失を
子供がしてしまっているのかもしれない。
いろんな事を考えると、
エルサのママの心は沈んだ。

エルサのママが幼稚園にエルサを迎えに行ったある日、
幼稚園帰りのフィリップ皇子と家の前でばったり会った。
「お帰り~。最近、ピアノの音がよく聞こえるけど
フィリップちゃんが弾いてるんでしょ?
ウチのパパも、上手だね、スゴいねって言ってたよ」
「あー!びっくりした~。怒られるかと思った」
とフィリップ皇子は答えた。
大人がピアノの話をしただけで、
反射的に怒られると思ってしまう。
余程、日常的にピアノの事で
大人から怒られているのだろう。
怒鳴られて育った子供は、
脳の前頭葉部分が萎縮してしまって
感情のコントロールがうまく出来なくなり、
キレやすい人間に育ってしまったり、
自分を守るために無感情、無感覚になり
感情の表現ができない大人になってしまう
と何かの本で読んだことがある。
エルサの幼稚園では、誰かを傷つける言葉、
乱暴な言葉使いをチクチク言葉といって、
先生は3歳や4歳の子供達にチクチク言葉は
辞めないさいと教えている。
それでも、家に帰った子供達は
容赦なくチクチク言葉を浴びせかける。
それでいて、幼稚園でトラブルが起きれば
幼稚園の責任したりする。
テレビでもチクチク言葉が溢れ、
ネットの世界でも誹謗中傷、インプレゾンビと、
人を死に至らしめる程の呪いの言葉が溢れている。
遠い国の戦争や近隣諸国から打たれるミサイル、
領土内への海域進入が報道されている漠とした不安の中で
頭の良い博士は質量のない情報社会の中を
悠々と泳いで、ジョーズが現れるときの
チェロの不吉な警鐘をテーマ曲に
あらゆる媒体にネガティブワードを投下していく。
印税や広告収益という戦利品で、
直下型地震を避けて山にこもって鳥の写真を撮っている。
キリスト教もイスラム経も仏教も
数百数千通りの千変万化に繰り広げられる
万華鏡のように解釈が出来る原初的な言葉の教えを、
無理矢理、もっともらしく真理にして
無理矢理にでも、聞きたくない人の耳に言葉を突き刺し
正しい教えだと説いていく。
本当の真理なら北朝鮮の独裁者から
ただいま選挙真っ只中のアメリカ大統領まで
その真理を届けてくれないだろうか。
人は成長しなければならずと言われ、
成長すれば行きすぎた電脳社会で
人はありのままにいきるべしと逆説的に説かれる。
本気で考えれば脳内はカオスでしかない。
アインシュタインにも分からないことがあったこの世界、
世界は矛盾で溢れている。
その矛盾はダイバシティという素敵な
言葉に置き換えられて、
煙に巻かれていく生きている氷の家の住人や砂漠の家の住人たち。
幼稚園の先生が言う言葉と親の言葉が違う世界。
ダイバシティ・多様性という簡単な一言で
かたづけられる世界で子供たちは育っていく。
昨日も今日も明日も明後日も。
そして、見上げると雲が泳ぎ、
雨の日も晴れの日も、
窓からはピアノの音が流れこんでくる。
私はその音だけを聞いていたい。

♪「いつも何度でも」♪
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る

映画「千と千尋の神隠し」より 作詞:覚和歌子 作曲:木村弓



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