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博多祇園山笠
どうも。
今年は山笠がなく寂しい気分のオヤマです
ということで、今回は山笠についてです😤
皆さんはしってますか??
『博多祇園山笠』
本日であれば
明日、追い山がありぼくは福岡にいるはずでした。まぁ、しょうがない🤷♂️
この祇園祭りは、来年で780年目となる伝統ある祭りで、国の重要無形民俗文化財に登録され、2016年には国連教育科学文化機関(ユネスコ)による無形文化遺産に登録されています。
今回はこんな山笠の歴史について少し書いていきます😤読み終わった人は来年博多集合です🙌
博多祇園山笠とは
博多祇園山笠の起源は諸説ありますが、一番有力とされているのが、鎌倉時代、仁治2年(1241年)博多で疫病が流行した際に承天寺の開祖・聖一国師(円爾)が町民が担いた施餓鬼棚にのって、祈祷水を撒きながら町を清めてまわり、疫病退散を祈願してまわったことを発祥とするという説です。
『流』(ながれ)とは
博多祇園山笠には、「流」というグループがあります。これを作ったのが、あの豊臣秀吉なのです🙌
安土桃山時代、島津氏と豊臣氏の戦いにより博多の街は焼け野原となりましたが、豊臣秀吉が帰国の際、博多の街をいくつかの区画毎に「流」(ながれ)としてグループ化し復興を行いまさした(太閤町割)。
この「流」が博多祇園山笠のグループ単位の発祥です。戦後の一時期、山笠を建てた流は13流に増えたこともありましたが、、
現在の「流」は恵比寿流・大黒流・土居流・東流・西流・中洲流・千代流の7流です。
ちなみに
ぼくは中洲流に所属しています🙋♂️
かつては京都の祇園祭ように町ごとに飾山笠の華美を競いながら練り歩いていたみたいですが、江戸時代の1687年(貞享4年)に土居流が東長寺で休憩中、石堂流(現在の恵比須流)に追い越される「事件」が!!
このとき2つの流が抜きつ抜かれつのマッチレースを繰り広げ町人に受けたことから、担いで駆け回るスピードを競い合う「追山」が始まりました💨
以来戦後の一時期を除き祭のクライマックスとしてこの「追い山」が執り行われ、福岡市内のみならず近隣各地から多くの観衆を集めています。
普通の祭りとは違って
この追い山までの行程は長いんです。
7/1〜7/15 にかけてあるんです🙌
もちろん、仕事もありますが、なんとか参加できる方法をかんがえて、有給とったりしてなんとか調整します笑
飾り山笠は、7/1からみることができ
舁き山笠は、7/10から動きます^_^
舁き山笠は、1トンぐらいあり
それを26〜28人で担ぎ、後ろから数名で押して舁き山笠をうごかします💪
迫力満点でございます👏
数年前の写真です^_^
舁き方が下手くそです笑
来年、無事奉納できるといいなー
今回はこの辺で🙇♂️
では!🙋♂️
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