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「なんだかやる気が起きない」という重大なシグナル

祖母は料理が得意な人だった。正月に集まれば冷蔵庫の中からせっせと食料を集めて、大量の夕飯を食卓に並べた。

「お腹いっぱい」と言っても手を休めず、遊びにいくとここぞとばかりに容赦なく作り続ける。台所に立つその後ろ姿はなんだか活き活きとしていた。

そんな祖母がどうやら最近ぱったりと料理を作らなくなったらしい。

喋りも達者でよく歩く祖母のことだから、たまに会う程度では気づかないのだが、どうやら認知症の症状が出ているとのこと。同じ話を何度もしたり、さっきまで手につけていたことをど忘れしたり。父が心配して一緒に病院にかかるように話すと、普段穏やかな祖母は大変な剣幕で怒ったらしい。認知症が始まっていることを認めたくないようだ。

いくら説得しても、行くなら一人で行くから心配しないでほしいの一点張り。認知症かもしれない人間が、一人で病院に言って医者に言われたことを真っ当に聞けるものか。言われたことも忘れて帰ってきたら、とんだジョークだなと半ば困っていた。

最近料理をしなくなった理由を聞くと、「なんだかやる気が起きない」と言っていた。

もちろん、単に料理を作るのが面倒臭いのはそうなんだろうが、あの料理好きの祖母からは想像できない言葉だ。自分に負荷のかかる作業を続けるのはしんどい。人間は、そういったストレスを回避する習性がある。考えてみれば料理は一つ一つの作業工程を細かく進めていき、それも同時に幾つかの作業をこなす必要がある。その作業の度に、小さな物忘れが重なると、料理なんてままならなくなるのは想像に難くない。

やろうと思えばできることも分かる。時間を掛ければできることも分かる。
だが、それがどうも前みたいにスムーズにできない。これは言語化するとしたら、「なんだかやる気が起きない」に収束する問題のように思える。

原因を辿れば本当は小さすぎて拾い切れないほど小さなストレスの集合としか言いようがない。人は学習するからこそ、そのストレスを避けようと無意識的に行動できるのだ。

「なんだかやる気が起きない」と思ったら、そのほつれの先を辿って、何が自分にとってストレスに感じてたかを知ることが大事なのかもしれない。


———3.28.22 のメモより


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