度が過ぎると、不自然である。


然か不自然かでみれば間違わない


上記文抜粋
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コオロギ工場があまりうまく行っていないようです。つぶれるコオロギ会社も出てきているとか。また、最近では女性トイレに肉体男性が入ることは、やはりダメだとなりつつあるようです。

トイレのことなど当たり前なのですが、なぜか、それほどまでに私たちの時代は、様々な理屈をつけて不自然なものを強制されてきたように感じます。

世の中、本当に不自然なことが多すぎるのですが、あまりに不自然過ぎて、段々と機能しなくなりつつあるのが、現代の問題の根本にあるのではないでしょうか。

私たち個々の間でも、不自然さに流され、不自然なことに慣れてきてしまっていますが、それもやはり限界があり、あまりに不自然なことを続けていると、自分自身がやはりダメになっていく。体が動かなくなっていく。仕事がつらくなっていく。人も社会も同様だと思います。

先日、海外ですが、きちんとした研究で、癌になってもっとも良い対処は、何もしないことだ、、、との論文が出たとのニュースがありました。もちろん例外はあるので何とも言えないでしょうが、基本はその通りなのかもしれません。癌に限らず、ほとんどの病気にこのことが通用するのだとしたら、これまで一体何だったのか、、、と愕然とする思いになります。

結局、人間の生き方、社会の在り方、世界の方向など、すべてにわたり、正しい判断基準があるとすれば、それは自然であるか不自然であるかということに尽きるのではないでしょうか。

論文、研究、掘り下げ、実験、そうしたものももちろん大切でしょうが、その結果が不自然の積み重ねになった時、それらの個々の研究がどんなに素晴らしいものであっても、結局は人類に貢献しないことになるのかもしれません。

私たち個々の生き方も、これまでずいぶんと不自然なことを積み上げており、私たちの不幸や不調や不健康や悲しみは、不自然なことばかりやってきたからなのかもしれません。

これからの生きる指針の大元に、自分が今やろうとしていることは、自然か不自然か、、、と見極める目を持っていないと変化の時代を乗り越えられないと思います。


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抜粋終わり


度が過ぎると、だいたい不自然でおかしくなる。

LGBTQを非難し差別するのは、当然不自然。

それを解消するために、「性別など無い」とまでいって、定型の弱者をいたぶるのも、不自然。
特に「思春期ブロッカー」を売りつけるために、少年少女を洗脳するのも不自然。

不自然 て違和感 を感じるのは大事と思う。

「不自然」と感じても、トータルでは自然であり、後に成って「それも自然かな」って思うこともあるけど・・・
その辺の感覚と知性を、十分に効かすために、自分を活かし{克かし}時に学ぶことも大事。

「学ぶ」ことで、自分の自然を殺せば、無意味になるし。
「自分の自然」を生かすために「学ぶ」ことがないと、日常の惰性のためにで、「自分の自然」が殺されていることに気が付かなくなる・・・







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