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ネタ切れと充足感の関係性

注意:本日、ネタ切れです。

毎日noteを書き始めて、まもなく2ヶ月が経とうとしている。
元々、"毎日、なにかを書く"という名目で、800字程度の物語や文章を毎日書くところからスタートしたのだが、本日、完全にネタ切れを迎えている。

したがって、本日はネタ切れをネタに書こうと思う。
禁断の手だ。

しかしなぜ、ネタ切れを……?
自問自答してみた。

2ヶ月前のような「書けない……」という喪失感とはまったくの別物だ。
むしろ、書くことへの楽しさや充足感があり、時世こそ厳しいものの、作品制作にかける時間や、研究に没頭する時間は増えているはずだ。
しかし、よく考えれば戯曲の執筆本数自体は12月以降減っており、noteもこうしてネタ切れを迎えている。

なぜ……?

そこで、はたと気づいてしまった。

充足感が、ネタ切れの原因では?

毎日必ずnoteを書くルールを作る。
それなりの時間と労力をかけ、作品を発表するときと同じ筆力で書く。

すると、毎日一作出せているぞ!という自信が湧き、充足感になる。
だんだんと自身の執筆速度や、書けない日の切り抜け方が掴めてくる。

次第に、無意識のうちにネタが偏ったり、楽に切り抜けようとしてしまう。
でも、一日一回は自分の意見をアウトプットでき、書きたいことを書く。
さらなる充足感に繋がる。

すると、本来なら戯曲に込めたい・包み隠したいようなテーマ(ポジティブかネガティブかは問わない)も、知らないうちに消費することになる。
毎日noteを書くことに気を取られ、小さな"消費"を続けることになる。

一日で書いて消費できる、小さなネタしか探さなくなる。
さらに内容が偏って、ネタ切れ。


――うーん、やり方を変えるべき時期に来ているかもしれない。
せっかくの習慣、「これでおしまい!」とはしたくないのだけれど。

そんなことを考えながら、今日も"なんとなく"書き上がってしまった。

まもなく今日が終わる。タイムアップ。ではまた明日。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました! これからも応援いただけたらうれしいです。 (いただいたサポートは、作品制作のために活用いたします!)