仕事について思った事

クラウドファンディングであまり応援したくないと思う記事を見た。
北九州市ですが、別に応援してる人を責めるつもりはないので、深くも書くつもりはありません。
ただ、支援者は驕らず、周りの方に応援して頂ける人でなければならないと思いました。
古き良きより、自分の人生のかけて何かをしたい、周りの為に何かを人に為にしたいというのが気持ちじゃないのかな。
※自分自身に対しての問いかけです。

僕は新しい時代に向けて頑張っている、おじさん、30代に頑張って欲しい。
僕は色々なクラウドファンディングを見てますが、支援したのは今まで2社。自分が死にそうなのに応援しないですよね。

話は変わりますが、自分の母は美容室をしています。
母の美容室は母が死んでなくなるとしたら、それは母の店でないんです。
家族が望んでいたら良いですが、僕は母が好きで来ていたお客様が母じゃなくて、僕でも良いとなったら、それは僕も母も残念な気持ちになるんですよね。
それが株式会社と個人店の違いかなと。
僕は他人に為れない。
母の代わりにも為れない。
母は、叔母(父の姉)が作ったお店を買取、22年くらいしている。
ちなみに叔母は美容室の2階をガラス張りにして、日舞、着付けをして、
カット、カラー、パーマーしか出来ませんでした。
そんな中、僕の為に小学校・中学校と母が店に張り紙をして、中抜けして、参観日に来てくれたり、保護者面談に来てくている姿を覚えている。
本当にありがとう。
母は叔母が病気になり仕方なく初めた商売を今日までしっかり続けている。頭が下がる想いです。

最近、母が「お客さんが死んだ時が仕事止める時よね。」
っと、あっさり言った言葉が、僕には深く突き刺さる。
サラリーマンの父が15歳から、勤続50年近く続けて来た定年退職で辞めてたが、母は専業主婦で片手間で初めた仕事を継続していて、楽しそうにしているのを僕は何だか誇らしく思う。

母は時折、本音を漏らせる相手がいないのか、それとも僕に仕事の喜びを伝えたいのか、時々僕に「お客さんが来てくれて嬉しい。」という事をたまに話す。

僕は幼少期身体が弱く、母の店(当時は叔母の店)で看病されて、お世話になり、お客さんにもよくお世話になっていた。
叔母が倒れて、半身麻痺になり仕事になり、父が叔母の店を買取、母が1人で経営し出した。
母が1人でやりだしたのが、40代前半だ。
稼ぎが良いとか、悪いとかいうつもりはないのだが、叔母の為なのか、お客様の為のなのか、なんとなくなのか、歳を重ねた僕は未だにわからないが、その時のお店を初めた母の気持ちはよく理解出来ない。
ただ、20年経った今でも当時のお客様は違う店に行ったり、なくなったりしながらも、半数は来てくれている。
これがテナントを構える意味だろう。
僕の母は、お客様はいる病院、自宅に行き、カット・カラーくらいならたまにしている。
母との話す、ひとときをお客様は楽しんでいるのだろう。
母と見ていた『NHKのあぐり』が懐かしい。
ここに客商売の楽しさ、大事なところがあるんだろうと思っています。

僕、兄は母の店を継がないでしょうが、母の仕事の想いは受け止めて、繋げたいなと思う。
未だ、次の仕事に悩みながらですが、僕のかつての想い、過去の想いは捨てたくないなと思う日々です。

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