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生きてるだけで偉い

新聞の社説欄に、卒業の季節を迎えた学生たちへのエールが綴られていた。東京駅で帽子を一斉に天井へ投げ、マスクもせず嬌声をあげ、スマホで写真をひっきりなしに撮影する。そんな姿に、このご時世にも関わらず・・と目くじらを立てることなく、むしろ未曽有の二年間の中で青春を過ごした彼らへ、同情と激励が文章には込められていた。

気軽に飲み会へも行けず、旅行にも行けず、活動的な趣味にも精を出せず・・。満足な青春の思い出を作れないまま、人生を縛る社会人生活へ、あれよあれよと突入してしまう。社説ではそんな悲運な若者たちへ、哲学者モンテーニュの言葉を借りて最後の文を締めくくっていた。「今日は何もしなかった?いや、あなたは生きたではないか」

「今日も生きてて偉い」という文言を、昨今しばしば散見する。これは決して私の気のせいではないはずだ。特に若者達が利用するSNS界隈で、頻繁に見かける。そう言えば、昨年文学界を席巻した芥川賞受賞作「推し、燃ゆ」の中にも同じ文句が書かれていた。

平成時代の若者は、大人達から「熱意がない、夢がない」と揶揄された。しかし、現代は昔ほど、おおらかな時代ではない。誹謗中傷や歪曲した倫理観、将来的な伸び代がないこの国において、若者たちが非常に生き辛さを感じているのも事実である。若者の自殺率が高い日本で、彼らの人生を最も後押しする言葉は「夢を持て」ではなく、「今日も生きてて偉い」かもしれない。




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