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【観劇】ティーファクトリー『2020年3月』『2020年4月』『2020年5月』

観劇録です。11月23日(勤労感謝の日)、吉祥寺シアターにて。
劇作家・演出家の川村毅さんが書かれた、新作戯曲のリーディング公演を拝見しました。

川村さんのカンパニー・ティーファクトリーによる主催で、2021年2月開催の「第1回 T Crossroad短編戯曲祭」のプレイベントとしての位置づけです。
一度限りの新作上演、終演後にはポストパフォーマンストークもあるという、ちょっとレアな構成。

コロナ禍当初の生々しさと閉塞感

『2020年3月』『2020年4月』『2020年5月』というタイトルの通り、今年(2020年)の春に世界で起きていたこと、新型コロナウイルス禍を描いた短編戯曲3作。執筆も3月~5月の間に行われていたとのこと。
いずれの作品も、古いアパートの一室で暮らす男と周囲の会話で進みます。

「俺、陽性だけど大丈夫?」「外出自粛でもマスクもせずにランニング」「交番勤務の男女が職務中に……」のような当時の時事や、
「世界の終わり」「誰もいない街に少し安心する」「感染=隔離され、死と同義」という当時の感覚が生々しく反映されていました。

いま書き残す意義

驚いたのは、数ヶ月前の出来事や思考の描写が、もはや懐かしく感じられたこと。
この点はポストパフォーマンストークでも言及されており、多くの観客が共感できたポイントだったかと思います。

終息は未だ遠く、情勢は時々刻々と変わっている最中、懐かしんでいる場合ではないかもしれません。
しかし、ほんの数カ月前のことでさえ「懐かしい」と思ってしまうのに、数年後にこの作品を見たのならどんな気持ちになるでしょう。

この空気を「今」、書いておかねばと、根拠のない使命感に燃え、とりつかれたように書き上げました。

――劇場にて配布された挨拶文、川村毅『短編戯曲の愉悦』より

川村さんの言葉にもある通り、「今」書いておき、作品として残すことに意義があるものだと感じました。

「短編戯曲は長編を短くしたものじゃない」

上記は、ポストパフォーマンストークに登壇された赤澤ムックさんの言葉。
短距離走とフルマラソンが違うように、短編戯曲と長編戯曲も役割や表現方法が違うはず。
頭ではわかっていながら、私もついつい忘れてしまう落とし穴です。

今回上演された3作品は、とりとめのない会話や、日々を切り抜いたような雑多な空気感が特徴的。
それが先述した生々しさや懐かしさに繋がるわけで、膝を打つ思いでした。
間違いなく「短編戯曲ならではの強み」がそこにありました。
ポストパフォーマンストークで川村さんは「脱力感」と表現されていましたが、短編戯曲は肩肘を張る必要はなく、その時の直感や勢いこそ大切で、作品の鋭さに繋がるのかもしれません。


冒頭にも書いたとおり、今回の上演は「T Crossroad短編戯曲祭」の前段としてのイベントで、来年2月の戯曲祭には私も劇作家として参加します。
まさに完成稿に向かっている最中、川村さんの作品に励ましていただけた感覚でした。

「今」を書き残すための短編戯曲。
私も脱力しながら楽しみ、頑張って書きたいと思います。

「第1回 T Crossroad短編戯曲祭」の詳細は、ティーファクトリーのWebサイトからご確認ください。お楽しみに。
http://www.tfactory.jp/data/t_crossroad1.shtml

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