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信じる道

繁忙期は続く。

お盆休みが通り過ぎた後も、札幌市は相変わらず観光シーズンの最中であり、国内はもちろん海外からの観光客も日夜問わず訪問し、すすきのを賑わせている。お陰様で民泊運営会社で働いている自分は、8月になってからというものまともに休めた試しがない。全く休みがない訳ではないのだが、その僅かにあった休日も引っ越しの準備などで追われており、実質まともに休んでいない。

なんてことだろうか。

今月中に小説を書きたいと思っていたのに、もう自分が出せる力の容量が底をついているようだ。仕事を終えた段階でかなりヘトヘトなのに、そこから無理やりに飯を炊いて風呂に行き、そしてこれを書いている。飯が炊けるまでどれくらいこれを書けるかにかかっている。休みたい、だらだらしたいと身体全体が叫んでいる。寝る時間になればもう何も考えられなくなってしまう。昨日はその状態で何とか机に向かって、ルーズリーフに色々書いてみたりするものの、まるで自分の意志が作動していないみたいだった。そんな毎日を過ごす。

ここまで疲れているくせに、意地でも書いてやろうとするのは何故だろうか。この毎日noteだって、ほとんど誰にも見られていないと言っても過言ではないくらいのものなのに、今もこうして馬鹿正直に文章を書き綴っている。それを続ける理由はどこにある?それを誰に尋ねると応えてくれる?自分の行動の意味は、誰が教えてくれる?わからない。わからないから続けるしかない。自分は今までの人生の流れにただ素直に従っていくだけの人間ではないはずだ。そんな人間だから、このまるで縁のない札幌の地に住み着いた。その行動にだって意味などもちろんない。自分の存在に意味はない。ないというか、見つからない。自分でそれっぽいものを見つけるしかない。まるで意味のあるような何かを。


そしてその意味のありそうな何かを可愛がって、愛でて、育てていく。意味はそうして出来上がる。そう信じている。その無意味とも思えた小さな出来事が、いつか大きくなって、立派な意味として自分を支えてくれる。そう信じている。


結局は何かを信じたいのが人の常だ。人は何かを信じなければ生きていけない。たとえその信じる対象が、正しかろうが間違えていようが関係ない。信仰の対象が、どれほどオカルトじみていても、信憑性に欠けるものでも、科学的に解明されていないものでも、信じてしまえばそれだけでいいのだ。その信じたものが神になる。人はありもしないもの、存在しているのかも証明できないものに神様をイメージして、存在を確立させた。


そして人生を全うした。それを果たして間違いだと決めつけられるだろうか。無駄なことだと、嘲笑うことができるだろうか。何を信じていたって、正しいのか間違いなのかもわからないのは今も昔も同じだ。これだけ住みやすい世の中になって、便利になって、さまざまなものが合理化されて、それでもなお僕たちは悩みを増幅させて、何を信じた方がいいのかも判別がつかない。


過去の自分をいくら愚かだと決め付けても、結局は今だって答えのない茨の道だ。もうさっさと自分の道を決めてしまいたい。けれど失敗はしたくない。あまりにも整頓された道が未来に続いている。それが今の社会だ。こんな綺麗すぎる治安の乱れもない道で、どうやって型を破ればいいのかも考えられない。型破りを悟られるのが怖い。このままずっと合理化が進んでいき、人の生き方は全て型に嵌められ、みんなと同じような生き方を強制されて個性を殺していく。まるでディストピアだ。考えすぎだ。でも昔よりも何を信じたらいいのかがわからない度合いがひどくなっている。そういう話をよく聞く。今の時代は何が正解なのかわからないと。


もし、人生を歩んでいく上で、正解が決まっていたら、その通りに動けるだろうか。多分無理だと思う。だからもっと昔の、高度経済成長の時期に働き手として生活していたとして、しんどい仕事を続けていたかというと、わからない。でも無理な可能性も十分ある。進むべき道を誰かに決めてもらったほうが楽だという人もいれば、自分で考えて進んでいきたいという人もいる。どちらが正しいとかではない。どちらもその道を信じていくだけの話だ。誰にも邪魔できない。


道を信じることは大事だ。だからしんどくても自分は文章を書いていくのだと思う。信じることは、楽をすることではない。どれだけ苦楽を味わっても、方向を変えない。それが信じるということだ。信じることはとても辛い道に思えるが、結果的には楽なのだろう。苦しい思いをするたびに進むべき方角を変えている方が、自分を見失って苦しい目にあう。そんな気がする。今まで何度も職を変えてきたが、やっぱり今のように一旦居場所を決めて方針を落ち着かせている方が楽だ。忙しくて疲れていても、何を目指したらわからない状態よりもいいわけだ。


だからしばらくは意地でも毎日noteを続ける。これが報われなかったとしても構わない。くたばっても続けてやる。

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