結局、天皇の存在は、日本人には無意味だった。
これを立ち読みしての、今の感想。
「そもそも天皇は、日本人に根拠がない」
「天皇は神の子」は、裕仁が何としても守りたかったので
「現人神」だけ否定したのが、戦後の天皇
でも「神の子」は変わらんので、超越的地位は確保される。
まさにカルト宗教。
そんなのさー、テンコロとその不愉快な部族とその信奉者の家畜共みてりゃIQ40以下の重篤な障害者でもわかりえるわけ
— 来世は工口触手@キール (@aoJvqLcHOrs7UWg) March 5, 2023
自分達は特別ではないが彼らは特別であると考えたら、どー考えたって家畜街道真っしぐらだろ
ほんとニッ畜はセンスねーな、だから産業処理場にされるんだよ、間抜け
制服強要を代表格として、個の人格と個性を圧殺する過剰集団同調の訓練と教育が「まとまり」の名のもとに、なお21世紀の日本の学校では日常の光景となっている
— キラ (@tyokowithkira) January 10, 2021
教育は個人の価値を尊び、「右や前へ」ならわない「自主的精神に充ちた心身」をこそ伸ばす仕事である
生徒や学生が自分で考え、自分で判断し
その結果に責任を持つように励ます仕事である
— キラ (@tyokowithkira) January 10, 2021
つまり、再び日常化している日の丸、君が代の掲揚、斉唱の教育実践は、日本社会の悪しき集団主義、集団同調の強化をもたらし、日本の青年が社会や組織に従順に適応し、組織の一員として集団に埋没して行動する訓練を無意識的に積み重ねる事を意味する
その教育は、日頃それなりに尊敬している先生も、文科省→教育委員会→校長(以下、続く)の前に頭が上がらないという惨めな姿を見せつける事によって、「君が代」(象徴天皇制)の権威、超越性と共に、何よりも生徒に、権力(上の者)への服従、同調、帰依を教えこもうとする最低、最悪の教育実践である
— キラ (@tyokowithkira) January 10, 2021
天皇に日本人を守る義務は、無い。
日本人が天皇を守る義務も今の所はないけどな・・
なんせあの敗戦でも、日本人に一切謝罪も無かった「天皇」・・
なら、「天皇」は日本人に無用有害な害獣ってことです。
NO天皇YES日本人
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みに富む社会になりますように
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