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TRPG制作日記(79) 容姿11

他者から必要とされることと、愛されることは同じではありません。

私たちは誰かの役に立つことで、感謝され、そして自分がその社会に受け入れられたと感じます。この感謝されることは、私たちが誰かのために技術を磨く動機になります。ありがとうとお礼を言われると、私たちは同じことを何度も繰り返したくなるものです。

しかし、ひねくれ者はこのように思うでしょう。

彼らは自分を愛しているのではない。ただ、自分を便利な道具だと思って利用しているだけだと。

利用されるだけの人生は嫌なものです。


昨日は生きる力、そして自助という思想について書きました。

現在、私たちは自助の精神が求められています。自助とは国家や社会の保障に助けられずに、自分達の力で自分達の生活を確保して、社会保障に頼らずに生きていく能力だと解釈されます。

今日は、この「自助」や「生きる力」という思想を、使用価値と交換価値を論じることで再び書きたいと思います。


復習です。1000万円の絵画Bがあり、そして300万円の絵画Aが存在するときに以下の式がなりたちます。

1000A=300B

一般化すると、等価交換方程式が導かれます。

aA=bB

等価交換方程式で以下のように世界に存在するすべての商品を繋げることができます。

aA=bB=cC=dD=...

ここで貨幣Mを導入することで、

A=(m/a)M

B=(m/b)M

C=(m/c)M

D=(m/d)M

….

となり、全世界に存在する商品が一つの基準M(money)により数値化されることになります。

このように数値化された価値を等価交換方程式から導かれる価値、交換価値と呼ぶことにします。

さて、私たちは商品を買うときに、生活のためにそれを購入します。

パンを買うのは食べるためですし、家を買うのは住むためです。このように商品は私たちの生活に役立ちます。このように商品が持つ他者の役に立つ能力を使用価値と呼びましょう。


定義から明らかですが、交換価値は数値、すなわち量です。

また、使用価値は質的です。それは数字の成果ではなくて、私たちの日常の世界(実存領域)に存在します。


さて、私たちは消費者として商品を買うだけではなくて、生産者として自分達の労働力を資本に販売します。

このときに私たちは労働市場で商品となるため、交換価値と使用価値を持つことになります。

使用価値は就職するために必要です。あなたの技術や能力が必要とされていないのであれば雇用されることはありません。

また、交換価値は就職してから受け取るあなたの給料です。等価交換方程式によりあなたの一時間あたりの交換価値は数値化されます。


さて、自助の話に戻りましょう。

自助の精神、すなわち私たちが社会保障に頼らずに生きていくためには私たちは使用価値と交換価値の両方を必要とします。

使用価値がなければ、そもそもあなたは就職できません。就職したとしてもすぐに解雇されるでしょう。

つまり、使用価値は失業と関係します。

いっぽう、交換価値がなければ就職しても生活できません。日本で時給300円で働いた場合に、生きていくことは可能かもしれませんが、病気になり長生きできないでしょうし、家庭を作り子どもを育てることは社会保障なしでは不可能です。

つまり、交換価値は死と関係があります。


以上のことから、自助の精神を達成するためには使用価値を確保して交換価値を高い水準に保つ必要があります。

使用価値が使用価値として存在するのは社会的な状況に依存します。

すべての人が医療を学んでも、病人がそれほどいるわけではないのでその技術はあまることになるでしょう。

プログラマーが不足していたとしても、全人類がプログラマーになればプログラマーが過剰になるというだけではなくて、そもそもハードウェアが存在できないのでプログラミングの技術は技術として成立しません。プログラミング技術を発揮する機会がないからです。

このことから、自分自身を使用価値とするためには、周りを見て他人と違う社会で必要とされている技術や能力を獲得する必要があります。

他人よりも優れているだけでなく、違うことも重要なのです。

これは社会に多様性を生み出します。私たちは自分自身を使用価値とするために他人と違う存在になるのです。

こうして人々は多様化します。


使用価値を身につけるのは簡単です。必要なのは、使用価値となるような技術と能力を身につけること。

勉強と訓練という分かりやすい努力により身につけることができます。


では、交換価値は?


交換価値は等価交換方程式

aA=bB

により計算されますが、この式から交換価値を高める方法を推測するのはそれほど簡単ではありません。

交換価値を決定する式は後に論じるとして、今回は等価交換方程式が持つ不気味な側面について注目しましょう。


等価交換方程式を見て直ちに分かることですが、これは本来は数値化できないはずの使用価値を抽象化して数値化しています。

たとえば、使用価値として医術CとプログラミングDがあるとして、

C=(d/c)D

という感じで、特定の使用価値が特定の使用価値よりも高い交換価値を持つことを表現できます。これは社会のために必要とされる使用価値にはランクがあることを意味します。


これは自助の精神を尊重する立場なら実は衝撃の内容です。

なぜなら、自助の精神を尊重する立場から考えると、資本主義では、社会に必要とされる技術で、かつ絶対に身につけてはいけない技術が存在することを意味するからです。


私たちの生活が豊かになるためには、さまざまな技術と能力が必要とされていますが、私たち自身が豊かになるためには、特定の技術と能力のみを保有している必要があります。

資本主義では貧困が存在しますし、貧困が存在するということは絶対に身につけてはならない技術や能力が存在することを意味します。低い交換価値と結びついている技術です。


自助のためには交換価値を高く保つ必要があります。

つまり、自助とは、私たちに失業を恐れずに特定の技術と特定の能力だけを磨くことが義務であると宣言し、同時に、たとえ社会に必要とされる能力でも高い交換価値を保っている大企業の管理職に必要とされる能力、具体的には法学と経済学、以外の技術や能力を習得する努力を、それ自体が反社会的行為だと断定する政治的立場です。

低賃金に結びつきやすい肉体労働系の技術の習得は、自助の精神から、どれほど社会に必要とされて多くの人の人生を豊かにしていても習得そのものが悪なのです。


また、等価交換方程式は、失業を努力で回避できる可能性はあっても低賃金は努力で回避できないことを示唆しています。

これは、自助という言葉が本来意図していた状況とは逆に、同時に大量の失業者を国家が大量の生活保護で養うこと義務づけます。なぜなら、すべての人が自助を意識することで、失業よりも低賃金を恐れるようになり特定の技術や能力のみに人々が集中して、社会のために本当に必要とされる技術や労働が失われるからです。

結果、「自助の精神」は大量の失業者を社会に生み、莫大な生活保護を国家に負担させることになります。


今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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