見出し画像

ロマン主義を考える(8) リアリズムの敵としてのロマン主義。【『ゲーム制作のための文学』】

今日から、このnoteをTRPGなどの『太陽神の巫女-AmaterasuCard-』に関係した記事に限定しようと考えて、名称を「白河光太」から「太陽神の巫女-AmaterasuCard-」に変更することにしました。

理由は三つで、白河光太としては普通の純文学小説などを書いているので紛らわしいと思ったこと、実際のところnoteの記事は白河光太というよりも太陽神の巫女に限定されていること、そして白河光太という名前ではなくて「太陽神の巫女」という名前を覚えて、これからの記事を認識して欲しいと思ったからです。

note名を「太陽神の巫女-AmaterasuCard-」に変更したことで、紹介文も一番初めの

「あらゆる人々が未来について考えることができる環境を提供する。科学、文学、歴史の物語を結びつけることでそれを実現する」

に戻しました。


これまで行ってきたことをこれからも続けるだけですので、今まで応援してくれた方はこれからもよろしくお願いします。


さて、文学フリマ東京は5月29日に終了して、『ゲーム制作のための文学』の販売も終わりましたが、「ロマン主義を考える」が中途半端なのでもう少しだけ続けようと思います。

ここで基本に戻りましょう。

ロマン主義とは何でしょう?

こういうときは、辞書を参考にするのが適切です。広辞苑によると、ロマン主義とはフランス革命後の十九世紀前半に展開された、ブルジョアの俗物性が支配する社会への抵抗運動と書かれています。

つまり、社会主義ですね。ロマン主義者よ、共産党を崇拝せよ!

しかし、通常、文学史においてはロマン主義は社会主義ではなくて、古典主義への反発から生まれた運学運動で、理性と権威を否定して感性と自然を重視する思想だと位置付けられています。

そして、多くの場合はロマン主義はロマン主義の次に生まれたリアリズム、自然主義の対立概念として扱われることが多いようです。社会主義は普通はリアリズム、自然主義と結びつけられています。

またロマン派詩人はフランス革命時に活躍した詩人ですし、ロマン主義はフランス革命に影響を与えたルソーと結びつけられることも多いです。

つまり、ロマン主義は、社会主義というよりは自由主義と結びついた文学芸術の思想だと考えられます。


このように考えると、私たちは広辞苑に対する不信感を滾らせて、日本で一番有名な辞書も信頼できないなと思うかもしれません。

しかし、言葉には歴史があります。

ここで私たちはロマン主義という単語が文学史の概念であり、文学史の概念ということは過去の出来事、そして過去の出来事ということは現代の視点と結びついていることを思い出してみるべきです。


私たちは、理想主義者のことをロマンチストと呼ぶことがあります。空想ばかりで現実が見えていない人です。

逆に、リアリストは株価や流行など世俗的なことばかりに関心があり、高尚なことや未来のことに関心を持たない人たちが日本では分類されることが多いように思えます。

たとえば、漫画の『かぐや様は告らせたい』アニメ第三期のウルトラロマンティックという副題は、明らかに、膨らむ空想と感情が燃え上がる恋愛を意図しているように思えます。

なぜでしょう?


今の私たちが文学史を勉強すると、古典主義、ロマン主義、リアリズム、自然主義という順番で暗記して、そのままモダニズム、社会主義リアリズム、実存主義、ポスト構造主義、ポストモダニズム、フェミニズム、LGBTQと積み木を重ねるように勉強します。

しかし、二十世紀、当時、文学がどのように議論されていたのかを見ると以上のように順調に発展してきたわけではありません。

十九世紀、ヨーロッパにはカトリック教会とプロテスタント、そしてロシアには正教会がありました。

西はドイツ帝国を中心とした西方教会、東はロシアを中心とした東方教会の後継が国家に守られていました。

しかし、第一次世界大戦で、西方教会の盾であったドイツ帝国は社会主義者により滅ぼされてワイマール共和国になります。

同時に、東方教会の守護者であるロシア帝国も社会主義者により滅ぼされてソビエト連邦が誕生しました。

こうして、キリスト教を国教にしていたローマ帝国の東西の後継が同時に社会主義者により滅ぼされたことで、キリスト教の時代が終わり社会主義の時代が始まります。

ここで、キリスト教はなくなった、西洋の絶対真理であるキリスト教は真理ではなくなった、神は死んだのだと、文学者や芸術家は宗教芸術から完全に手を切り無神論の文学と芸術が生まれます。

神を失った世代、ロストジェネレーションによるモダニズム文学、モダニズム芸術が始まるのです。

ここでモダニズム文学を推したのは、社会主義のリーダーであり、ソビエト連邦建国の父であるレーニンでした。

これからは文学や芸術は、キリスト教や自由主義、権力者のプロパガンダのためではなくて、自己表現、まさに自分達に見えている世界を表現するために行わなくてはならないとレーニンは主張しました。

こうして、文学者や芸術家、すなわち歴史の前衛(アヴァンギャルド)による新しい文化の創造を期待したのです。

キリスト教文化が終わり、マルクス主義文化が生まれるように。


ところが、レーニンが亡くなるとスターリンが現れます。そして、スターリンはレーニンとは異なる思想の持ち主でした。

レーニンはキリスト教文化、貴族の文化、資本家の文化は堕落した文化であり地球上から駆除するべきだと考えました。だからこそ、アヴァンギャルドは古いものはすべて排除なのです。

いっぽう、スターリンが問題にしたのは貧困です。革命により実現されるべきなのはキリスト教文化、貴族の文化、資本家の文化を駆除することではなくて彼等の文化を一般の人たちでも享受できること、普通の人が貴族や資本家に近い水準の生活ができることだと考えたのです。

この点で、スターリンにとって、前衛芸術というのは差別化のための差別化という資本主義の名残であり、社会主義ではありません。そして、真の社会主義とは誰もが燃え上がるような恋愛と冒険を楽しめる、ロマン主義小説の登場人物になれるような世界だと考えたのです。

貴族や資本家の文化を大衆に開放するのだ!


こうして、20世紀、ソビエト連邦でロマン主義が復活して全世界に向けて発信されます。革命によりロマン主義が現実になる、これからはロマン主義リアリズムの時代なのだ!

という馬鹿な話を聞いて、怒り狂ったのが文学者と芸術家です。スターリンは正気ではない。

ソビエト連邦は社会主義ではなくて全体主義、左翼ではなくて右翼であると誰もが考えました。

そして、自由主義者達は逆に左翼とはロマン主義者で、妄想を爆発させた理想主義者であると考えました。そして、ソビエト連邦が崩壊して、ロシア、社会主義、全体主義、ロマン主義、とても危険な理想主義者という世界観が生まれたのです。

社会主義という、実現不可能な理想郷を求めた駄目な人たち。

もともと、社会主義はリアリズムから生まれました。しかし、スターリンのロマン主義革命により社会主義者は理想主義者に、社会主義に染まらずに資本主義の現実を生きている人たちが、本来は理想主義を意味していた自由主義者や民主主義者を名乗るようになったのです。

自由主義者はソビエト連邦を馬鹿にしました。

ソビエト連邦はエデンのようだ。アダムとエバは着る服すらなく、知恵のみを食べることを禁じられ、しかし自分達は幸福であると信じていた。


この点において、広辞苑は考え抜かれています。同時に、実際のところ、妄想に妄想を重ねてどんどん駄目になっていく高校生の男女を描いた『かぐや様は告らせたい』アニメ第三期に「ウルトラロマンティック」という副題がついていることは、適切な使用です。

このアニメの登場人物達は、北朝鮮がミサイルを飛ばすように、想像を絶する恋愛駆け引きを行います。

まさに、ロマン主義という感じです。


今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。よろしければスキ、フォローをお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?