挑戦者の日々:キャリアと健康の間で奮闘する旅

私は1974年10月8日に熊本県で生まれ、熊本県で育ちました。家族は4人で、私は長男として育てられました。幼少期は泣き虫でしたが、小学生になると活発になり、ソフトボールやサッカーを楽しんでいました。

1996年、ソフトウェア開発会社でプログラマーとして社会人生活をスタートしましたが、残業の連日に耐え切れず、ノイローゼ気味になり退社を決意しました。その後、携帯電話販売会社で営業職として外回り営業を行い、携帯電話の普及期に活躍しました。営業成績も優れており、会社の旅行でオーストラリアへ行く機会を得ました。

しかし、その後は自宅で引きこもり状態になり、日夜逆転の生活を送るようになりました。そんな中、地元のJAで販売経理のOA事務に従事することになりました。インターネットの普及期であり、IT職へのキャリアチェンジを考え、JAを退職しました。

その後、地方自治体や地方自治体外郭団体で臨時職員として働きました。地方自治体では事務補助の業務を、外郭団体では障害者支援員として障害者授産施設での支援業務を行いました。そして、2004年には福岡県で地方自治体のシステムリプレイスプロジェクトに参画し、IT職に復帰することができました。

2006年には父の介護のため、地元の製造業会社でシステムエンジニアとして働くことになりました。さまざまなユーザーの要望に応え、システムの設計、開発、フォローなど一貫した業務を行いました。この経験を通じてVB.Netを独学で学びました。

2014年には精神科病院の院内SEとしてのキャリアアップのオファーを受け、精神科病院や臨床検査センターのカスタマーサポートを主に担当しました。成果を認められて部長に昇進しましたが、業務の多忙さと対人ストレスから体調を崩し、「うつ病」を発症し、退職することになりました。

その後、地元の製造業会社に社内SEとして入社しました。カスタマーサポートを担当し、社内プロジェクトにも参加しました。2020年には昇進して主任職に就きましたが、同時に「がん」を発病し、再び「うつ病」が悪化しました。そのため、障害と仕事を両立できる環境を求め、退社することになりました。

2022年1月からは就労福祉サービスの就労移行支援を利用しましたが、思うように一般職への採用につながらず、焦燥感と不安感が募りました。その後も一般就労を目指しましたが、失業給付金の受給期間が足りず、2023年1月からは就労継続支援A型を利用することにしました。

2023年2月からは週30時間のパソコン事務業務の事業所に採用され、プログラミング業務を行いました。しかし、福祉サービスの提供に違和感を感じ、短期間で利用を終了しました。

その後、さまざまなA型事業所を検討し、2023年4月からはNPO法人が運営しているA型事業所で働いています。在宅勤務も可能で、プログラミング業務を行っています。ただし、事業所の福祉サービスに対する解釈の違いに戸惑っています。

一方で、私の人生には病気との闘いもありました。2016年には業務の多忙さと対人ストレスから徐々に体調不良になり、診断結果として「うつ病」と診断されました。3度の入院治療とリハビリを経て、現在は寛解に近い状態ですが、定期的な通院と服薬治療を続けています。

さらに、2020年には右肘に腫瘤が見つかり、悪性腫瘍と診断されました。手術と皮膚移植を経て、広範囲の切除を行いました。現在の定期検査では再発や転移は見つかっていません。

これまでの人生では、さまざまな職業やキャリア、そして病気との闘いがありましたが、それぞれの経験は私を強くし、成長させてくれました。私はこれからも障害と向き合いながら、自分自身の能力を最大限に発揮し、幸せな人生を築いていきたいと思っています。

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