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まどろみの苛立ち情報化社会

まどろむ。

甘いものをやめて一週間と少しの時が経つ。
それの影響なのかは定かではないが、最近は夜寝付くのが難しくなった。
まるで昼間にブラックコーヒーの飲み過ぎで目が冴えてしまった時のように。
最近はカフェインだってあまり摂取せずに過ごしており、最後にコーヒーを飲んだのがいつなのかもわからない。

そもそも自分の体はカフェインにあまり耐性がないらしく、コーヒーや緑茶、コーラ、そういったものを夕方以降に摂るとその晩は眠れない夜を過ごすのがオチなのだ。
それが嫌なのもあって、そして節約のためにコンビニで買い物をするのをやめているのもあって、缶コーヒーの類は一切飲まなくなった。
それなのに、最近は寝不足気味である。

腹が減ったり、性欲を発散できなくなったり、酒を飲めなくなったりすると、人はストレスを感じる。
欲望の解放はストレスの解放に等しい。
自分は兼ねてから甘いものを摂取することでその貯まりやすいストレスの解放を望んでいたのだ。
それができなくなってしまった今、自分の日常にはたくさんのストレスが襲いかかる。
不安や苛立ち、倦怠感、色々なマイナスの感情が騒ぎ出す。
なんてことない日常のはずなのに、自分は何かに追われているような不安を胸に抱く。

5月に札幌に来てからというもの、自分は心のゆとりというものをいとも容易く失ってしまったように感じる。
もっとおおらかに余裕のある立ち振る舞いをしたいと考えても、心の中はどうしてか荒みがちだ。
別になんてことはないはずの日常に原因不明の影が落とし込まれる。
いつもいつも、自分の人生にはうっすらとした陰影がかかっており、薄暗い中で生活を送る。それが自分の求めていることではないのを知りつつも。
では自分はどんな生き方が似合うと言えるだろうか。

こうして毎日のように文章を書いて、何かのメッセージを紡いでいく。
これが誰かに届いてほしいという気持ちすらももはや忘れてしまいそうなほどに文章を書いていく毎日だ。
しかし文章にのめり込むということはそういうことなのかもしれない。

今読んでいる夏目漱石だって、まさか令和に生きる自分に向けてのメッセージ性など全くもってないに決まっている。
漱石がどんな人物だったのか、それを作品から読み込むのは難しいが、さすがに100年以上未来に生きている人間に届けるつもりもなかろう。
しかしそんな、まるで自分に向けられたものではないものに対して、自分は読書という形で情熱を傾けているのだ。
世間から漱石がどう評価されようとも、自分は自分なりにメッセージを読み解こうとする。
もはやメッセージなどという意味合いも含まれてはいなさそうだ。

文章とは、誰かにどうこうして伝えていこうとする意味合いを持っているのほかに、作品として、芸術としてのニュアンスも含まれている。自分の文章に芸術性があるのかはさておき、自分はメッセージを書いてしまわずとも、これを書き続けていくことを宿命としている。
そして自分は漱石を読む。メッセージ性などとは皆無のところで。

物事にはたくさんのメッセージ性が込められているという話はありきたりなほど聞いたことのあるものではあるが、そには限界があると思っている。
人はたくさんのメッセージを受け取るほどに幸せになれるものではないはずだ。
幸せの量は、受け取ったものの量ではない。
質とか量とかを気にしていては幸せは見えてこない。
見たいのはメッセージではない。
何かを発信すること、受け取ること、それらは時折の必要な場面で活用してあげられたらいいだけの武器にしかすぎない。

しかしそうは言っても世間は情報社会である。漱石が生きていた時代の何倍もの量の情報がその辺に転がっている。
自宅のメールボックスをあければたくさんのチラシやフリーペーパーが詰め込まれて、スマホを開けばニュースピックやgmailが頼んだ覚えのない通知を画面に表示する。
ローソンに入れば最近のトレンドらしい曲が流れて、すすきのの交差点では相変わらずブラックニッカの広告が煌々と映し出されて、求人サイトバニラの宣伝トラックがテーマソングを流しながら走り去っていく。

そんな社会で、自分はなんのメッセージ性も受け取れやしないだろう。
たとえ受け取ったとしても、次の瞬間にはもう新しい情報に上書きされているに違いない。
メッセージ達は全体量が多い分、流れてくるペースも早回しである。
昨日見たInstagramのリール動画の内容を覚えている人はどれくらいいるだろうか。
何にいいねをしたか、何を吸収したか、全部が溶けてしまって、もう拾い上げることも不可能なほどだ。

そうした中で、自分はすくなくとも甘いものをやめることを決断した。
ここまでいろいろなものが詰め込まれた日常の世界で、とにかく何かをやめないとやりたいことも始まらない気がしている。
そして自分は変わろうとしている。不安に揉まれながら、情報に錯乱しながら、新しい自分を探して、たくさんの欲望を胸に秘めて、ストレスと仲良く暮らしている。今日こそはちゃんと寝たい。

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