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本心

無事に引っ越しの作業を終えて、そして8連勤の労働を終えて、部屋の中でこれを書いている。

疲れたのだけれども、それ以上に気分が高揚して、休まることも難しそうだ。


腰が痛い

肩が痛い。

なんかあちこち痛い。


そして、気づけば毎日のnote更新を10日間も続けているという事実。
忙しいわりに意外と続けられて、すこしだけ自信になった。
でももういい加減に書くことも無くなりそうな気がする。

今の今までだってたいしたことは書いてこれなかったのだ。
今の段階でそうならば、これからだってそのままではないのか。




note。
もはや色々な人たちがこぞって書き連ねているものnote。たくさんの立場の人たちで溢れかえっていて、自分の書くものの入り込む隙間もなさそうな気がする。


インターネットで活動することは、あらゆる人たちとの競争に加わることを意味する。

競争は自分の大嫌いな種目の一つだ。
いつだって人と競い合うことを避けてきた。散々避けてきたせいで、自分の本気の実力もわからなくなるほどになった。こんなに避ける意味がどこにあるのかと自分自身に問いかけたくなる。問いかけても何も返ってこないだろうけれど。


自分はどれくらい強いのか。果たして気になる。
多分弱くもないし、強くもない。
まあまあなくらい。




なにはともあれ、8連勤の疲れが押し寄せてきている。

そのせいもあって、書きたい内容が何も思いつかなくて、だらだらとタイピングを叩く。
こんなものを今書いていてどうなるというのか。
元気になったときに読み返して、果たして何か思うことはあるのだろうか。

・・・

何もない気がする。


文章なんだから、読み手にはなにかしらの意味を与えたいのが性分だ。
でも人に「刺さる」ことをするのはとても難しい。


矢継ぎ早にメッセージをぶつけてやればいいものではない。
でも当たり障りがなさすぎると面白くない。

その辺がとても難しい。

文章を書くならば、せめて読みやすいものを書いてみたい。
でもあまりにも読み手に意識しすぎたものは逆に読みづらかったりする。

そうならないように、ちょうどいいものを書こうとしても、そこまでちょうど良くないものになったりする。
なんなら癖の強いものができあがったりする。


反対に、自信作で、いろんな人に面白く読んでもらえるだろうと思っているものが、意外とそこまでたいしたものにならなかったりもする。
ありきたりなもので、強く押し出したと思っていた個性が沈んでいる。そんなものができかねない。


難しいのだ、作品って。




自分は何を伝えたくて、何を表したいのかを、どれほど追求したって、それが見つかることもないと思っている。
それでも追求することを諦めてしまっては、普通に生きるのもしんどくなると思っている。


やりがいを探すのだ。

自分のことを追求すると、自分のダメなところがたくさん見えてくる。
まるで一種の苦行だ。
このnoteひとつとったって、過去に書いたものを読み返すとあまりの読みづらさに吐き気がする。
自分はこんな読みにくい文章を書いて悦に浸っていたのかと。
そんな慢心に満ちた自分を引っ叩いてやりたくなる。




別に・・・


自分に厳しくしたいわけではない。
甘やかしているわけでもないが、自分に厳しさを求めても、何も得になることはない気がする。

それでも自分は自分に厳しくしてしまうことがある。
何か悔しい経験をした時の記憶がそうさせる。
弱い自分、ださい自分。
受け入れるのが怖くて、嫌いな自分を拒めば拒むほど、コンプレックスはどんどん大きくなる。

その感情にとらわれて、強さを求めてしまって、だれからも愛されない怪物になってしまいそうだ。
そんな生き方を意固地になって求めてしまいそうで、でも違う、わかっている。


多分気づかないふりをして全部やり過ごそうとしている。
その方が楽だから。本心を見つめるときほど、怖いものはないから。


改めて問おう。
自分は自分に何を求めている。




まあ、やっぱりわからない。


いつかはわかる時が来るかもしれない。
もしかしたら少しずつわかってきているのかもしれない。


本心をちゃんと理解して、受け止めていける自分が、構築段階にあるのかもしれない。
本心を隠す強さを求めないで、本心を受け止める力。
そんな力が、今のところはまだないのだろう。


受け止めるのはあいかわらず怖いし、嫌いな人はいつまでも嫌いなまま。
人が怖くて、本心をさらけ出せた記憶はほとんどない。


いつか自分の本心は現れてくれるのだろうか。
自分としっかり同期してくれるだろうか。



はあ。

いよいよ疲れがピークにきた。もうさっさとシャワーを浴びて寝てしまいたい。
昨日まで涼しかった札幌だが、今日に至っては暑かった。
久しぶりに30度をこえた。
もう本当に疲れている。自分で何を書いているのか全くわからない。
まるで夢を見ているようだ。

でも多分これは現実で、この疲れた自分はきっと本当だ。本心だ。
疲れたとか腹減ったとか、そんな本心は出せるのだな。

意外と本音で生きて生きているものだ。







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