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考えることに拍車がかかったわけ
考えることに拍車がかかったわけは、大学院に進学したことです。
院生生活は、自分の情報調達不足により、思い描いていたものと現実とに大きなギャップがありました。
"大学院は講義形式ではなく演習形式であること。"
これが私の考える癖に拍車をかけました。
私の所属する大学院ではめっっっっっっったに講義が行われません。ほぼ全て演習形式です。つまりディスカッションです。
大学4年間でやってきた勉強がインプットだとすれば、大学院はひたすらアウトプットです。「自分の意見」というものがここまで重要だとは思っていませんでした。
自分の意見を出すには、まず下調べが重要です。
その事柄に関して今までどんな議論がされてきたのか、賛成意見、反対意見、どんな背景があるのか、などなど、様々なリソースを駆使して調べあげます。
そうしてやっと自分の意見が出てきます。ドドン
次に自分の意見を授業で発表します。当たり前に反対意見も出てきますが、ディスカッションで新しい視点も見つかります。
そしてまたその事柄に関して考えます。
考えて考えて考え倒します。
...考えることが、一種の職業病みたいになってきました。
日本で暮らしていると、自分の意見を求められたことはあまりない気がします。静かでいることが美徳というか。授業中にも発言する人は少ないですよね。女性には特に規範意識があると思います。
大学時代に海外でお堅い仕事をしていた時も、同じことを感じました。
会議で私の意見を求められた時、非常に困りました。
そして、意見を言うための訓練を今までしてこなかったことに気づきました。意見を求められたことがなかったからです。
今はだいぶ慣れてきましたが、
自分の発言で誰かを傷つけてしまわないか不安で、あまり意見を言いたくないことも多々あります。(というか、いつもそう)
政治の話をしている時は特に。。。。汗
けれど、大学院生であるうちはやめられません。
世の中の大学院生、共に頑張りましょう!涙
えいえいおー
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