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卒論に代えて〜ウィリアム・シェークスピア論

今からン十年前の大学生の頃のわたしは法学部にもかかわらず文学に傾倒し、中でも、ウィリアム・シェークスピアばかり朝から晩まで読んでいたという謎の時期があった。なぜ文学部に入らず、法律を専攻してしまったのだろうと悔やみながら、日々、シェークスピアを読み、出来ることならこの劇作家の研究を卒業論文にしたいものだったと妄想を抱くようなおかしな学生であった。

部屋にこもってシェークスピアを読み耽っているうちに、やがて彼がどういう作家なのか、どの評論家よりも(と当時自負していた)わかるようになっていた。

端的に言えば、シェークスピアとは「自然」の作家である。その姿勢は首尾一貫していて、何よりも虚飾を嫌う。大げさ、ケバケバしさ、実物を改変してよく見せることを嫌い、化粧、カツラはOUTである。人はみな天然素材のまま、ありのままであるべきという信念の男であった。
そうなると、日本人が中世ヨーロッパの人たちの服装を着て演じるのは彼の目に叶うことではなく、黒澤映画のようにあくまで日本を舞台に置き換えて自然に演じることは許容範囲なのかもしれない。

シェークスピアにとって、「自然」に対峙する概念の一つが「運命」である。これは彼にとっての最大のテーマであった。「自然」に徹することはすなわち「運命」に抗うことであった。あるいは「自然」に徹しながら「運命」に身を委ねることは両立するのかと、彼は悩み、自問自答した。ハムレットの、To be, or not to be, that is the question.「生か死か」と訳されてきたが、実際は「運命に任せるか否か」が近い。また彼にとって、「夢をみること」もまた「運命に身を委ねること」と同義であり、「自然」に徹することはすなわち夢を切り捨てる人生である。

当時読んでいた「シェークスピア伝」(ピーター・アクロイドとは別の評伝。筆者は忘れた)によると、彼の墓には「あなたの詩は自然に流れる」と墓碑文があったそうな。(ただし、ストラトフォードの墓碑にはそのような文はなく、一体いつ、どこにあった碑文だろう?)

過去のシェークスピア研究本も幾つか読んだが、彼が「自然」に徹した作家であることを指摘した本は一冊もなかった。トンチンカンな評論もたくさんあった。中でも「フランシスベーコンなどの別人説」「実在しなかった説」はもう呆れるばかりだ。

実はわたしは、産業革命(1760年代から1830年代)というのは、シェークスピア(1616年没)という存在に抗う形で誕生したのではないかと睨んでいる。たった一人の人物がそれほどの影響力を持つとは考え難いと思われるかもしれないが、当時のシェークスピアの人気は凄まじく、その存在はイギリスという国を土台から変えるほどの影響力を持っていた。彼が俳優として舞台に出た時は、(確か)自ら、老人の召使い役として出たようだ(それほど謙虚な人であった)。つまり王様役を買って出るような図々しい人ではなかったわけだが、当時、彼の存在は国王級だったのではないだろうか。そして彼は役者に対して、「自然なふるまい」「自然な格好」を要求した。人工的なモノが排され、自然が重宝された。自然、自然、自然ということがイギリス国内で万事に渡って定着した頃、その伝統や権威、「自然王」に対して反発した人たちが、「産業」による「革命」を起こしたのではないだろうか。

産業革命はその後世界に広がり、地球全土の姿かたちを変えてしまった。したがって、シェークスピアの存在が仇となって悪い意味において地球環境を破壊し、良い意味では文面の進歩を生むきっかけになったのではないだろうか。

学生当時、この事実(?)に気づいたのは世界でわたし一人だろうと、ひっそり心の内で考えていた。もちろん、こんな突飛なことを考える人はほとんど誰もいなかっただろう。が、もしかしてイギリス国内にある文献資料の中に、産業革命当時そのことを指摘した書物があるのかもしれない。

以上が、わたしがもしも文学部であったなら、卒論で書いていたに違いないテーマである。長い間誰にも語らず抱えていた思いを、このnoteでようやく吐き出すことになったが、わたしの思いはこれでちゃんと成仏できただろうか。また誰かに伝わっただろうか。もしもご理解して頂いた人がいれば幸いである。(了)


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