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出会いが人生を変える。スポンサー編

ボクシングの事だけしか分からんけど
スポンサーの存在って結構デカい。

自分自身がスポンサーを募る切っ掛けは、
セレスジムにいる青山功選手と
試合して負けた事が始まり。

ジムによっては色々あるだろうけど
選手とスポンサー契約は、
ジムが契約書類を持ってて
ジムがスポンサーを紹介したり
選手が取ってきたりで始まる。
試合の都度、契約してもらうのが一般的かな?

試合に負けた当初はそんな存在すら知らなかった。
所属していたジムにもそういうのはなかった。

格闘技のジムに行ってる人とかなら分かるだろうけど、

トレーナーがいてミット打ちするのは
当たり前だったり
班分けして選手を見てるとこすらある。

いつからかな〜
先代のジムの会長が引退して、
6回戦になりたてからミット打ちは、
皆無に等しかった 笑

ジムに行って自分でメニュー組んで、
1人で練習してやることは徹底的にやって
試合に臨む感じだった。

引退する2〜3年前までは、
元日本1位の先輩が居たから実戦練習は、
同じ試合の時はしてもらっていた。

言い方悪いけど、
試合が先輩と被らねば
格下の後輩とやるしかなかった。

青山選手と負けた時、
今まで、おれは何をやっていたんだ。と我に返った
1人で練習する事の限界に気付いた所からが
スタートだった。

何も知らなかったが、
色んな人に頼って、頼って、、
ファンクラブを作るなど色んな案がありながら
ある人がスポンサーの募集を提案してくれた。

その事が切っ掛けで、全てが動きだした。
行政書士さんに書類を作って頂いて


スポンサー募集のチラシを作って頂いて、
SNSから募集したり、
自分でお願いしに行ったり、
知人から知人へと紹介してもらったり
色んな人に助けて頂き
年間契約のスポンサーが付いて頂くことになった。

ちなみに、負けたら出資金は返してもらう。
とか、言われたりしたこともあった。 笑
やはり個人のチカラのなさを感じた。

しかし、これが2期続いた。
これのお陰で、関西と関東へ出稽古に行ったり
県内トップクラスのパーソナルトレーニングを
受けることができたり、
2期目から会社を辞めて、
しばらく長野と東京に居ることが出来た。

お陰様で、結果も悪いものではなかった。

と思っている 笑


そして、、何より


プロスポーツ選手として、
明確に存在していたかった。



最後の試合になってしまった時は、
バリバリ年間契約期間だった。
半期終わったくらいかな?

引退すると決めた時、
コロナってなんだ?くらいだった。

だから、翌年か次の年に
引退記念交流会を自らが開いてやりたかった。
それが、自分なりのケジメと思っていたが

コロナは、世界的に猛威を振るい
それどころではなくなった。

こうして、時だけが経ち

終息の兆しも見えず。

ここ最近、色んな変化があり
心境が変わってきて、、


今の自分に出来る。
俺なりのケジメの付け方で、
自分なりの終わり方で、
先日、応援して下さった方々(数に限りがあり限定で)
スポンサーさんの方々に記念品を送った。

本当に、感謝でしかない。
最後に、やり切ったと思えたのも
応援して下さった沢山の方がいたからこそだ。

こうして過去を振り返ると、
あの時、あの人に出会ってなかったら。
っていうのは沢山ある。

格闘技って、
自分勝手にやってるウチはいいが
やればやるだけ、

自分だけでは、どうにも勝てなくなってくる。

色んな人が絡んで、
色んな物を背負って戦うようになってくる。と
また、初期とは違うスポーツに感じてくる。

おれは、それが楽しかった。

色んな人に会って、
色んな事を吸収して

夢に近づいていくようだった。


と、まーこの辺にしとこう。笑

また、書こうかな!


もう過去にいたジムに、
足を踏み入れることはないけど。

良い青春だった。
ボクシングに有難う。



とりあえず!


今日も今日とて!
あざした!

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