アメリカが滅び、日本も滅びる。天皇のおかげ。


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上記文抜粋
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米国文明の崩壊が迫っていることを示す5つの兆候とは?

米国の文明は内部から崩壊しつつある。米紙「ワシントン・タイムズ」のコラムニストであるドン・フェダー氏は、この現象がいくつかの兆候によって証明されていると指摘している。
フェダー氏は、「文明は自己再生ができるものではない。文明には、労力と意志が必要だが、米国では誰も働こうとしないし、意志もない」と述べた上で、米国の崩壊が迫っていることを示す5つの兆候を挙げている。

1つ目の兆候は、米国への入国を目指す移民の流れを抑制していないこと。2022年以降、200万人以上の移民が米国に入国しているが、これは2021年の同時期のほぼ2倍にあたる。フェダー氏は、それまでテキサス州兵が警備していた南部国境のゲートを大勢の移民に対して開放した点を挙げている

2つ目は、店内の商品を集団で略奪する行為。フェダー氏は、これを「最新の犯罪イノベーション」だと表現している。米国では最近、人々が大挙して店に押し入り、目についた商品をすべて持ち去っていく事件が発生した。また、多くの都市の警察は、軽犯罪の取り締まりをあきらめているという。警察は、検察官が逮捕者を路上に戻すことを知っているためだ。

3つ目の兆候は、米国の現代のエリートが自国の国家が設立された当時の価値観を嘲笑する現象が起きている点。フェダー氏によると、バージニア大学の学生新聞の社説では、アメリカ独立宣言を作成した一人であるトーマス・ジェファーソンが創設した学校の名前から、ジェファーソンの名前を削除するよう要求していた。

4つ目は、薬物の蔓延。同氏は、中国が麻酔や鎮痛で利用される医薬品「フェンタニル」を米国に輸出していると非難しており、この薬品が18歳から45歳の米国人の主な死因になっていると指摘している。

そして最後の5つ目の兆候は、米国の出生率が異常に低下している点。

フェダー氏は、「健全な社会では、人口が増加している。米国の出生率は史上最低の水準まで低下しており、米国の出産可能年齢の女性1人当たりの子供の数は現在1.78人。世代交代を行うためには、この数値が少なくとも2.1でなければならない。(中略)イーロン・マスク氏は、人口崩壊を『文明に対する最大の脅威』だと表現している」と述べている。

フェダー氏は、米国の衰退を最も端的に表しているのはホームレスの増加であり、その多くは精神疾患や薬物依存症であると指摘している。
同氏は、「舗道の住人には犯罪、寄生虫、病気、使用済み注射針、糞便がつきものだ」と述べている。
さらにフェダー氏は、現代の米国の価値観を批判し、何世紀もかけて作り上げた自国の文明をないがしろにしている米国人を非難している。

最後に同氏は、米国の歴史家ウィル・デュラントの「偉大な文明は、内側から自滅しない限り、外側から征服することはない」の言葉を引用した上で、「米国では破壊者が残業している」という自らの言葉で締めくくっている。

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抜粋終わり

日本も、同じようなモノだ。

仏教・儒教を否定する。

出生率は、なだれ落ち。

薬物以前にワクチンで殺しまくり。

オレオレ詐欺は、たぶん国家が後ろで後押し。


より

上記文抜粋
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自民党「保守派」から見えてこない根本の政治思想

<夫婦別姓や離婚後の共同親権に反対する背景には、どのような思想があるのか全く不透明>

自民党は大きな政党ですから、右から左まで様々な立場の政治家がいます。昭和の昔には、左は「AA(アジアアフリカ)研究会」から、右は「青嵐会」など様々なグループがあって、かなり派手な議論を繰り広げていました。最大の事件としては、70年代の日中国交回復問題がありましたが、左右両派ともに言いたいことを言い合った結果として、合意形成ができたのは事実だと思います。

現在も、「保守派」というのはあるようです。その具体的なポジションですが、例えば、防衛費の問題や近隣諸国との外交に関する立ち位置というのは、強硬か協調かの軸を考えれば理解ができます。またその背景にある思想や価値観というのも、想像がつきます。

一方で、日本の場合は家族をめぐる価値観論争というものがあります。具体的には、結婚後の夫婦別姓をどうするか、あるいは離婚後の共同親権をどうするかと言った問題です。ここでも、保守派というのは、かなり立場を明確にしています。ですが、軍事外交の問題と比べると、家族をめぐる価値観論争においては、背景の思想というのが伝わっていないように思います。

例えば、最高裁の違憲判決を受けて法律の改正も終わった問題ですが、非嫡出子の相続権を平等にするという問題がありました。保守派からは反対が出ていましたが、その理由や背景の思想に関する説明は十分ではありませんでした。例えば、地方出身の政治家や実業家が、妻子を地元に残しながら、東京に愛人を作って子供をもうけるなどということが昭和の時代にはよくありました。

背景の思想が見えない

その場合に、夫の横暴に耐えて本家や本店あるいは選挙区を守った「正妻」の子供は、その正妻の苦労に見合うだけの分配があっていいとか、あるいは「愛人の子」に財産が分配されると家業の承継が難しいなどの「一応の理屈」があったことは想像できます。平成や令和の社会常識には反するし、従って最高裁にも否定された考え方ですが、反対論への理解は不可能ではありませんでした。

ところが、夫婦別姓の場合は、その背景にある思想がよく見えません。よくある批判は、家族が分断されるというのですが、これも別姓問題よりも、日本独特の広範な単身赴任制度を禁止するなどの方がよほど重要だし効果的と思われます。また、強硬な反対論者に限って旧姓の通称使用は自身でも経験があり、大いに推進するなどとしているのも不思議です。

通称はいいが、戸籍はダメ、本人の自由ではなく一律ダメという主張は、非常に分りにくいです。他の家族が夫婦別姓を選ぶことで、戸籍制度全体が「汚(けが)れる」とでも思っている一種の「戸籍教」のような信仰があるとしか思えません。

今回は、離婚後の共同親権の問題についても、自民党の保守派の批判から法制審議会での中間試案の決定が先送りになっています。この問題でも、同じような「分かりにくさ」があると思います。D V(ドメスティック・バイオレンス)の履歴がある元配偶者の問題など、個別事例に判断が引っ張られているのか、それとも親権、監護権、面会権の組み合わせ方として代案があるのか、反対論の中身が分かりません。

また反対する理由、その背景にある家族観も不明確です。「都会のキャリア志向の女性と離婚して、子供を後継ぎとするために親権を取った父親とその両親が、子供への母親の影響力をゼロにしたい」、そんな例があるのは一応は理解できます。また、再婚家庭の配偶者は一般的に相手に、親権のない連れ子との関係を断つように要求するのが「正しい」といった、一種の家族観に引っ張られている可能性も感じます。

仮にそうだとして、それが「麗しい日本の伝統的な家族」だと胸を張られても困りますし、そもそも説明がないので「どのような家族観から判断しているのか」が見えないのです。よくあるのは、別姓家庭の子供や、共同親権の子供は「いじめられる」という批判です。

ですが、それこそ反対派の大人としては「いじめられるのが心配」というよりも、「そのような例外がいるとコミュニケーション面で面倒なので排斥したい」というのが本音のように聞こえます。「いじめられるのが可哀想」などと言いながら、いじめる気満々という気配すらあります。いやいや、それは違うというのなら、やはり分りにくいので説明を求めたいと思います。

とにかく、この夫婦別姓問題における「戸籍を汚すな」的な印象論と、共同親権に関する問題については、反対するうえでのロジックが見えないのです。

特定団体の影響?

もしかしたら、保守派の政治家や支持者には明確な家族観やイデオロギーというものはなく、「リベラルの知的なマウント取りが憎いので逆方向に行くと結束できる」という党派対立のメカニズムだけなのかもしれません。あるいは「自分の支持層はとにかく時代の変化や社会の変化を嫌っているので、昔の通りがいい」という思考停止への迎合なのかもしれません。だったら、別姓問題にしても、親権の問題にしても、現在ある制約に苦しんでいる人々に対して、あまりにも不誠実だと思います。

一つ心配なのは、「支援してくれて欠かせない存在になっている宗教や外国団体の影響に引きずられている」という可能性です。比較的小さなテーマにここまで対立エネルギーを投入しているのは、基本的に不自然であり、どうしても外部勢力の工作を受けているという疑念が生じてしまうのです。仮に事実であれば、それが100%の要因ではないにしても、これは深刻なことです。

いずれにしても、家族に関するイデオロギー論争はしっかり行うべきです。まずは、保守派の方々には、どのような家族観に基づいて政策論を展開しているのか、透明性のある説明をお願いしたいと思います。

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抜粋終わり

保守派の思想てのが、実は「壺売り」に過ぎないと、山上ファイヤーでばれてしまった。


まあ、日本は「天皇が一切責任を取らない」のが天皇国の国是なので、まあ普通に壊れます。

日本人に主体性が無いのは、天皇が好き放題するためなのですは・・・なんせ「主導性を持っている」と、まあ「命令をした責任を取る」ってのが容易に理解できるし、それでなければ、天皇も存在できないし。


より

全般的特徴
・非好戦的 - 戦争を簡単に起こすことや、長期戦による国力消耗を戒める。この点について 老子思想との類縁性を指摘する研究もある。「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」(謀攻篇)
・現実主義 - 緻密な観察眼に基づき、戦争の様々な様相を区別し、それに対応した記述を行う。「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」(謀攻篇)
・主導権の重視 - 「善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず」(虚実篇)

日本人が「個々人の人生において主導権をもって生きる」のなら、天皇とか国家や権威に盲従しなくなる。
そもそも「主導権」をもって、天皇が執政していたら、当然に天皇がその責任を負う。

てのは、「天皇は国家統治に一切責任を持たない」が絶対の「天皇」というカルト宗教には、許されないのですは。

なんせ、「好き放題して、なんにも責任を取らん」のが、天皇と特にその閨閥の目的だからな。

それを目指している「保守」にはイデオロギーなどあるはずもない。そんなモノを持てば「やったことの責任を問われる」のでな。

まあ、猿や蟻以下。それが「天皇」という政治システムなのです。

それを受け入れて生きるのには、人間以下にならんと無理なのです・・・

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

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