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「とほ宿」への長い道 その16:福井の変化

福井駅前に賑わいが戻ってきた

「その13」で、2011年末に福井にUターンしてきた時の状況を書いた。
浜田省吾歌うところの「Money」の一節、「この街のメインストリート 僅か数百メートル」のような状況だった。自分が小学生の頃・1980年に唯一の百貨店である「だるまや西武」(現・西武百貨店福井店)がオープンして以来つくりがほぼ変わっていない、むしろ車社会で人の流れが郊外のショッピングセンターに移っていたので更に寂れていた。
しかし2009年に北陸新幹線の「福井駅部」が完成し、2012年6月に金沢まで開通していた北陸新幹線の敦賀までの延伸が認可された。そこから駅前を中心に様々なプロジェクトが動き出したように思う。
特に大きかったのが2016年4月、福井駅東口に複合施設「ハピリン」が開業したことだった。

「ハピリン」では、しばしばイベントが行われている

それまでは電車やバスの乗り継ぎポイントである福井駅周辺には中高生が集う場所が無かった。というか、当時のニュースを見ていると「学生の本分は勉強だ!遊ぶ暇など無い!」と語るオトナ達がまだいた。そうして県外の学校に進学して、楽しい日々を送ったらもう故郷には戻ってこない。2024年の今、2012年当時よりも更に少子化が進行しているが、比べものにならないくらい中高生がいて、友だち同士で楽しい時間を送っているのがわかる。
進学で県外に行って、卒業後に福井に戻ってくるのは3割程度と言われているが、自分としてはまあまあ楽観している。思春期の頃の楽しい思い出というのは一生残るものなのだ。

2018年の福井国体がもたらしたもの

また、1968年以来2回目の福井国体が2018年に開催され、天皇杯・皇后杯とも福井県が優勝した。国体のために各種競技の会場が新設・改修された。
筆者の実家は福井市の南西部にある福井運動公園の近くにあるのだが、Uターンしてきた当初は本当に利用者が少なく、大きな大会がある時以外は閑散としていた。
国体を機にこの運動公園が改修された。1978年に作られた体育館は全面建替え、陸上競技場の隣には300mの補助トラックとサッカー場があり、ほとんど使われることが無かったのだが、これを統合し400mトラックとその内部のサッカー場になった。それまでは無料だったのが利用料をとるにようになったが今はほぼ毎日使用されている。運動公園の外周をジョギングしている人は多かったのだが、敷地内にもランニングコースを新設、ウォーキングをする人も含めると利用者が数倍に増えた。
つい最近まで、福井県は全国47都道府県でフルマラソン大会の無い唯一の県だった。沿道で応援していた知り合いが、地元の人から「何で道路封鎖してまでこんなバカなことをやるんだ!」的な事を言われたこともあった。しかし、人々の意識が環境を変えることもあれば、その逆もある。今年、福井県民のマラソン愛好家の悲願であったフルマラソンが遂に開催された。

自分が高校の頃、福井のスポーツ界は低迷していた。プロレスラーの天龍源一郎や大相撲の大徹関、バレーボールの三屋裕子や中垣内祐一など福井県出身の有名スポーツ選手はいたが、福井にいたころから輝いていたというわけではなかった。自分は陸上部にいたが、全国高校駅伝では県代表の美山高校は最下位だった。
日本全体がスポーツ=シゴキの量で決まるという気風だったということもあり、耐え抜いた者だけが上に行けるという環境では人口が少ない県が成績を出せないのは当然なのかもしれない。
今では勝山高校のバドミントン・山口茜や、鯖江高校の宮田笙子など高校時代から大活躍してそのままオリンピックに出場する子も珍しくないし、高校駅伝は最下位争いすることがなくなり、毎年のように箱根駅伝ランナーを輩出している。福井市出身の吉田正尚はプロ野球どころかメジャーリーガーにまで上り詰めたし、その出身高校の敦賀気比高校は遂に2015年のセンバツを制した。ヤクルトの中村悠平やソフトバンクの栗原陵矢など有力選手も本当に多くなった。
開催県が毎年のように国体を制することについては批判の声もある。しかし有力選手を引っ張ってくるだけで優勝できるものではない。優勝するために逆算して県全体で勝てる体制を作ってきたことが実を結んだのではないかと思う。今福井でスポーツをする人たちは、本当に楽しんでいると感じる。

SNSで多くの知り合いが出来た

都会の人間が地方生活を評するとき、「家と職場とを往復するだけの生活」とか、「週末遊ぶ場所はイオンモールしか無い」といったような世間の狭さを揶揄するものが多い。(福井にはイオンモールも無いが・・)
自分が東京で暮らしていた2000年代にはそうだったかもしれない。しかし、この頃になるとLINEとかFacebookなど、初対面の人間同士でも気軽に絡めるSNSが出てきていた。
商工会議所などのイベントで会った人とSNSで繋がる。その人が参加しているコミュニティやイベントの情報が流れてくる。そこに参加すると更に友だちが増える・・・
東京にいた頃は同好の士同士は容易に集うことができたが、そこである程度の人数と絡めてしまうので、それ以外の人間関係は広がらなかった。ところが福井は人口が多くないので、いろいろな趣味嗜好を持った人たちと絡んだ。例えばラーメンが好きという共通項だけでも集うことができる。そして実は中学高校の同窓生であったり、共通の知り合いがいることを知ったりして「福井狭いね~」と言い合うのが常だった。高校や大学の同窓生とも集まるようになった。町が小さいから顔を合わせる機会が多いのだ。サラリーマン生活からドロップアウトした自分は人から嘲笑されるのではないかと思っていた部分もあったが、会ってみるとみんな紆余曲折な人生を送っていたし、20代の頃と比べるとみんなオトナになっていたので、マウントを取ってきたり人の生き方にケチをつけてくるようなこともそれほど無かった。
自分が大学に入った1989年・平成元年の時点で大学・短大・専門学校への進学率は50%超、その後年々増加している。少なくない人たちが県外に行く。また、仕事で県外に長期間行ったという人も多かった。また、県外出身で福井で仕事している人も結構多いが壁は無い。Uターンしてきた頃は自分は余所者のような感覚があったが、案外フレンドリーな土地なのだということを知った。
現在、筆者のFacebookの「友だち」は1400人超。東京や大阪にいた頃の知り合いや全国のFP有志ともつながっているが、半分以上は地元・福井の知り合いだ。

福井駅近くにゲストハウスができた

筆者がUターンしてきた2012年時点では、福井には旅宿も旅宿愛好家もほぼなかったし、唯一のユースホステルだった福井青年館YHも2012年に閉館していた。しかし2015年、福井駅東口にゲストハウスが出来たことを新聞で知った。

オーナーは若い女の子で、数百万で古民家を買い取り自らの手でDIYして宿を立ち上げたという。自分ももっと若くてエナジーがあれば・・・と思った。
東京から知人が来たときにここに泊まるというので少しだけ中を覗いた。オーナーは不在だったが、自分の「好き」を集めた空間というのがわかった。。羨ましさしか無かった。(続く)

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