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学校に行かないことを選ばれる、を考える(雑記)

学校や学級にどうしても通えない子が今まで以上に増えています。これは、学級担当の先生からすると、自分の担当学級に不登校の子をもつリスクの高まりを意味します。今回は学校の先生を中心とした不登校への対応を見ていきたいと思います。

一つ目、対応できる時間。疲弊感ただよう教員の勤務実態でお伝えしたように、学校の先生の平日の平均勤務時間は約12時間で持ち帰り仕事は約1時間半。8時間勤務を基本とすれば、5時間半ほど残業している計算です。それらを終えて、さらなる残業として、不登校の子の個別対応に時間を割くことになります。

優しさのある、熱意ある、子ども想いの先生たちは5時間半の残業後に、その子のための行動を取っています。

二つ目、対応の内容。学校に行けないということで取り上げましたように

偏食にしても不登校にしても、表に出ている問題だけに焦点を当てて、そこだけ何とか修正しようとがんばっても、どうにもなるものではない。限られたチャンネルを活かして心が自然に育っていくような環境をつくっていくしかない。(『生きにくい子どもたち』 岩宮恵子 岩波書店 1997年)

別室登校や保健室登校、放課後登校、支援教室登校などへの接続対応します。子どもたちとふれあい、授業をし、対話をすることこそ本業の先生に、担当する学級の外で環境づくりすることを求められます。

三つ目、学校外への対応。学校を疑ってみるで記しましたとおり

教員というのは、教育制度に多くの利害を投資・充当している・・・「学校によって解放された者は解放する学校に信頼を置くことによって保守的な学校に奉仕する」(『教育を支える思想』 堀尾輝久 岩波書店 1990年)

学校で成功体験を持ち、学校に多くの時間を割き、その対価として賃金をもらう学校の先生は、構造的に学校と利害関係をともにし、学校を信頼し保守的になりやすいです。そのため学校外での環境づくりは困難でしょう。

ブルデューの助言にしたがうと

問題を学校の中にだけ見出すのではなく、家庭と学校の関係のなかに、学校と企業との関係のなかに見出していく方法意識が重要(同書)

いわゆる共育が浮かび上がってきます。家庭と学校、学校と企業、学校とNPO、学校と地域・・。共育環境づくりで、学校は重要な存在になり得ます。お子様やご家庭は学校に行かないことを選ぶ権利を持ちますが、学校に行かないことを選ばれる側である学校の協力を得ることが望ましいです。

逆説的ではありますが、学校に行かないことを選ぶ場合、学校の理解と協力を得る方が良いと僕は考えます。

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