「体罰は、ドーピング」とは、その通りだよね。

より

上記文抜粋
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「暴力指導はドーピングみたいなもの」専門家ー“アゴ外れ大けが”姫路ソフト部体罰【ひるおび】


10月3日、体罰があったとして謝罪会見を行った兵庫県姫路市の姫路女学院高校。学校によると、ソフトボール部顧問の男性教諭(41)がユニフォームを忘れてきた1年生の女子生徒(16)に対し、平手打ちをしてアゴが外れる大けがをさせたということです。
繰り返される「体罰」について、専門家に聞きました。

■アゴが外れるほどの「体罰」謝罪会見では

謝罪会見を行ったのは、兵庫県姫路市の姫路女学院高校です。
ソフトボール部顧問の40代の男性教諭が、部員の女子生徒1年生に対して体罰をおこなったとして、10月3日、兵庫県の私立高校が謝罪会見を行いました。この女子生徒はアゴが外れる全治1か月のけがです。

姫路女学院高校 摺河祐彦校長:
「生徒やご両親その他の生徒にもショックや不安を与え申し訳ない。心からお詫び申し上げます」
「生徒の心のケアと再発防止に取り組みたい」

■「一発たたいていいですか」平手打ち後も5時間立たせたまま

一体何があったのでしょうか。
9月24日にソフトボールの地区大会がありました。1年生の女子生徒はユニフォームを忘れてしまい、これに対し顧問だった男性教諭が腹を立てました。
ユニフォームを忘れた女子生徒は、まず母親に連絡をし、母親が顧問に電話。その中で男性教諭は、「一発たたいていいですか」と言い、まさか本当にたたくとは思わなかった母親も「お任せします」と返事をしたということです。

そして教諭は、生徒の頬を右手で1回平手打ちし、さらに「もう帰れ」「お前なんかいらん」と言いました。

この平手打ちの衝撃でアゴが外れ、その後女子生徒は全治1か月の外傷性開口障害と診断されました。ただ、すぐに診察を受けたわけではありませんでした。
この平手打ちの後、ベンチにも入れてもらえず、5時間ほど立ったまま試合を応援したということです。

「外傷性開口障害」とは、打撲や捻挫によって開口筋や顎関節の障害から口が開けにくくなることです。

銀座池渕歯科 池渕剛院長によるとー
外そうとしても外れないくらいアゴの関節は強い。咀嚼するときも、30キロほど力が加わることもあるので、それと同様くらいの力が外から加わったのではないか。
ということです。

■「親に許可を取れば体罰しても良いという解釈が非常に悪質」専門家

スポーツ社会学者 溝口紀子氏:
なぜこういった暴力がスポーツ界からなくならないのか。10年前から言っていても、まだ現場では行われている。
さらに私が悪質だなと思ったのは、親に許可をもらっているという解釈。親に許可を取れば殴ってもいいというところが、もう本当に教師として、指導者としての資質がないと思います。

恵俊彰:
また「一発たたいていいですか?」という言葉も、何か日常的にこういうことがあったのかなと思わせるような表現ですね。

スポーツ社会学者 溝口紀子氏:
常習性というか。他の生徒さんは大丈夫なのかなという感じがします。校長先生の記者会見を見ると、なにか歯切れが悪いというか、何か他にもあるんじゃないかと。こういったこの先生の体質を知ってるんじゃないかと、そんなふうにも見受けられますね。

恵俊彰:
この生徒さんは全治1か月のけが、それから心の傷も負っていると思いますし、それを見た周りのソフトボール部のメンバーも、大きなショックを受けていると思います。いまだにこういうことがあるって信じられないです。

落語家 立川志らく:
その場で感情的になってやったのではなく、冷静に親に「叩いていいですか」と言っている。大体こうやって暴力を振るうというのは、言葉で教育することができない、その能力がないから手が出るという判断をした方がいい。
もしかしたら普段はいい先生なのかもしれないけど、教師としては失格ですよね。

■大会には優勝するも「ソフトボールをやめる」

体罰が行われた次の日にも準決勝と決勝の試合がありました。この女子生徒は試合には出ることができましたが、試合の前には頭を叩かれたり、おしりを2回蹴られました。
この地区大会では結果的にチームは優勝しましたが、女子生徒は「ソフトボールをやめる。ユニフォームは着ない」と話しています。
精神的なショックを受け、現在も登校することができなくなっているということです。
女子生徒側は学校に対し、警察に被害届を提出する意向を伝えています。

恵俊彰:
勝てばいいのか、という話なんですけれども、なんとなく話を聞いていると、子どもたちを恐怖で支配しているような気がします。

弁護士 八代英輝:
例えば私立で強豪校と言われるようなものになると、部活の先生に学校側もあまり強く言えないというような体質ができてしまって、今回もそういった関係性があったんじゃないかとうかがわれます。
「体罰」という言い方自体をもうやめた方がいいんじゃないか。
れっきとした犯罪で、傷害行為ですから。学校の中で行われて許されるものではないです。

■“暴力指導”をする指導者には周りからの働きかけが必要

男性教諭は、2018年からソフトボール部の顧問を務めて現在5年目。生徒に対しては熱心で、いわゆる熱血漢な教員だと会見では説明しています。

姫路女学院高校 摺河祐彦校長:
「自分にも厳しい教員で、生徒に対しても厳しくあたる傾向があったのではないかと、日頃の様子を見ていて思う。」

他の生徒に対しても「暴言があった」という話もあり、引き続き聞き取り調査を行って、この教諭に対し懲戒処分をする方針だということです。

スポーツ社会学者 溝口紀子氏:
暴力指導というのはドーピングみたいなもの。一時的に脅したり脅迫するなど、恐怖で支配することで、指導しやすいという一面があるんですね。でもやはりドーピングと一緒で、常習性というか、段々エスカレートしていきます。
暴力指導をする指導者は、指導力不足であることを自明なものにしていますので、もう周りからダメだと粘り強く言うことと、怒りをコントロールするような研修をもっと現場ではしていくべきだと思います。

恵俊彰:
そして何より、今学校に行けないという状況の彼女を何とかケアしていただいて、早く学校に行けるのが一番ですよね。

(ひるおび 2022年10月4日放送より)

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抜粋終わり

日本には、指導・統御の学問があまりない。

まあ「天皇」などいう「無責任の権現」が、象徴で、元首の時代の敗戦に一切責任を取らない馬鹿の帝国なのでな。

「上官の命令責任」が、もっとも重要な「自衛隊」ですら存在しない。

そんな「武力組織」は、ただの強盗団ですは。

天皇と言うカルトに生きるには、ドーピングでもしないと、生き延びれないのだろうね。

一刻も早く天皇家を抹殺しないと 日本人は死滅です。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す


追記

体罰を全面的に否定すべきかどうか。私には難しい。

ただ「体罰」ってのは加害者がそのことに責任を取る事や意識がまずない。

「やりすぎ体罰」「体罰でPTSDに被害者がなる」とかしても加害者は悪の意識も罪の意識も無い。

それでは「緊急避難的に、物理力を用いないと、死傷のリスクがあるときの回避」としての「緊急避難的体罰」も、容認するのは、不可能である。


『体罰とスポーツと、人が死ぬ理由』

大阪市立桜宮高校バスケット部の主将がクラブ顧問から体罰をうけた直後に自殺する事件が発生。体育科の入試中止問題にまで発展している。
今回少しは反省している風を装う体罰肯定派の橋下徹やヤンキー先生義家弘介などは何故か全員が右翼的言動を行うし、戸塚ヨットスクールの体罰を天まで持ち上げるのは欧米主要紙にまで右翼のゴロツキと名指しされる石原慎太郎である。
体罰と右翼には明確な関連性があるようですが、ただ今回の高校生の自殺とは無関係ではないが直接の関連性は薄いでしょう。
肉体的苦痛ぐらいで本物のアスリートは自殺などはしない。
そもそも『スポーツ』とは肉体的苦痛を必ず伴う行為ですよ。
苦痛が少しも無いスポーツなど有りません。らくで楽しいだけなら、それはレクリエーション程度でありスポーツ競技では無いのです。
通常なら耐えられない肉体的苦痛をあえて耐えることでランナーズハイのような、痛みと共に一種の快感が生まれる。
そもそも近代スポーツの起源は18世紀産業革命期の英国での、賭博や暴力と紙一重の流血を伴う危険で苦しいブラッディスポーツなのです。
内包する野蛮な暴力性をルールで緩和(抑制)することで、今のような健全なスポーツが成立したが日本では今だに近代以前の悪しきDNA(暴力)を理性で押さえることが出来ないでいるのでしょうか。

『肉体的苦痛ぐらいで自殺などはしない』

この明確な事実を、今回の事件で体罰賛成派も反対派も完璧に失念しています。
自殺したバスケット部主将ですが、発奮を期待してかも知れないが顧問から体罰を受ける度に主将を辞めるように言われていたらしい。
本人も主将を辞めるかどうか迷って顧問に相談したが、『主将をやめるなら二軍行き』との二者択一を迫られる。
これはもう無茶苦茶。
これでは到底耐えられない。
高校は地元でも有名な進学校なのですが、インターハイ出場チームの主将なら確実に有名私立大に推薦入学が望めるが、二軍選手では絶対に無理です。
肉体的苦痛ぐらいで自殺しないが、人としての尊厳を奪われ人格を無視されては多感な思春期の青少年では耐えられなかったのでしょう。
なんとも腹立たしい悲惨な話である。
特に部のトップである主将としては、他の部員全員の前で叩かれるのは男のプライドが一番傷つく。
『面子が潰れる』『顔が立たない』などの言葉があるように人の顔は自尊心などの象徴的な意味がある。
大事な顔面を無防備に晒させておいて、平手で張るというのは、相手に屈辱と無力感を与えることを最大の目的としている精神的な虐待行為である。

『勝利至上主義と成果主義』

体罰を避けようとに顔をかばう人としての自然な回避行為は絶対に許されないのです。
日頃の苦しい鍛錬で肉体は鍛えられる。
しかし、逆に心は精神的虐待に対しては弱く無力である。徐々に少しずつ壊れていって最後に決定的な破局を迎える。
野蛮で無意味な体罰の横行ですが、スポーツ界全般に蔓延る目先の1勝に極端にこだわる悪しき勝利至上主義がよんだ、当然の結果でしょう。
特に高校スポーツはトーナメント(勝ち抜き)方式が多い分、余計に『1敗も許されない』との完璧主義、勝利至上主義が生まれる下地がある。
人間としての個々の選手の成長過程は長い時間的スパンでないと分からないが、スポーツの勝敗の結果は誰にでもすぐに分かる。
ところが今回の桜宮高校のような有名スポーツ強豪校では監督コーチなど指導者側には『結果を出す』成果主義が、当然のように求められるのです。
長い目で選手の成長を促すのではなくて、手っ取り早く成果を出そうと焦れば当然体罰が横行することになる。
結果をよく考えもせず未熟な『高校生の競技』を安易に全国放送している現状は危険である。ましてや高校野球などによく見かけられる、解説者などが未完成の選手を天まで持ち上げるマスコミの行為は悪質である。
TVなど映像メディアは、発展途上段階の高校生に今回の自殺のような過剰なストレスを与える危険性を正しく認識しているとは到底思えない。

『旧日本軍の悪しき伝統』

目先の勝利に拘る悪しき勝利至上主義と言えば、旧日本軍などの軍隊に勝るものはない。
上官や古参兵による新兵に対するリンチ紛いの体罰(私的制裁)は旧日本軍の伝統的な訓練方法だったのですから、徴兵された兵士はたまったものではない。
訓練に関する体罰もあったが、体罰で最も激しく恐ろしかったのは旧軍特有の『員数合わせ』だった。
軍隊とは自己完結型の組織で、頭のてっぺんから爪先まで全てが官給品で、武器や軍装だけではなく靴下から何から全てを用意してくれるのですが、旧日本軍では『消耗する』ことを計算に入れていなかったようです。
結果的に員数が合わなくなるが、其れが軍隊としての日本軍は絶対に許されない『重大な悪事』とみなしていた。
其の結果が凄まじい体罰(リンチ)となるので、『紛失』の恐ろしさを知っている兵士達は仕方なく同僚の日本兵から盗むが、盗まれた兵士は次の兵士から盗む。
一度盗みが始まると誰かが死ぬほど体罰を受けるまで果てしなくこの恐怖の椅子とりゲームは続く訳です。
当時の日本軍の全ての兵士は、この『不幸の手紙』か『ババ抜き』のような愚かな実りない行為(永久運動)に全神経を傾けていたのですが、はたから見れば実に馬鹿馬鹿しい。
装備が消耗するのは当たり前で、兵士を厳しく罰すれば無くなる種類のものではない。
考えてみれば不思議な話です。
この原因の一つが日本軍が『軍隊と言う名前の官僚組織』であったためではないでしょうか。?

『員数と要領』

硬直した官僚組織では『形式』(前例)と『員数あわせ』は何ものにも勝る最大の価値感になる。
そして旧日本軍とはまさに究極の官僚組織であったのでしょう。
日本軍のこの不思議な悪弊『員数あわせの泥棒ごっこ』の事実は兵士でなくとも少し前なら有る程度年齢が上の世代では誰でも知っていた。
それにしても不思議ですね。
昔の戦争映画なら必ず描かれる兵士の有り触れた日常風景なのですが、今の戦艦大和などでは描かれていなかったしアメリカ映画のイーストウッド監督の硫黄島でも描かれたいなかったのです。
あまり名誉な歴史ではないので戦争責任などと一緒に『無かったこと』にされているのでしょうか。
健忘症か歴史修正主義であり、困ったことです。
旧日本軍では、軍隊内で結果的に泥棒が推奨されていた。
服装、装備など官給品の管理は厳格で紛失は厳しく追及される。
盗まれたことは理由にならず、『おそれおおくも天皇陛下からご下賜いただいた○○の数が足りないとはなにごとだ』と徹底的に体罰を受けるので紛失を知ったらすぐ同僚のものを盗んで『員数』を合わせるが、これを『要領』と呼ぶ。
体罰逃れの『員数』合わせの『要領』(泥棒)は日本軍の常識だったのです。

『人格を破壊する体罰と、憲法9条の精神』

日露戦争時の与謝野晶子の『 君死にたまふことなかれ』ではないが、子供に対してどこの親も『人を殺せ』とは絶対に教えない。
例外なく『人を傷つけるな』(殺すな)と教えるのです。
殺人は人類にとっての最大のタブーであり、『徴兵されたから』『戦争だから』と、いくら理由付けしても普通の『人』は『人殺し』が出来ない。
戦場で敵兵に向かっ銃を発砲できる人は10人中1~2人程度の少なさで、それ以外の普通の常識や理性を持っている一般市民の兵士では戦場でもわざと銃口を空に向けたり逸らして『殺さない』ように発砲しているのですが、これに気が付いたアメリカの軍人がいた。
この発砲率を改善すれば同じ兵力で10倍近い戦力になる。
アメリカ軍は日常的に殺人訓練(洗脳)することで、『人を殺すな』との人類最大のタブーを克服して仕舞う。
第二次世界大戦時は他国と同じだったが朝鮮戦争当時には50%をこす高率、ベトナム戦争当時には90%を遥かに超える驚異的高率に発砲率を高めたが、何ごとも良いことだけではない。アメリカではトンデモナイ後遺症が起きてしまった。
非人道的訓練で全員が映画ランボーのような優秀すぎる兵士になった、ところが戦場からアメリカ国内に帰ってきても映画のランボーの筋書きと同じで、軍の洗脳教育が解消されず国内の治安が極度に悪化する。社会復帰が出来ないのです。
少し考えれば、これは当たり前である。
現在は一般米軍ではベトナム戦争当時のような極端な洗脳教育(マインドコントロール)は行われていませんが其れでも他国の倍の二十数%の発砲率の高さで、これが原因して国内で無差別の銃乱射事件が多発する。
銃規制に反対する全米ライフル協会(National Rifle Association)の『銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだ』ですが、アメリカより銃所持率が高いカナダの例を見れば間違いではなく、NRAの言い分の方が正しい。
銃による無差別殺人の多発は銃規制の有無の問題ではない。
戦争を肯定するアメリカ人の精神が、根本的に病んでいることが大問題なのです。
旧日本軍の極端な体罰の蔓延ですが個人的でも偶発的でも無く、体罰の横行自体が組織的、意識的なものであった。
体罰は、米軍が新兵に対して行った日常的な殺人訓練(洗脳)で人類の最大のタブーを克服したことと、まったく同じ意味と効果を持っていたのです。
それなら日の丸君が代の強制や憲法9条改正、『日本軍は悪くなかった』と主張する石原慎太郎など右翼が全員例外なく体罰肯定なのは偶然の一致ではない。
憲法9条敵視と体罰の間には密接すぎる相関性があり、『体罰大好き』発言の橋下徹や義家弘介、石原慎太郎など右翼の理論的帰着である。
日本的な右翼思想と体罰の親和性は、何の不思議も無く当然だったのである。


 
『報復されないから体罰が起きる?』復讐するは我にあり

名門の大阪市立高校における体罰によるバスケット部主将の自殺問題に関して、元巨人軍投手で大阪出身の桑田真澄が、体罰は『指導者の力量不足が原因している』、『彼我の力関係が一方的である』『体罰をしても報復されないからだ』との3点を強調。
監督コーチの力量不足が体罰の原因であることは野村克也など多数の指導者も指摘しているが、桑田真澄が主張する『報復されないからだ』は誰も主張していない。
唯一桑田真澄だけですね。他と意見が違うのは。
年長の野村克也とは違い、若い桑田真澄は時間が経過していない分、自分の少年時代の体罰を正確に覚えているのですしょう。
高校1年で常勝PL学園でエースになるくらいの素晴らしい素質があった桑田選手でも、少年時代は毎日体罰を受けていたのですね。
少年たちにとって大人の監督コーチの力は絶対であり、選手には抗う力が少しも無いのですよ。
だからいくら禁止しても体罰が横行する。

『選手に体罰があり、責任が重い指導者に体罰がない』

体罰問題に対して『指導者の力不足』や『彼我の力関係が一方的である』は他と同じ一般的な考えで正しくはあるが枝葉末節、些細な話である。
間違いではないが、体罰の本質からは遠い。
勝利至上主義で、選手は些細なミスでも厳しい体罰がある。
ところが勝利至上主義の自己矛盾としてもっと問題な、重大な指導や采配でのミスでは当該責任者に対して体罰が一切無い。
体罰肯定論の石原慎太郎などがいうように体罰が本当に勝利に有効であるなら、ミスをした選手への体罰よりも、ミスをした監督コーチに対して体罰が行われて当然である。
ところが、『下』の弱い立場の者に対してだけ体罰があり、責任が重い『上』の強い者(指導者)に対しては一切体罰が行われない。
桑田真澄の他とは全く違うユニークな、『采配ミスで試合に負けても監督コーチが体罰を受ける事はない。体罰の横行は、仕返しが無いからだ』(安全だからだ)は実に的確で核心部分である。
いくら体罰をしても『相手から報復されない』。
教育現場での体罰やイジメやシゴキなど関連するだけではなく、他のすべての暴力問題での一番大事な本質を突いた素晴らしい指摘である。

『体罰肯定の橋下徹の公務員いじめの理由』

『指導力不足』や『力関係が一方的』は重要な発生要件(条件設定)であるが、これだけでは決して体罰は発生しない。絶対に起きないのですよ。
彼我の力関係が一方的で『報復されない』から、体罰を行うことが可能なのです。
この彼我の力関係の不平等とは、学校における生徒間のイジメにも共通する問題で、多数対少数の圧倒的な『力の不平等』の関係で陰湿ないじめ問題が発生している。
決して自分たちは相手から報復されない。(安全・安心)だからイジメが段々エスカレートしてしまうのです。
体罰といじめは日本の場合は同じカテゴリーの問題ですね。
教員など公務員イジメが大好きな橋下徹ですが、これも同じ理由で自分がいじめる対象から報復されないから行えるのです。
幾らいじめても公務員が少しも抵抗しないから好き放題、やり放題となるのは必然である。
日本も先進国並みの公務員のスト権など基本的権利を認めれば、この問題は簡単に解決する。

兵は詭道なり (孫子の兵法) (宗純)
2013-02-27 14:09:30
NダDサクさん、はじめまして。コメント有り難う御座います。
ブログ記事にも詳しく説明したが、正常な道徳や人間性が邪魔をして人は人が殺せない。
アメリカ軍の行った非人道的な殺人訓練(マインドコントロール)と同じで、大量破壊とか大量殺人を目的とした軍隊が、一般市民の道徳や人間性を破壊する目的で体罰を行っていた可能性は高いでしょう。
古代スパルタですがアテネとギリシャの覇権を争ったが、最初は優勢だったが結果的には負けてしまう。
これ、第二次世界大戦の日米の関係とそっくりですよ。
この場合には徳川幕府と薩長新政府と同じで負けた側の話は記録されない。
戦争で一番最初に犠牲になるのは真実であり、大きく歪曲される危険性があるのですね。
洋の東西を問わず2000年以上前から同じで、『兵は詭道なり』なのですよ。
スパルタとしては他のポリスに対して『我々は小さな子供の時から誰にも真似が出来ない厳しい鍛錬をしているぞ!』と兵士の強さを宣伝したい。
アテネの方では敵国が『非人道的な無茶苦茶な連中だ!』とスパルタの悪を宣伝したい。
ここでは両者の思惑が完全に一致しているので、『スパルタ教育』の言葉が途絶えることなく、今の社会にまで伝わったのです。
断食で闘争心が高まるのは事実ですが、成長期の断食は心身の発達を阻害するのです。
同じ心身の能力がある者同士の間では、体罰では強くなることは決して有りません。
日常的に行えば、間違いなくスパルタ兵は弱くなりますよ。
多くの皆さんは大きく誤解しているが、体に悪いことは分かっていてもドーピングのように本当に体罰で勝てるなら(金メダルが取れるなら)
ほんの少しでも効果があるなら、いくら禁止しても世界中で体罰が横行する。
隠れて殴りまくっていますよ。
一流のアスリートなら通常では耐えられない苦痛でも我慢できるだけの凄まじい心身の能力があるのです。
勝つためには何でも行います。
ナショナルチームの選手が怒っているのは、それでは世界に『勝てないから』ですよ。
話は逆で、スパルタですが都市国家の中では一番女性の権利を認めていた民主国家だったので、市民からなる兵士の国家に対する忠誠心が高かったので、スパルタ兵が強かったのです。
敗戦前の日本では、規則としては学校でも軍隊でも体罰が絶対禁止だと書いてあるのですよ。
これを見つけたお馬鹿な研究者が『日本軍には体罰がなかった』と発表する。
典型的な歴史の改竄というか阿呆臭すぎる勘違い。
空自の制服組トップ田母神がソ連のKGBの文章の中に張作霖爆殺の記述があったので、日本の関東軍では無くソ連が行ったのだとの珍説と同じ水準です。
紙に書いてあるからといって、現実にあるとは限らない。
勝海舟が氷川清話で、たかだか20年から30年で江戸時代の真実が忘れられている、今後実際に経験している古老が死んだらどうなるのかと嘆いているのですが、危惧は現実となり半世紀後の大正時代には完璧に忘れられる。
今は戦後68年。
歴史は繰り返すで、日本軍が体罰が無かったなど,あまりのバカバカしさに口があんぐりで言葉もない。
私の父親は第一次世界大戦のロシア革命直後の対ソ干渉戦争でシベリアに出兵しているのですが、凄まじい体罰を経験している。
理屈っぽい性格なので体罰禁止の規則とか、体罰は結果的に軍を弱くすると繰り返し主張したらしい。
そのために余計に集中的な体罰を受けて『このままでは殺される』と思って本気で脱走まで考えた。
しかし当時の遠征軍の兵士を苦しめたのは死ぬほどの体罰でもシベリアの極限的な寒さでもなくて、じつは飢えだった。
軍隊では食事が終わった時が、平時の空腹時程度なのです。
兵士には米を1日5合5勺支給すると決まっていたのに半分にも満たないので全員が飢餓に苦しんでいた。
当時から日本の軍隊は腐敗していて上部が少しずつピンハネするので、最前線の兵士が飢えに苦しむことになったのです。
日本の軍隊とは、究極の官僚組織だったのです。
江戸時代は儒教が基本道徳なので教育でも武芸でも同じで、体罰は無かった。
教育で、体罰が日本で行われるのは王政復古の後の出来事です。
ですから体罰ですが敗戦以前の昔は間違いなく富国強兵(軍国主義)と関係がある。
戦後68年も経った現在の体罰の横行ですが、これは多分軍国主義よりも日本が一番得意とする品質管理を、人間にも間違って導入したからですよ。
そもそも我が日本では、出る杭を常に叩いてきた均質で横並びを尊ぶ、長い伝統や文化的な素地があったのです。
これは、ギリシャ神話のプロクルステスの寝台と同じ話でしょう。
今の日本国の体罰ですが、選手とか生徒を鉄の寝台に無理やり寝かせて身長を寝台の長さに合わせて切り落としたり、短ければ引き伸ばしたりして『正しい規格に合うよう』にしているだけなのです。

体罰・暴力指導は、「報復」を法制化したら、ほぼ絶滅できる。

まあ体罰教師は「報復など許されない」というだろうが、報復無いのなら、まず教師から刑務所にいくべきだろうな。


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