イケスのウツボ③蛸入道の嫁
ウツボは闇にいる。深い深い闇の中にいる。遙か遠くから聞き覚えのある音が聞こえる。
グーッ。グーッ。
渦に巻き込まれたけど。なんだろう。おかしな気持ちだ。僕は死んでしまったのか。向こう岸に行ったのか。
グーッ。グーッ。
ウツボの鼓膜に響くその音は、だんだんと大きくなる。そして、ウツボの目の前がうっすらと明るくなる。
あっ、腹の虫だ。
視界が戻ってきた。目の前が霞むんで何か見える。
あっ!あいつだ!逃げなくちゃ。
ウツボの目に映ったのは、あの蛸の姿だった。しかし、体が動かない。鉛のようにひどく重い。それでも、お腹はグーッグーッと鳴り続けた。
「腹減ったぁ。」
ウツボは空腹で動けないのか、それとも、蛸に痛めつけられたから動けないのか分からなかった。おそらくその両方だろう。そしてウツボは体のどこか動くこと所はないかと確かめてみた。尾びれ、背びれ、胸びれ。しかし、どこも動かない。でも確かに分かったのは、エラだけが動かせた。そのエラを動かし、新鮮な水を体内に送った。それを何度か繰り返していると体に暖かいモノを感じた。すると、僅かに尾びれが動いた。次に背びれ、そして胸びれが動いた。徐々に徐々に、ウツボは、生気を取り戻していった。
霞が掛かったようなぼんやりとした視界に写っていた蛸の姿がはっきりとしてきた。ウツボは、体にまた蛸の足が巻き付いていることに気が付いた。
しかし、その足はウツボに恨みを込めて締め付けているわけでもなく、むしろ優しくいたわっていた。
「目が覚めたかい」
女の声だ。よく見ると、さっきウツボをしめっころそうとした蛸であない。
「すまないねえ。ウチの人が乱暴して。こんな小さい子なのに、かわいそうに。」
とメス蛸の足が、ウツボの頭を撫でながら言った。
「この人ったらね、昔、足をね、ウツボに食べられちゃったのよ。2回も。だからね、ウツボに対しては、すごい憎んじゃっててね。あなたを絞めちゃったのよ。」
「ボク、ウツボなの?」
「えっ!?ハハハハッ。あんた自分が誰なのか知らずに生きてきたのかい。まあいいや。あんたはウツボだよ。」
ウツボは、自分がウツボだ聞いて、なんとなく腑に落ちない精神的バランスを欠いて、それでいて、その言葉が自分の運命を左右する神のお告げのようなフワフワした感覚になった。そして、つい聞いてもどうしようもない事を聞いてしまった。
「ウツボっておじさんより強いの」
メス蛸は、子供の他愛のない質問だと思った。
「そうね。あなたが大人になったら、そのうち分かるわ。さあ、これでもお食べ。」
と、メス蛸は固形物の小さな塊をウツボの口に入れた。ウツボは力なく飲み込んだ。
「うまい。」
ウツボは、こんな旨いものをこれまでに食べたことがない。鼻から抜けるジューシーな香りとほんのり甘くてコクのある味だ。
「おいしいだろ。」
そう言いながらメス蛸は相好を崩した。
ウツボは、胃袋に食べ物が入り、少し動ける元気をとりもどしてきたのでメス蛸の足から離れた。
「ちょっと力が出てきたかい。」
少しだが食べ物が入ったウツボの胃袋は、もっともっと食べ物を催促するようにグーッグーッ泣き出した。
「これ何なの。おばさん。」
「あら、元気が出てきたみたいね。あれを見てご覧」
とメス蛸は、足でイケスの中を指さした。
イケスの中には、あのデカいナリをして俊敏に泳ぐまるまる太った魚たちがいた。
ウツボは、イケスに近寄ろうとしたが、あの蛸入道が網にへばりついているので躊躇した。
「あんた。およしよ。この子まだ小さいんだから。」
メス蛸が蛸入道に釘をさすように言った。
蛸入道は、ウツボを一瞥して、舌打ちをした。
「怖がることないよ。さあ、おいで。」
メス蛸は、そう言うとウツボをイケスの近くに誘った。
・・・続く。
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