民が食えないのに戦争=亡国。
三略にいう
兵を用いるときの要は、礼を厚くして俸禄を重くすることにあります。礼を厚くすれば智者が集まり、俸禄が重ければ優れた人材も身を投げ出して働きます。ですから賢者の俸禄は惜しまず、功績を賞するに躊躇しなければ、部下は力をあわせ、敵国を破ってくれます。
より
>左翼wの言うこと聞いて教育福祉政策を見直し
隊内のパワハラセクハラ撲滅、マッチョ体質を改善
したら隊員も増えるでしょうと思ってます
左翼・保守以前に、兵法・戦略の王道・基本でありますよね。
それがわからんのが、愛国者・尊皇家・天皇とその閨閥。
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・
ベルゴロド襲撃事件:ロシアのネオナチがプーチンに刃を向ける理由とは?
<記事原文 寺島先生推薦>
Belgorod Raid: Why are Russian Neo-Nazis Fighting Putin?
筆者:ポール・ロビンソン(Paul Robinson)
出典:INTERNATIONALIST 360° 2023年5月25日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ> 2023年6月14日
よくある事だが、真実は新聞の見出しから分かることよりも複雑だ。
ロシアとウクライナの間の戦争は今週(5月第4週)激化しており、 ウクライナから2部隊がロシアのベルゴロド州内に侵入し、ひとつの村をほぼ占領したが、その後ロシア軍により追い出された。ロシア政府によると、70人の「テロリスト」がその過程で戦死したという。
この事件が普通の出来事でないのは、ロシア領内でこのような事件が起こったからではなく、 事件を起こした「ウクライナ国民」が、実はロシア国民で、ウクライナ派として戦っていたロシア国民だったからだ。この勢力は、2団体の組織員であり、ひとつは自由ロシア軍団 (FRL)であり、もうひとつはロシア義勇兵部隊 (RVC)だ。後者は、今回の襲撃事件よりも小規模だが、似たような襲撃事件を、今年の3月にロシアのブリャンスクで起こした。CBCはその事件を「自由を求める兵士たちがロシアの小さな一部を占領」と報じた。しかしよくある事だが、見出しから分かることよりも真実は複雑だ。
FRLという組織のことは、ロシアの政府次官であったイリア・ポノマレンコが創設したということ以外、ほとんど知られていない。この組織のテレグラムによると、この組織の目的は、「1991年時のロシア国境内の、ひとつで不可分なロシアを保持すること」とある。この呼びかけは、ロシア内戦時のデニーキン将軍率いる反ボリシェヴィキ派の白軍の「一つで不可分のロシア」という呼びかけに、明らかに呼応するものだ。CNNの聞き取り取材に応じたこの部隊の1人の隊員は、自身はロシア正教会「に身を捧げている」とし、「ソ連時代の前のツァー(帝政ロシア)時代を懐古している」と語っていた。これら全ての事実から考えられることは、この組織は、ある程度保守的かつ国家主義的立場をとっているということだ。
「ロシア義勇兵部隊」は、さらにもっと過激だ。指導者であるデニス・カプースチン(今はデニス・ニキーチンという名前の方が通っている)は、かつてサッカーのフーリガン(暴徒化した観戦者)であり、ガーディアン紙は彼を、「ロシアのネオナチであり、寝室にヨーゼフ・ゲッベルスの額入り写真を飾っていたこともあった」と報じた。フィナンシャル・タイムズ紙は、 カプースチン(ニキーチン)はさらに、「白人至上主義の衣装銘柄であるホワイト・レックスに敬意を表し」、「レックス」という偽名を用いることまでしており、「かつて総合格闘技の選手であり、西側のネオナチや白人至上主義者と繋がっている」と報じた。2019年、ニキーチンは、極右活動を行っていることを理由に、欧州のシェンゲン圏(1985年のシェンゲン条約で規定された西欧や北欧を中心とした欧州27カ国圏内) への立ち入りを10年間禁止された。それ以来、ニキーチンはウクライナに住んでいる。
RVCは激しい民族国家主義的立場をとっている。ロシア語には、ロシア国民を現す2つの単語がある。 Русский(ルースキー)とроссиянин(ラシヤーニン)だ。「ルースキー」はロシア民族を指す。「ラシヤーニン」はロシア連邦の国民を指すので、民族はどの民族でもよい。RVCはその目的をこう宣言している。「我々は、〝ルースキー〝であって、〝ラシヤーニン〝ではない」と。そして、ロシア連邦は「民族はロシア民族のみで、領土は主にロシア民族が住む地域から成り立つべきだ」と主張している。
RVCが今回の襲撃事件に加担したことからは、興味深い疑問が浮かぶ。それは、なぜ、極右のロシア民族国家主義勢力が、自分たちの国に刃を向け、ウクライナのために戦っているのか、という疑問だ。 西側報道機関が口を揃えて報じている説明によれば、その理由は、プーチンとプーチン統治下のロシアは、「超国家主義」であり、「ファシスト」でさえあるからだ。しかし、どうやら本当のロシアのファシストはプーチンを好きではないようだ。
その答えは、先週プーチンが行った演説の中で見つけられる。その中でプーチンは、「国家政策戦略」を提起した。その中でプーチンが述べたのは、自分はロシア国民(言い換えればラシヤーニン)と認識するのが先で、自分は〇〇民族(例えばルースキー)であると認識するのはあくまで二次的であると考えるロシア国民が、ますます増えているという事実だった。プーチンはこのような状況を完全に良いことであるとし、こう述べた:
世代から世代へ、われわれの共通かつ広大な故郷のために、我々の先人たちは協働し、様々な言語伝統を持つ多様性のあるひとつの国家という精神的遺産を積み上げ、他に例を見ない、多民族的で多宗教的な文化を形成してくれました。我が国は、多民族が協調するという価値観のもとで建設されました。この価値観こそ、我々の団結を支える礎です … 先程述べた我々の敵は、新植民地主義的な考えが基盤にあります。しかし実は、その考え方は愚かです。彼らは、多様性こそ我々をより強くしてくれるものだという事実を分かっていないのです。
プーチンはこのような主旨の発言をこれまで何度も行ってきた。プーチン政権は、ロシアの国家主義者に対する嫌悪感を示してきており、この勢力が民族間の対立を誘発し、国家が弱体化されることを懸念してきた。2010年代に、多くのロシアの国家主義者が過激な演説を行ったという不法行為の嫌疑がかけられ、逮捕された。その結果、これらの勢力からのプーチンに対する見方は完全に否定的なものとなった。ウクライナ侵攻の後、思想を変節し、プーチンは自分たちの味方であると思い直した人々もいた。しかしニキーチンのように、この機会を捉えて、武器を取ってプーチンに刃向かおうと立ち上がるものも出てきた。これらの人々にとっては、領土は小さくなっても、民族的にロシア民族が多い国の方が、領土が大きく、多様性がより豊かな国よりも好まれている。そのため、ロシアによるウクライナ侵攻という帝国主義的な行為は、望まれない行為として見られている。
この状況は、ロシアの極右勢力がウクライナとの戦争を嬉々として受け入れる説明にはなるかもしれないが、ウクライナ国家がロシアの極右勢力を望ましい同志であると見ている説明にはならない。結局これらの勢力は、ウクライナ自体に関心はないのだ。ウクライナがロシアの極右勢力を望ましい同志だとみているのは、実用的かつ皮肉な理由であり、「敵の敵は味方」という主義に基づいたものだろう。ロシアの主張とは相容れないが、ウクライナ国家は、ファシスト国と言えるにはほど遠い。しかし、2014年のマイダン革命以来、ウクライナが極右勢力の受け入れを歓迎してきたのは、実用的な理由からだろう。つまり、極右勢力は多くの意欲的な兵力の供給源になるからだ。同様に、親ウクライナ派のロシア人民兵も、兵力の補填に役立っているのだ。
親ウクライナ派ロシア部隊は、政治的な目的も果たせる。ウクライナ政府は常々、ウクライナは純粋に防衛戦争を戦っており、ロシアに侵入することには関心がないと主張している。しかし、ロシア領内に攻撃をしかければ、ロシアの諸部隊を他の前線から引き離させることにつながり、ロシア国民に、ロシア政府は自分たちのことを守ってくれる力がない、と思わせることができる。ウクライナ当局は、FRLやRVCとは無関係だという、相当無理な主張をしており、ベルゴロド州への攻撃をロシア国内のロシア市民による反撃だ、としている。このロシア民兵隊という手段を使えば、ウクライナ当局が、この勢力との関連を否定しながら、このような攻撃を実行できるのだ。
ウクライナ当局が極右勢力と繋がったことで、軍事的には短期の利点を得ることができたが、そのことは間違いなく政治的には逆効果となった。というのも、このつながりにより、一部のウクライナ国民の気持ちを離反させることにつながり、さらにロシア側にウクライナはファシスト国家であると宣伝させる機会を与えることになったからだ。それと同じ動きが、いま繰り返されていると言える。ベルゴロドへの攻撃は、ウクライナに戦術的な利点を与えたのは確かだ。ただしその反面、この攻撃により、ロシア当局にウクライナを「テロ国家である」と宣伝させる材料を与えたことにもなり、ロシア側からの「ウクライナ政府はネオナチと手を組んでいる」という宣伝の強化を可能にさせることにもなった。この戦争に対するロシア国内の支援態勢を弱めるよりむしろ、この攻撃が逆効果となった可能性がある。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
日本では「日本人」であるのは、日本民族で無ければならない・ていう一種の選民主義的なモノがある。
無論「背乗り朝鮮人」とかは別でも、一般に市井の在日も究極的には「ロシア連邦の国民を指すので、民族はどの民族でもよい」ていうように「日本市民なら、朝鮮系でも構わん」のです。
けどね、日本のカルト宗教~国学はそうではないようですは。
上記文抜粋
・・・・・・・・・
しかし明治以後、第二次世界大戦の敗北に至るまで、 天皇・貴族・侍 (これには軍隊の将校も入るし、新聞記者も入る) が麻薬の儲けだけに専念したことに関しては形容の方法がない。 こいつらは著しく知的レベルが低い連中と決めつけることも余りに馬鹿げている。 こんな連中などが、高度と考えたもの事態が低レベル過ぎてどうにもならん。 こいつら何にもわかっていないし、嘘ばっかりついていて、どうにもならん連中で、 煮ても焼いても食えやしない。 彼等の事を調べても恐らく歴史を調べることにはならない。 ちょうど、これは現在の交通インフラを調べるのにキセルの常習犯のことのみ調べるようなもので、 これは世界の大勢を表しているものではない。天皇・貴族・侍は世界の潮流の中にあった登場人物ではなく、 そこから離れたところで行動を取っている中南米の麻薬シンジケートと同レベルに扱うべきだ。 恐らく、こいつらは学校ではほとんど勉強していない。
天皇・貴族・侍たちは恐らく英国産業革命の事を綿密に調べ、 没落した貴族の二の舞を避けようとした。 通常、国を豊かにするには農業・産業の育成を図るのが普通であるが、 このようなことはしていない。 (製糸産業は意図的に波及効果が一切ない産業なので、産業の育成を目指したはずがない。) 農業の育成を図って農民たちが豊かになれば侍たちの立場がなくなり、 産業の育成を図って、侍たちよりも豊かな人が増えることを恐れた。
だから農業・産業を育成せずに天皇・貴族・侍たちだけが豊かになる方法を考えた。 そのために麻薬の儲けを求めたと思われる。 利益は都会にしか還元されないし、 田舎に還元するように見せる鉄道建設もインドにならった国土制圧でしかない。 各県の県庁の所在地まで鉄道を敷設しても、各県庁の所在地が江戸時代のままであれば、 そこに産業を導入するのは不可能なためです。 これで身分性は無いが、天皇・貴族・侍を中心とする恒久的な永続する封建制が確立した。
しかし、明治時代以後、人間の思考の地平線はどんどん拡大しており、 天皇・貴族・侍たちの知的レベルの低い世界観は時代錯誤となり、 彼等が世界から取り残されたと考えるべきではないかと思う。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
上記文抜粋
・・・・・・・・・・
一般に植民地からの収入は誰が得たか ? -- 王族
以上の議論は英国の東インド会社の存在から明白となる事実ですが、 他のヨーロッパの国の場合に、仮にどこかの国を植民地にした場合にどうなるかを、少し考えておきます。 この場合に、誰かが発見してその土地に領有権を主張するわけですが、このためには探検費用が必要です。 このような探検費用は通常の国家予算とは違う形で処理する必要があります。 (通常予算の使い道は大半が決まっている。探検費用は一時的なもので、しかも多額です。) 誰が負担するのでしょうか ? ほぼ明白に、国王が個人資産でこの探検費用を負担したと思われます。 この理由は、探検が国王の個人的な投資と思われるためです。だから、新天地が発見されて領有権を主張した場合に、 植民地は国王に個人的に帰属する (国王の直領地が増えるだけ) と考える方が普通ではないかと思います。
・・・・・・・中略・・・
何故、日本は鉄道建設でインドを模倣したか ?
このことを理解するには、「国学」 と称する日本の学問分野 (?) の発想を理解する必要があります。 これに関しては 麻薬マネーがもたらしたもの で少し解説をしており、その繰り返しになる部分がありますが、 「国学」 の教えでは 日本に住む人間は 2 つの人種に分かれ、 一方が古事記・日本書紀の時代に日本を征服した 「天皇・貴族・侍」 であり、 もう一方が、その時支配下に置かれた 「農民」 となります。 前者が本来の 「日本市民」 (あるいは一等市民) で、後者が日本の 「三等市民」 と呼ばれました。 (この用語は、1950 年代にはよく使用され、1960 年代にもまだ時々使用されていました。戦前にはこの用語はずっと広く使用されたはずです。 但し「市民」という言葉は明治時代に、ヨーロッパの書物を翻訳するために造語された言葉なので、 江戸時代にはもっと違う言い方をしたはずです。) この 2 つの人種の間には血のつながりがないとされていた (これが国学)。 1970 年代に遺伝的検証が行われ、この考えには根拠がないことがわかりました (但し、天皇に関しては調査していない)。 しかし、この 「国学」 の観点は明治維新前後から、第二次世界大戦の 敗北に至るまで、日本の考え方の原動力となったもので、 日本の現代史にある考え方を理解するには、この考えに照らし合わせる必要があります。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
上記文抜粋
・・・・・・・・・・・・
どのような人が戦前の日本の高等人種か ?
戦前の発想は国学の影響を随分受けており、 この発想では日本人は 2 つの人種に分かれ、 一方は天皇・貴族・侍からなる高等人種で、 もう一方が、農民を中心とする下等人種です。
注意
日本人 (?) を 2 つの人種 (race) に分ける考え方は 国学の学問分野としての考え で、 八咫烏の時代から 征服者 である天皇・貴族・侍とそれ以外の 被征服者 を分離する考えで、 両者には血のつながりはないという考えです。 (遺伝学的にこれに根拠がないと立証されたのが 1970 年代ぐらい。但し、この時は天皇を調べていないと思う。) 1960 年代初頭ぐらいまでは下等人種の事を 「三等市民」 とも呼んでおり、色々な呼び方があったと思います。 (「平民」 の呼び方も、場合によっては随分と屈辱的に聞こえる場合もある。) 戦前の日本人は迷信を行動規範 にしており、このような考え方は支配的なものであったと思われます。 つまり身分制はなくなったが、封建制は健在であったのです。(戦前の識者とは知的レベルのかなり低い人たちを想定する方が正しい。 学歴では大半が中卒で、高卒がエリートの社会ではこのようなことが起きると思う。 大卒はいるでしょうが、絶対数が少なく、大学の質も随分低いことが想定される。)
日本人を 2 つの人種に分ける考え方は、ヨーロッパの科学の考え方を取り入れて、もう少し下劣なことに なる場合もあります:例えば、侍は (ライオンのように) 食物連鎖の上位に属し、 農民は (ライオンのエサのように) 食物連鎖の下位に属するという考えです。 つまり、「農民は侍のエサ以上のものではない」 ことになり、このような考えを持つことが 「学がある」 ことなのです。 これを新聞記者あたりが盛んにまくし立てていたとしても不思議ではない。
人間を 2 種類に分割する考えは戦前には意味があった場合があります。 例えば、調理や風呂に火を使用することがあります。戦前の燃料はマキで、 火を使用する直前にマキを斧で割る必要がある (マキ割り)。 このような理由から、大正時代の中流階級 (?) には下男・下女は必須でした。 つまり下働きがいないと生活が成立しない。英国では産業革命 (1750 年 - 1850 年) の時代から少しゆとりのある人 (英国の中流階級) は燃料として石炭を使用したので、 少なくともマキ割りのために下男・下女が必要ではなかった。 そして更に産業革命が充実する時にガス照明が各家庭 (都会) に普及し、電気が照明に使用されるようになると、 ガスは調理用に変更され、これも各家庭 (都会) で使用されるようになった。 英国では都市ガスの使用は日本よりずっと早い。 (下男・下女の必要性がない社会です。) なお下男・下女という言葉は戦後に聞かれなくなった言葉だが、女中という言葉は戦後しばらく残っていた。 住み込みの女中が姿を消すのが、1960 年代 (日本の産業革命) の時で、 職が増えたため住み込みの女中に応募する人が無くなったからである。そのあとは時間決めで採用される 「お手伝いさん」とか「家政婦」が残ったのではないかと思う。 つまり本来の産業革命があれば、職が増えるのみならず、 内在する封建制を崩していくことがわかる。
以上からもわかると思いますが、大正時代における 「人間らしい生活」 とは下男・下女がある生活のことを指します。 (下男・下女を使う人々はとても少なかった。) 士族とはこの 「人間らしい生活」 をしていた人で、ここに新聞記者が含まれます。 なお福沢諭吉も下男あるいは下女を使用しており、彼の意味における 「人」 というのは、 国学における「人」(= 天皇・貴族・侍) に上流の町民が余分に加わっているだけです。
・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
抜粋終わり
日本書紀は、「民は草」ですから・・・
天皇は、法に従うかどうかわからん。て今の日本ですから・・なんせ「唯一の統治権者」なのに、「敗戦の責任」を取らない・謝罪すらしない。
これって、日本では「天皇とその周囲だけが、日本人で、後の在来民は、草」が、神道~神祇信仰とは少し違うカルト宗教~ だからね。
だから、「在日ヘイト」や「入管法の改悪賛成」をする連中は、ほぼファシストの売国奴。
まあ、天皇からして売国奴だからね・・
売国奴を、象徴だの元首だ神の裔とかいう国家・社会=日本国あるいは天皇カルトだから、普通に発狂して死滅します。
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐みに富む社会になりますように
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?