「自分が読むものを自分で選ぶ世界」なんて存在しない?
ソーシャルメディアが失っているものがもしわかっていたらどうしますか?
New York TimesのOpinionで気になった記事があった。
タイトルは、What if You Knew What You Were Missing on Social Media?
直訳すると、「ソーシャルメディアが失っているものがもしわかっていたらどうしますか?」という感じの意味になると思う。
この記事(というよりOpinion)は、アルゴリズムがSocial Media(特にX)で使われることで、個人に見せつけたい情報をコントロールすること(例えば政治のアジェンダを押し付けるなど)ができるようになったことを問題視し、それらに抵抗するためにEUの規制やスタートアップのBlueskyなどが方策を提示しているなどしていることを紹介している。
またアルゴリズムにも課題があることを示す研究があることを示した後、disinformationを受動的に受け取るのではなく能動的に情報を選択するように求めることに意味があるとしてこの記事は締めくくられる。
筆者の方がどんな方なのか正直なところよく知らない。だけども、とても真面目な人だなと読みながら思った。
アルゴリズム中心となったSocial Media時代にいたり、それに抗するように自分が読むものは自分で決めることができるべきだと主張する。めっちゃそうだな、と思う。
(なお、記事中ではユーザーが自分のフィードをコントロールするのはとても難しいと感じてることも紹介しているので、一応フェアかなとは思った。)
読みたいものや見たいものを自分で決めた?
しかし、そもそも昔から自分が読みたいものや見たいものを自分で選ぶことなんてできていたのだろうかと思わなくもない。
みんなが見ているものを見ている
自分の子どもの頃を思い出せば、読む本というのは流行っている本だった。図書館でいつも借りられて読めない本とか、教室で回し読みしている本とか。その中身が気になって読みたいと思ったし、実際に読んでいた。テレビ番組とかもそうやって選んでいた。
それが大学生になって場所が本やテレビからTwitterとかになっても、結局はみんながフォローしている人のツイートを見ていた。みんなと同じものを見ていた。
そしてそれはいまもあまり変わっていない。方法がソーシャルグラフからアルゴリズムになっただけで、スマートニュースも、はてなブックマークも、XもTikTokもInstagramも、みんながみているものをさらに見せる機構に他ならない。
マスメディアのバイアス
マスメディアを介していても、結局テレビのニュースも新聞のニュースも特定の会社の「ニュースバリュー」で決められている。もちろんNew York Times誌も例外ではない。そして特定の少数の会社が運営している以上、常にバイアスは存在する。
典型例がある。日本では今年、ジャニー喜多川氏の性加害問題がBBCの報道を機に話題になった。逆に言えば、日本のどの報道機関もこれまで世間の議論の俎上に載せることに失敗してきた。
アルゴリズム特有の課題
とするとここで問いたくなるのは、アルゴリズム固有の課題とはなんなのかということになる。
結論からいうと、実はないのではというのが僕の意見だ。
一見、アルゴリズム以外であれば一応何かしらの形で選択をしているように見える。
その理由は人の模倣かもしれないけれど、どの本を読むかは自分で読むと選択しない限り読むことはできないし、どのテレビ番組も見るかも自分が選択しないとそこにチャンネルを合わせない。
しかし、XもTikTokも「そのアプリを開く」という選択はしている。それは「新聞を購読する」という選択をしているようなものだ。新聞は届くが読んでも読まなくてもいい。同じようにアプリを開くが、そのアプリが提示してくる情報は読んでも読まなくてもいい。
読ませるような、中毒にさせるようなUIを作っているという話はあるが、一応それもまたユーザーの選択と言えなくもない。
アルゴリズムによる情報操作は問題なのか?
以上のことから、僕は「アルゴリズムによって読みたいものを自分で決められないのが問題である」というのは実は的外れな主張なのではと思っている。
人間は昔からずっと読みたいものを自分で決めてなどいないのだ。それは時間とか集中力といった人間の認知資源の制約によるものであって、アルゴリズムが現れて登場した新しい事象ではない。
今までも、そしてたぶんこれからも、人間は誰かに情報をうまく調理してもらわない限り情報を情報として認知できないのだ。新聞なりPostなりといったひとつのパッケージにしてもらうことで、やっと情報が情報になる。その操作は、アルゴリズムをベースにしたものであれ、人間による価値判断をベースにしたものであれ、必要なのだと思う。
そして重要なことは、本当に一切の情報が届かないことに比べれば現状はずっとマシだということだ。
終わりに
マスメディアも世界大戦の前後の時期は虚偽情報を流しまくった過去がある。世界中でそうだったが、日本も大いに反省すべき過去のひとつだ。
同じようにいまアルゴリズムがdisinformationを撒き散らしている側面は確実にある。だから今が問題だとは思う。
しかしいままで存在しなかった理想郷をいまここに作らんとす、というのもまた現実的なことではない。今の問題を矮小化もせず、誇張もせず、適切に認識することが重要ではないかと思う。
その事例として、最初に紹介した記事が挙げられそうだと思ったのでこの記事を書いた。
余談
ここから先は余談。
僕自身もフィードを自分でコントロールしなくなって久しい。TikTokはもちろん、InstagramもXも何もかもアルゴリズムに任せている。
その代わりにというか、フィードを見ている時間自体は減った感覚があり、(それこそNew York Timesも含めた)マスメディアの記事を読む機会が増えた。僕の場合は、朝日新聞、Wall Street Journal、New York Timesなどを購読して読んでいる。最近はArtifactsというInstagramの創業者が始めたニュースアプリ(?)を使って英語記事をアルゴリズムでキュレーションしてもらってもいるが、読んでいる時間は相対的には短い。
他にも、Substackなどで登録しているさまざまなニュースレター、ニュースコネクトなどのニュース系のポッドキャスト番組などがある。単発でその記事だけを読むことよりも、媒体として信頼できるかどうか(フォローする気になるか、自分が好きかどうか)が読む基準に最初から入っている。
つまり、僕はSocial Mediaでもない自分独自のnewsstandを構築しているのだ。またアルゴリズムの価値を認めてもいるのでゼロにはしていない。
しかし、アルゴリズムでは解決できないことがたくさんあることにも、僕は気づいている。
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