イケスのウツボ⑤イケスの中で
ウツボは、目の前に流れてきた餌のカケラを口にいれた。
「やっぱり旨い!」
舌の上でとろけるような味わいで、エラから濃厚でジューシーな香りが抜ける。餌が次から次に流れてくる。ウツボも次から次に流れてくる餌を頬張っていく。
「ああ、旨い。それにしても旨い!」
餌の旨さにウツボは周りが見えなくなっていく。そして、イケスの編み目の隙間から中に思わず中に入ってしまった。それでもウツボは餌のカケラを次々に食べていった。
爪楊枝みたいな細い体にどんどん大量の餌が胃袋に収容されていくので、体の真ん中だけがコブのように大きく膨れあがった。
ウツボは気がつくと、胃袋がはち切れそうにパンパンになっていた。ゲップをすれば、胃袋の餌がそのまま飛び出してきてしまいそうな程に食べてしまった。
でも、こんなに胃袋も心も満たされたのは、生まれて初めてだった。
振り返れば、ウツボの人生は、ただただ飢えとの戦いだった。
体がニョロニョロと長いだけに早く泳ぐこともできず、餌となる小魚を捕まえることもできず、穴ぐらに隠れて、獲物が来るのをじっと待つだけの人生。
ウツボは、はち切れそうな程に膨れ上がった胃袋の幸福感に浸った。
まだまだ餌は流れてきていたが、食べ過ぎてウツボの体は、もう動かなくなってきた。ぼっこりとした胃袋が邪魔で、にょろにょろ体をくねらせて泳げない。動かせるのは尾びれや背びれのヒレだけだった。
そして、ウツボはなんとかイケスに入ってきた隙間まで辿り着き、その穴を通って外に抜け出ようとした。
しかしパンパンの胃袋が網の目につっかえてしまう。
「ああ、やっぱりか。」
「あんた良いわね。腹一杯食べられて。」
外からメス蛸が言った。
「お腹がつかえて出られないよ」
「出てこなくて良いんじゃない。その中にいれば、これから毎日腹いっぱい食べられるし、それに蛸のとっつぁんみたいに、敵に足を食べられるようなこともないだろうしさ」
と、メス蛸は、蛸入道の失ってしまった2本の足の傷跡を見せた。
「それもそうだな。」
とウツボは思った。
回遊しているマグロたちに攻撃されることもないだろうし、このままココにいれば、めちゃくちゃ旨い餌にもありつける。
しかし、一抹の不安がウツボの脳裏によぎった。曇るウツボの表情を見たメス蛸が聞いた。
「どうしたのさ。」
「ここにいれば、マグロみたいに人間に食べられちゃうんじゃないかなと思って。」
「その心配はねえよ。」
と蛸入道が口を挟んだ。
・・・続く。
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