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SCINE-1:池袋 ‘80s / Part-1

第一章:「夕ばえ作戦」

東京に纏わる僕の記憶の心象風景を辿る旅の第一話。
旅のスタートは1980年代前半の「池袋」から始めるとしよう。

1980年代初頭の僕。
主な生息地は池袋西口界隈。

ディープなムードが飽和する池袋西口公園のことを、まだ誰一人として「ウエストゲートパーク」などと呼ぶこともなかった時代。

18歳で上京した僕が東京で初めて住んだのは、池袋駅西口から徒歩20分程度西に位置した町「豊島区要町」(正確には豊島区高松)の風呂無しアパートだった。

当時の要町は地下鉄有楽町線の延長工事真っ只中。
地方から夢と希望だけを抱えて上京した純粋無垢な18歳“童貞”男子の僕にとって、アパートから最寄り駅「池袋」までの『通学路』は、毎日違った刺激が満ち溢れたまさに夢の“道程”だった。

都会の巨大ターミナル駅「池袋」西口の歓楽街を、“桃色の誘惑”とニアミスしながら通り抜け、ラブホテル街の脇道を耳を澄ませてそぞろ行く魅惑のルート。
怪しい金魚屋の前を通り、材木屋の路地を曲がって暗渠の小道に差し掛かる頃には、都会の喧騒は見事に消え去り、街の空気は一変する。

花街・池袋と隠れ里・要町を結ぶ、民話に出てくる「迷路」にも似た僕の『通学路』。そんな通学路を往来する18歳の僕は、まるで自分が『夕ばえ作戦』の砂塚茂になったかのような気分を覚え、「過去と現代」ならぬ「現実と虚構」のコントラストを行き来する己の姿に陶酔し、こんな毎日こそが、富士の麓の田舎町で夢見ていた「東京ライフ」に違いない!と信じて疑わず、それでもどこか怖さも感じながら、自分の居場所は果たしてどこなのか? そんな自問自答を繰り返していたのではないか? と、今となってはそんなふうに思ったり思わなかったり、する。

さて、上記の通り僕が「砂塚茂」(演者:山田隆夫)を気取っていた時代、生活様式の中に「アナログ」という一種の差別用語にも似たグループ名称がまだ無かった古き良き時代、友達たちとの待ち合わせや、大げさに言えば東京砂漠での互いの「生存確認作業」的な意味合いも含めたソーシャルコミュニケーションツールとして、 “ハイポテンシャル” かつ “ハイパフォーマンス” な『三種の神器』が、僕たちにはあった。

その『三種の神器』とは !?



第2章へ続く。

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