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(資料)昭和52年 1977年 中学学習指導要領 および「指導書」確率部分

 実は、本家「ゆとり」はここから。前回の「現代化」指導要領への反省から、順列・組合せは高校に。「確率イコール場合の数という短絡思考は育てない方がかえって好都合でもあり,小,中学校の段階で場合の数の計算に偏った確率の指導に深入りすることは避けるべき」

簡単な場合・・・
確率論的演算は高等学校以上での教材と考え,例えば,順列や組合せの考えを利用して確率を求めたり,期待値を計算したりすることは,中学校では扱わず・・・
ごく単純な場合には確率を求めることが場合の数を数えることに帰着できること
今回の学習指導要領の改訂により,従来,中学校の確率・統計の領域で指導されてきた順列,組合せは高等学校で指導されることになった。したがって,ここでは順列,組合せの考えを必要としない程度の簡単な事象について確率を求めることがねらいである。その程度については,内容の取扱いに示されているように,起こり得るすべての場合が樹形図などを利用して簡単に求めることができる程度の事象を取り扱うことになっている。

ただし、さいころ2回も樹形図をかけと言っているので、今から振り返ってしまうと「簡単とは?」ではある。

中学校指導書 数学編 昭和53年5月 文部省

第2章各学年の内容
第2節内容の解説
D確率・統計
〔概観〕
1「確率・統計」指導の意義
算数・数学科の教材の中で,確率及び統計に関するものはいささか異質であると感じられよう。30年前までは高等学校や大学ですら,ほとんど教えられることのなかったこの教材が,いまでは小学校から取り上げられているようになった原因は,これらの知識が日常生活や各分野の活動に応用されているという認識の高まりにあると思われる。
他の教材,例えば数・式の演算についての知識なしには数学教育が進まないのとは違って,統計の知識がないからといって,他の数学教育に重大な障害となることは,ほとんどないであろう。その反面,日常生活などでは二次方程式を解くことよりも統計の知識が役立つ場面にぶつかることが多いのである。
いいかえると,統計の知識が役立つのは数学の内部ではなく,むしろその外である。したがって,統計教育がその効果を発揮するためには,それが「応用」されなくてはならず,そのためには応用される分野についての理解が必要である。それゆえ,社会科や理科,あるいは保健体育科などの他教科との協力のもとで指導されることが望ましい。少なくとも,その数学的側面にのみ注目した指導では,所期の目的は達せられないであろう。
小学校及び中学校における統計教育の目標は,今後急速にその発展の予想されるいわゆる「情報化社会」に備え,あらゆる場面に氾濫するデータを正しくよみとる能力が国民的素養として必要になることから,その際要求される最低のレベルを確保できるようにしたいということであろう。
統計教育の目標をこのように考えたとき,中学校の数学科では何を担当すべきであろうか。この点に関しては,
ア 日常生活の場で現われる個々のデータの変動に目を向けて,ばらつきについての感覚を養うこと。
イ 偶然現象を大量に観察するときに現れる規則性に気づかせ,その規則性の表現のために資料の整理をする方法の基礎を学ばせること。
と考えてよいであろう。つまり,統計教育全体についての前処理的な部分をしっかり体得することを,生徒の生活体験に密着した対象を用いて訓練することである。
このことがしっかり行われていれば,高等学校において,確率論に基礎をおいた数理統計学の理論の基本的な部分を導入することも意味をもつ。また,それを体得した中学生ならば簡単な統計資料の意味を正確に理解して,地理や理科の学習には事欠かないのみならず,普通の新聞記事における統計資料
の大半は理解できると期待できよう。
いうまでもなく,統計理論を理解し活用するためには確率の概念を理解した上で,確率変数,確率分布等に関する知識(演算能力)が必要になる。しかしそれを中学校における教育に期待することにはかなり無理がある。むしろ,中学生の段階で,確率論や統計論に踏み込むことは害の方が多い。
「同等の確からしさ」を直観によって仮定するいわゆるラプラス流の定義に限って確率を導入することは一見容易であるし,数学的感覚にもマッチするため,確率の演算には好個の教材となる。このため,従来は小学校からその概念の導人を図ってきた。しかし,統計理論の応用される場面では,確率を頻度と理解することの方が便利であることがほとんどであって,ラプラス流の定義は全く役に立たないことがむしろ普通であろう。こういう現実を考えると,確率イコール場合の数という短絡思考は育てない方がかえって好都合でもあり,小,中学校の段階で場合の数の計算に偏った確率の指導に深入りすることは避けるべきであろう。しかし,確率という言葉は日常的にも多用されているので,その概念を明確にすることは国語の教育としても重要である。
このような観点に立って,中学校では,偶然現象の記述という面から確率という概念を登場させ,それに慣れさせる程度の演習を行う。確率論的演算は高等学校以上での教材と考え,例えば,順列や組合せの考えを利用して確率を求めたり,期待値を計算したりすることは,中学校では扱わず,「過去の起こり方(つまり相対度数)を調べれば,それを将来の起こりやすさとみなして不都合はない」という経験則を認識させることに重点をおくべきであろう。このため,中学校では,実験や観測が重視されてしかるべきである。実験や観測は時問的に重荷になりがちであるため,とかく敬遠されやすいが,上述の目標達成のためには有効な方法であり,教師の創意・工夫によっては,生徒の興味を引き出して「ものごとを正しく観察する」という科学の原点を理解させる役目も十分に担えることが期待される。
統計教育は,実験や観測を通して得た数値(資料)をうまく分類整理することから始まる。その際,どういう点に注目して分類するのが適切であるかは,必ずしも自明ではない。ある場合には試行錯誤が要求され,ある場合には常識を否定することすら要求される。これが,数学の枠内にとどまった統計では無力だとされる原因である。したがて,統計教育の第一歩は,分類を自分で考えさせることから始めるのが本来であろう。ある程度お膳立てを整えた教科書的教材,つまりデータが与えられ,階級幅や階級値などが指定された上で度数分布やヒストグラムを作らせることに終始したのでは,生徒の興味をかき立てることは恐らくできないであろう。下手な分類をしたのでは「何も出てこない」ことを悟らせるような身近な教材を用意したいものである。
中学生ぐらいになると,性別によって体力や体位などに有意な差が出てくるから,そのようなデータを,はじめは層別せずに集め,その後層別によって差をはっきりさせるなどの配慮は比較的容易であろう。それ以外にも層別が意味を持つ例は生徒の身近なところにもいろいろと発見されると思われる。
中学生の段階では,統計理論の活用は無理であるが,将来,それを十分に使いこなすこと念頭において,中学生には中学生なりのデータ収集や分類について考えさせる機会を設けたい

2指導内容の概観

小学校においては,第3学年及び第4学年でグラフや表の読み方,書き方を取り扱い,いろいろな現象について,そのある側面については数で表すことができる(すなわち資料というものがあり得る)ことを前提とした上で,それを整理すると,ある面から見やすくなることを指導している。更に第6学年では,資料のちらばりを調べるなど,統計的に考察したり表現したりする能力を一層伸ばしている。
これに対して,中学校では第2学年において「目的に応じて資料を収集し,それを表,グラフなどを用いて整理し,代表値,資料の散らばりなどに着目してその資料の傾向を知ることができるようにする。」
こととしている。
これは一見,小学校と同じ内容に見えるかもしれないが,中学校では取り扱う対象も拡がるし,その取扱いにおいても中学生なりの考察を要求するので,決して小学校教材の復習ではない。むしろ,資料の整理についての感覚はこの段階で十分に育てられることを期待している。それは,中学生という年齢が対象を考察する深さを小学校のときよりは一層期待させるからである。
また第3学年では,頻度に基づく確率の概念の導人に加えて,ごく単純な場合には確率を求めることが場合の数を数えることに帰着できることを知らせる。そして,その後に続く「母集団の傾向を標本から判断する」ことを実験や観測を通して感覚的にとらえさせるために,確率の概念をある程度はっきりと理解させておくことが望ましい。この標本調査の考えについては,高等学校でも取り扱うので,ここでは感覚的理解で十分である。
確率の演算もその初歩を高等学校で始め,統計理論の初歩を取り入れ,標本調査に関してもある程度数学を利用し数量的基礎の上で取り扱う。更に,やや本格的な統計理論は大学初年級であろう。これは,積分その他,そこで使われる数学の知識がある程度揃うのがその頃であるためと,対象に対する知識の深まりの期待度を考えれば,ほぼ常識的な線であろう。

〔第3学年〕
(1)多数の観察や多数回の試行によって得られる頻度(ひんど)に着目し,確率について理解させる。
ア 確率の意味
イ 簡単な場合について確率を求めること。

3 内容の取扱い
(2)内容のDの(l)のイについては,樹形図などを利用して,起こり得るすべての場合を簡単に求めることができる程度の事象を取り扱うものとする。(引用者挿入)

小学校第6学年のA数と計算の領域においては,「数が不確定な事象の起こる程度を表すのにも用いられることを知ること」が扱われている。これは,数がものの個数や順番やあるものを基準にして他のものがそのどれだけに当たるかなど,確定した事象を表すのに用いられることを学習してきたのに対し,サイコロの目の出方など不確定な事象の起こる度を表そうとするときにどのような考え方で数を用いることができるかを,具体的な場面で扱っていると考えてよい。「確率」や「確からしさ」などの用語は取り扱わないが,その素地になる事柄を小学校第6学年で指導しているのである。
中学校第2学年では,資料の収集・整理の仕方を学習し,そのことが,多数の観察や多数回の試行によって得られる頻度に着目し,相対度数の考えから確率の考えへと導く基礎となっている。
なお,高等学校では,順列・組合せ,確率,期待値等について学習することになっている。

確率の意味

サイコロをふった場合どの目が出るかを予言することはできない。しかし多数回の試行の結果をそれぞれの目について整理してみると,相対度数がある安定した値をとるという傾向が見られる。このような事象の起こる程度を表すのに,確率が用いられる。
ある事象の確率は,実験の回数や観察する資料の度数を限りなく大きくしていくときに,その着目している事象の相対度数が近づいていくであろう値を想定して定めるのであるが,実際には実験や観察を無限に行うことはできず,有限回で打ち切ってその値を想定することになる。
ある事象の確率pのとりうる値の範囲が,0≦p≦1であることは,相対度数の考えからみて自然であろう。
また,ある事柄が起こる確率p,その事柄が起こらない確率をqとするときp+q=1であることも容易に理解できよう。
実験や観察の結果から,起こり得るすべての場合の相対度数がほぼ等しく,したがって,どの場合に対しても等しい確率を与えてよいと考えられる事柄がある。そのような事柄の一,二の例を知り,類比的に,他の事例についても起こり得るすべての場合が等確率とみてよいことを推測できるようにしたい。
乱数表に見られる数字の並び方には何の規則性もないが,全体としてどの数字の現れる相対度数もほぼ等しく,1桁の数字の現れる確率はどれも1/10としてよい。乱数表や乱数サイのこのような性質を知るとともに,母集団から標本を取り出すときなどに利用できるようにすることが望ましい。

簡単な場合について確率を求めること

今回の学習指導要領の改訂により,従来,中学校の確率・統計の領域で指導されてきた順列,組合せは高等学校で指導されることになった。したがって,ここでは順列,組合せの考えを必要としない程度の簡単な事象について確率を求めることがねらいである。その程度については,内容の取扱いに示されているように,起こり得るすべての場合が樹形図などを利用して簡単に求めることができる程度の事象を取り扱うことになっている。
例えば,六つの目のどの目の出る確率も等しいと仮定されたサイコロについては,1回ふったときにどの目の出る確率も1/6であり,それは多数回の試行の結果どの目の出る相対度数も1/6に近いということである。いま,このサイコロを1回ふったときに偶数の目の出る確率を求めるには,多数回の試行をすれば,偶数の目の出る相対度数は
1/6+1/6+1/6=3/6=1/2
に近いであろうと考え,その確率を1/2とすることになる。奇数の目の出る確率を求めるには,相対度数の考えから導かれた確率の性質によって
1-1/2=1/2
とすることができる。
更に,サイコロを2回ふったときに出る目の和が3以下である確率を求めるには,樹形図を用いて起こり得るすべての場合が36通りであることを確認し,多数回の試行を行えばそのどの場合についても相対度数は等しくなるであろうから,それぞれの場合の起こる確率を1/36とし,次に,目の和が3以下である場合が3通りあることから,その確率を
3/36=1/12
とするのである。簡単な場合について確率を求める過程で,確率の意味の理解を深めるようにしたい。

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