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時間が足りない。足りないけれど、こうやってnoteを書く。
毎日書くことに決めたからだ。だからどれくらい時間がなくても、どれくらい体力がなくても、書くことは書く。一日2000文字。このルールを破れば死んでやるくらいのつもりだ。

それにしても今の自分は、もう自由に動き回るのも億劫なほどに、生活の中に縛りを設けている。自分で作ったルールもあれば、抗えない制約もある。そのどちらにも縛られて、縛られにいっている。

今の自分の制約一覧

  • 明日までに引っ越しの準備を終えなければならない(※明日は仕事)

  • 2週間前から甘いものを食べるのを禁止。

  • コロナの影響などで借りていたローンの返済

  • 明日市役所に郵送しなければいけない書類の作成

  • 毎日note生活

  • 月に一話の短編小説を投稿

などなど。

noteなんて書かなくてもいいじゃないかと言えばそうなる。
甘いもの禁止生活もほどほどにしておけばいいのでは?そう思ったりもする。


お金、がないことはまあ仕方がない。それにしても都会での生活には金がかかる。遊ぼうと思えば思うほどに、出かけようとすればするほどに。
何かしらに金額が発生してしまう。逆に家でじっとしていればするほどにお金は貯まる。体力も温存できて、腹も減ることはなく、ゆっくりと時間は過ぎる。


しかしなんだかもったいなくなる。せっかく札幌に住み始めたのだからもっとすすきので美味しいものを食べてやりたい。あのいつも行列ができている信玄とかいうラーメン屋に行ってみたい。ジンギスカンだってまだ食べていない。トリトンとかいう人気の回転寿司にも行けていない。
こうやっていろいろと希望が生じてきて、これを実現しようとするとやっぱり金がかかるのだ。


家でじっとしているとまるで無意義に感じられて、時間を食いつぶしているような罪悪感が生まれる。せっかくの休日をもっと活動的に過ごしたほうがいいのではないかという気分。多分家にいてもいなくてもどちらでもいい。それだけで人生の価値なんてかわるとは思えないし、だからもっと素直にしたいことすればいいと思う。

ダラけるのがいいならダラける。
遊びたければ遊ぶ。

ただそれだけ。

しかし、大人になったことで生まれた一つの弊害がある。
自分の行動に価値を見出せているかどうか、それを気にしてしまっていることだ。なるべくは無駄を省きたいと、せこい考えが邪魔して無邪気に遊ぶこともできない。何かの行動をするたびに、その見返りを求めてしまう。汚い大人になったものだと、つくづく思う。


求めるのは別にかまわない。問題は、その求める気持ちの大きすぎることが原因で、やりたいこととやりたくないことの区別が曖昧に誤魔化されているところだ。本当はこんなことをしても仕方ないのに、何かリターンがありそうだからやる、そんな動機も持って行動している人も少なくないのではないだろうか。もちろん、素晴らしい結果を生み出している実例も存在するだろうが、やりたいこととは少し違うのかもしれない。

見返りばかりの人生は無論辛い。辛いというより、虚しいのかもしれない。投資ばかりの日々が人生を幸福にするとは思えない。未来にいろいろと投げかけて、帰ってくるものだけを期待して、今の生活ををまるで身を削る思いで生きていく。
今の自分はもしかしたら、そんなやつなのかもしれない。

毎日身を削る思いで生きている。
そんなつもりはなくとも、そんなことをしたくなくとも、どうやら知らぬ間に自分は身を削る思いを重ねていたようだ。

先週の夜の寝る前、寂しさで涙が出た。自分でも驚くほどの量の涙だった。
こんなにも溜め込んでいたのかとびっくりするくらい泣いた。泣きすぎて鼻がつまって呼吸ができなくなっていた。


疎遠になっている家族を思い出したのがきっかけだった。グループラインに、姉の家族が実家に帰ってきている写真が上がっていた。それを見たせいで、恋しさが爆増したのだ。

普通に両親と会話したかった。
会って話したいと、これほど素直に思ったのも珍しいくらいだ。
話が噛み合わなくて、価値観が噛み合わなくて、過干渉気味にしてくる親が嫌いで仕方なかったくせに。それを全部忘れてしまったかのようだった。


話すことなど何もないと勝手に決めつけて、家を出て行って、挙句の果てには連絡も取らなくなったのは自分の方だ。

自分は逃げたのだ。

もう向き合うことがめんどくさくて、一人になりたくて札幌にきたのだ。

それなのにいざ一人になると寂しいだなんて、自分はわがままそのものだ。ないものねだりもほどほどにしておくがいい。こんな自分が嫌になる。
嫌になって、さまざまな自己嫌悪が渦巻いて、仕事の疲れとか孤独感とかが混ぜこぜになって、そして昨日の涙だった。


家を出たことに後悔はない。
自分で決めた結論だから。
でも、向き合うことを諦めたわけではない。


だからいつかは会いにいくつもりだ。こんな形で終わるのだけは嫌だから。
後悔はしたくない。




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